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2005年06月24日
この、泥棒ネコ!
ああよかった!「父の日」、プレゼントもらえましたよ。この前の日曜日、ムリして東京に戻ったら、娘と息子に祝ってもらえたわー。ふだんは離れて暮らしてるもんで、オレは父の資格ないんぢゃないか?なんてちょっと自責の念に駆られることもあるだけに、いやいや、うれしいもんだねえ。それにしても「わたしは あなたの 娘です」とは言われなかったけれど・・・。
さてさて「地名」 「三文字熟語」 「ひらがな」ときて、今回は「ちょっと惹かれる決めゼリフ」について書いてみようか。
このまえ、ウチのM嬢と話をしていて、そういえばめったに口にしない、というか実際には耳にすることもないけど、有名な決め文句ってあるよね、ってことになった。
たとえば、「この、泥棒ネコ!」。 昼ドラなんかでいちどは聞いたことがありそうで、かなり有名な「決め文句」だ(決まり文句?いや、この場合は決め文句でいいな)。
ただこれ、日常生活のなかで体験したことがあるとすれば、それはそーとーな不倫の修羅場。女どうしの取っ組み合い開始のゴング、って感じだよね。こりゃ大変。刃傷沙汰にもなりかねない。
まあ、コトダマ理論にのっとってみれば、この一言はかなり密度の高い呪詛、ということになるな。うん、呪詛ではあるんだけど、力関係的には、泥棒ネコ呼ばわりされたほうが勝ってるんだろうなあ。
恋愛沙汰の呪詛といえば、「ケダモノ!」ってのもある。これはおそらく放送禁止用語に違いない。でも、ぼくの記憶が正しければ、映画「卒業」の字幕に登場してたよ、昔。
まあ実際、こんなコトバを投げつけられたら、人間としてどーよ、なんだろうけど。
M嬢は、「人を呼びますよ」がいいと言ってた。これは修羅場の手前だな。だけど、コトダマパワー的にはかなり強いものがある。あなたを警察に引き渡しますよ、とほとんど同じ意味をもってるからね。ま、こんな文句をチョイスするあたりが、三文字熟語でいえば
韋駄天な、いや居丈高なM嬢っぽいんだけどね。
そう、こんな感じの、コトダマを秘めた、でも実際にはなかなか経験できない「決め文句」、まだまだほかにありそうだよね。てらさっきさん、TKさん、megzさんはじめ、みなさんもちょっと、探してみてくれません?
投稿者 okada : 14:08 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月08日
こんかいのおだいは、ひらがななのだ!
ここんとこ出入りが多くて、2週間あいてしまったね。先週中盤が「伊勢志摩」で撮影、で土曜は久しぶりに横浜中華街へ食事をしにいって、日曜日は恵比寿ガーデンホールで「ムーンライダース」のコンサートへ(しかし鈴木慶一サン、若い!)。月曜はbunkamuraで「ベルギー象徴派展」を見て、って具合で、大阪に戻ってきたわけ。
しかしその間、いっぱいコメントをいただきましたな。高橋さん、ももたろうさん、寺崎さん、きぬさん、黒じゃなく青さん、KEIさん、そしてTKさん、どうもありがとう。
これからも、ぜひぜひよろしく!
さてさて今回はうってかわって、「ひらがな」の話をしよう。
最近読んだ本のなかで、ひさびさに共感し、これは人に薦める価値あり、と思っているものがある。それが「ひらがな思考術」(関沢英彦著 ポプラ社刊)だ。
要は、漢語やカタカナ語ではなく、ひらがなで考え、書き、伝えることを推奨する内容なのだ。まあ、ここでぼくが云々するより、とにかく一読してほしいのだが。
この著者は、ぼくがもといた会社の先輩。コピーライターとしても先輩格にあたる人。そんな、知っている人の本だからよけいに親近感がわくのかも、というところはあるが、とにかく「その通り」と納得してしまった・・・そうなんだ、ひらがなは強い。ブレない。
そして時代を超える。考えてみれば、谷川俊太郎さんの詩、「世界がもし100人の村だったら」的な平積み本、「100万回生きた猫」
のような超ベストセラー。みんな「ひらがな」主体なんだよなあ。ひとびとの心の底までしっかり届くには、やっぱりひらがなコトダマが必要だ、と最近思うことしきり、なのである。
ぼくの書くコピーにしても、そう。昔はそれこそ「史上最低の遊園地」やら「川崎事件」やら「世界品質」やら、とにかく漢字のパワーにすがった剛速球にこだわっていたのだけれど、今はちょっと違う。あたかも野球のピッチャーが、球威一点張りではなく、いろんな球種を覚えて成長してゆくように、最近はやさしいコトバで、つまりひらがな主体で書くようになった。そのほうが、みんなの反応がいいことに気づいた。いやいや、やっと気づいたわけなのである。
たとえば、こんなこと。2か月ほど前、あるところで「父の日・母の日」用広告のディレクションを頼まれたんだけれど、ぼくの要望はただひとつ。
「子供になんと言われたら、親は泣くか?それをコピーにしよう」ということだった。そのためにはやはり、ひらがなのコトダマパワーがいる。例えばぼくの娘(18歳が実在する)に、「Thanks Papa」なんて横文字で言われても、なにも感じない(これ、面と向かったシチュエーションと広告表現とを同じ次元で論じているわけだが。わかる?)。もちろん「パパありがとう」「体に気をつけて頑張ってね」と言われて、うれしくない父親はいないとは思うが、ぼくはぼくで、決定的な殺し文句を妄想してしまった。
それが「わたしは あなたの 娘です」の一行。
娘にこう言われたら、きっとぼくは泣くと思う(いや、妄想だって。ウチの娘はそんなことのたまうタマではないから)。じつにいいセリフだな、とぼくはひとり悦に入っている。
つまり、こういうひらがなコトバはものすごい力を持つ、人の心の奥底まではいりこむ、ということを言いたいわけなのだ。まあ、このあたりのことは、前述の「ひらがな思考術」の内容と重なってくるのだが。
つまり、こういうことが言えるかも。ひらがな的に考え、ひらがな的大和コトバを大切にし、流行語や漢語に流されない、わかったようなフリをしない。これってもしかすると「スロー・シンキング」「スロー・ワード」ってこと? 人口に膾炙して久しいけれど、いまひとつピンとこない「スローライフ」ってコトバの概念を裏から支えるものに、ぼくはきっとなると思うのだが・・・おっとその前に、「スローライフ」をひらがなコトバに言いかえなければ。そっちのほうが先ですよね、関沢先輩?







