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思えばニューヨークに来て3年とちょっと。フルスピードで過ぎていく日々を呆然と見送り、今年の9月にはついに帰国を予定している身である。 こちらでまだまだやりたいこと、学びたいことは山積みのまま残されてはいるが、ここらで一段落もまぁよかろう。こんなスペースを与えてもらったのを機会に、これまでのニューヨークでの生活を振り返って、渡米からこちらでの日々を綴ってみたいと思う。 と言ってもそんなにたいそうに書くことは何もなく、自ら超フツーの小市民と認める私の目や耳を通しての疑問、怒り、喜び、驚き、そしてそれらを経たこれからの私のことなど、ほんのささやかなことばかりだけれど。 もう若くもなく、誰に言われた訳でもないのに、無謀にも単身このクレイジーな街にやって来た私のように、ニューヨークで暮らしてみたいと、密かに思っている女性たちの何かの参考になればうれしい。はたまた、やっぱりやめとこーと、チェンジマインドのきっかけになっても、それはそれでよし。 飾らないありのままの私の生活を感じてもらえたらと思う。 |
| フリーのコピーライターになって十数年、夫約1名、子供なし。どういう訳か趣味が高じて、大阪市内のスポーツジムのフリーのエアロビクスインストラクターまで始めて5年あまり。 これが渡米直前の私である。インストラクターとしてダンスの修業!というのを名目に、1年にほんの1、2回、10日か2週間ほど訪れていたニューヨークに、なぜか突然住みたい!と思った。本当に突然なのだ。だから胸をはって言える理由はほとんどない。親しい友人や仕事仲間にチラッと話してみても、「なんでー?」「今さら何のためにぃ?」「ダンナはどーすんの?」てな言葉しか返ってこなかったのも当然のような気がする。でも思ってしまったが最後、実行せずにはいられない性格がマズかった。それ以後は誰に相談することもなく(夫にさえも)、密かに日本脱出計画を始めた私は、まず飲み代、食い代、物欲を抑え、そのための貯金を始めた。身勝手な計画ゆえ、夫や実家に経済的に頼るというのは論外だろう。そしてビザの問題。これも何冊も本を買って、こっそりと、だけど真剣に調べた。学生ビザを取ってニューヨークの英語学校でお勉強。これがもっとも簡単でポピュラーな方法だけれど、私は働きたかった。学生ビザは働くことを許されないし、私の貯金では1年持つかどうかもあやしいもの。そして何よりもコピーライターとしての仕事を中断したくなかった。こう言えば聞こえはいいけれど、本当は日本からいなくなって、みんなに忘れられてしまうのがこわかったのである。で、いろいろ調べてついに見つけたのがジャーナリストビザ。通称 Iビザと呼ばれるもので、これなら少なくとも日本のクライアントと仕事を続けられる。これしかない!と決めたまではよかったが、果たしてどうやったら取れるんだ?あまりポピュラーなビザではないらしく、どの本にもほんの数行しか触れられていない。で、またやっかいな壁にぶち当たることになったのだが、これには後ほど触れることにしよう。
ビザ申請の書類を揃え始めるのと同時に、クライアント回りをした。 「ニューヨークに行くんですけど、今まで通り仕事続けさせてもらえます?」 「バケーションか?」 「ううん、住むつもり」 「何のためにぃー!?」 「それ、聞かれるとちょっと困る。」 どこへ行っても最初はこんな調子。けれども話しをするうちに、多くの人が「こいつ、本気やな」と思ってくれたらしく、できる限り変わりなく仕事を続けようと、言ってもらえたのであった。ある雑誌社もニューヨークレポートを送ってくれたら載せるよと、うれしい言葉。Eメールやエクスプレスの国際郵便の存在には、今でも本当に感謝してる私。だってそれがなかったら、今ごろは仕事もなくホームレスになってたかも知れないもんね。 そんなこんなでなんとかビザも取れ、夫も家族もあきらめに似た理解を示してくれる中、友人や仕事仲間達も「そんなに行きたいなら、気のすむまで行って来い」とばかりに盛大な送別会まで開いてくれた。 そうしてついに日本を飛び立ったのは、1998年4月19日のこと。 なぜ私がニューヨークに惚れてしまったのか。せめて自分自身でそれがわかるまでは、おいそれとしっぽを巻いて戻れない。それが正直な気持ちだった。 |
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