2008年04月09日
チケット引き寄せの法則
私は昨日、すごい引き寄せをしました 。
「ミー&マイガール」の新人公演。
演目も決まる前から友人経由で頼んでいたチケットなのに、私の分だけ直前に断られて、それからあれこれ探してもなくて、めちゃめちゃ品薄でみんな探してる状態でした。
「そのへんにチケット落ちてないかな〜」
「この1枚のチケットたたいたら、もう1枚産まへんかな〜」
「ポケットからふっと出てこないかな〜」
「もう1回チケット封筒開けたら、2枚になってへんかな〜」
「知り合いが見つけてくれて、譲ってくれたりしないかな〜」
「柔道の野村さんみたいに、私も油断してたかもしれないから、これからはもっとしっかり手を打っとくほうがいいな〜」
アホなことを言いながら、不思議と、ふわふわといい気持でした。
あきらめかけていた、開演3分前。
ふと見知らぬ奥様が声をかけてくれて、なんとな!!1階S席でみることができました。
宇宙さん、ほんとにありがとう。
「自分だけチケットがない」ってのは、ものすごいストレスなんですよ、実は(汗)。
そのストレスと不安、なかったときのあきらめに対してもEFTは使えることがわかりました。
もちろん、EFTしなくても大丈夫です。
ただ、その感情の処理が10分くらいで片づけば、もっと時間を有効に使えますよね。
↓2006年12月に書いたブログです。
「タカラヅカふぁんのディープな生活」
見れる人、苦労する人…「チケットの極意」
http://www.venus-beans.com/v-log/log/deep/archives2/2006/12/post_30.html
春千代
投稿者 deep : 19:03 | コメント (0) | トラックバック
2006年12月19日
見れる人、苦労する人…「チケットの極意」
「さばき」から見た、宝塚ファン
ネットもチケット屋もなかったころから、宝塚ファンの間では「さばき」という互助があります。
シンプルだったしトラブルも聞いたことのなかった数年前まで、手順はこうでした。
当日、劇場ちかくで「浮いたチケット」実物を提示します。
さばき目当てで、チケットを持たずにふらっと来たファンが、そのチケットを見て「お願いします」。
定価でやりとりします。
もちろん、買うほうは、お釣りのないように支払うのがマナーです。
お互いに「ありがとうございました。」と深々と頭を下げる。
いい仕組みでした。
当日券を買いに行っても、コストパフォーマンスの悪い席しか残っていなかったりした場合も、さばきを見ると、あらあら、よいお席を余らせていらっしゃる…
そんなときも、よくお世話になりました。
チケットの販売方法は、すぐにはわからないややこしいものばかりでしたが、真剣にやれば見たい人は見れる、そんな世界だったんです。
もし少々ダブっても、さばきで引き取ってもらうこともできました。
やりとりは定価が鉄則だったから、売るためにチケットを集める一般人は、いませんでした。
それが、宝塚のチケットが「チケットぴあ」で売られはじめてからでしょうか、変わってきたのは…。
チケット屋が気がついたんですね「宝塚は儲かる」と。
ネットオークションの発達も拍車をかけたのだろうと思います。
普通のファンが、貴重な日、いい席を「高く買う」ことをはじめてしまったのです。
自分が高く買っているのだから、自分が不要なチケットをファンにも高く売って、次の資金にする。
そういう流れができてしまいました。
互助だったころは暗黙の了解だったのに、ダフ屋や詐欺をはたらく人が出てきたため、監視がつくことになりました。
買うだけの人も、こういいます。
「宝塚の友だちいないし、会にも入っていないから、オークションに頼るしかない」
だとしたら、ずっと、それを続けるしかないですね…
「仲間と語り合えるから楽しい」ので、長くファンを続けてきた私は、「もったいないなあ」と感じました。余分に払ったお金で、だれか気の合う仲間でもできれば、新しい気付きもあるし楽しいだろうになあ、と。
ちょっと話がそれました(汗)。
つまり…昔がよかった、と単純になつかしんでいるわけではないんです。
チケット販売を外部委託にしたところで、阪急さんの手間が減っただけで、不透明感はいつまでも残りますからね…(^^;)。
バックナンバー「ぴあ・チケット争奪戦」を読む
のどかで優雅だった時代、「チケットはみんなのもの」でした。
大きなチケットの海の中のほんの1部が、今日自分のもとに来てくれている。
だから、さばきでは、譲るほうも譲られるほうも、同等の立場でこういいます。
「ありがとうございました。」
贔屓がちがっても、苦手なスターがいても、私たちは「宝塚ファン」という一つの集合体でした。
今はどうでしょうか。
すべての人がそうとは言いませんが…、チケットの取りあいに時間も心も、文字通り「自分を砕いている」人がとても多いです。
チケットも、わたしたちも、一つの集合体であることを忘れて。
サヨナラ公演がこんなに続いた年はなかったと思いますが、それだけではないでしょう。
「あなたのチケット」「私のチケット」
そんなふうに、所有で区別していませんか?「売る」「買う」モノであるとしか、思っていませんか。
確かに、自分が座る席は重要です。大好きな贔屓の舞台を、自分の目で確かめたい。
あれこれやった。友会にはずれ、先行予約にも漏れ、一般前売りには電話がかからない、旅行社の団体予約もとれなかった。会は入ってるけどあてにならないから現物(チケット)は握っておきたい。
そう思うのももっともです。
けれど、どれだけやっても最終的に、見れる人は見れるんです。
(はー、やっと本題に入ってきた)
どんな人だと思いますか?
コネがある人?
会の貢献度が高い人?
お金がある人?
生徒に近い人?
どれも正解ですが(笑)、難しい条件もありますね。
私が気付いたのは、これです。
「やるだけやったら、見れる。あきらめない。でも、最終的に手に入らなかったら、諦める」
ことわざではこれですね。
「人事を尽くして天命を待つ」
誰にでも平等に「チャンス」があるとき、それに可能なかぎりチャレンジする。
チケット取得方法は日々変わっていくので、新しいやりかたに遅れずに、ついていく。友人にも負担のないような依頼をしていくと、友人もこの新しいシステムになれることができて、近い将来に役立てることができます。
そして、一つ一つの方法でチケットが取れなくても、へこまない。
「チケットがない」「チケットが取れない」
こう思うことは、ストレスです。活性酸素がどばっとわいて、免疫力が下がります。(基礎体力の低い人は、チケットがないと思うだけで、風邪をひくかもしれません。)
そして、「チケットがない」「チケットが取れない」「誰もあてにならない」「見れないときのことを考えたら夜も眠れない」と常に、常に、考えていると…
潜在意識もしくは宇宙の法則、まあ、なんでもいいのですが、どんなことが、あなたに起きると思いますか??
「チケットがない」「チケットが取れない」「誰もあてにならない」状態のあなたが、つくられるのです。
どうでしょう。
まわりで「チケットがない…」「チケットが取れない…」「誰もあてにならない…」と言い続けている人はいませんか。
観劇って楽しいはずなのに、なんだか具合の悪そうな人、多くありませんか。
がんばってますから、最終的には、見れるかもしれません。
でもそれまで、ずーっと、心身の具合悪くありませんか。
では、同じ「チケットがない」状況でも、明るく元気に公演を楽しんでる人、いませんか。
体が強く神経が太い?それだけじゃないですよ、きっと。
尋ねてみてください。
「最後は、見れる」
そう、信じています。
または、見れないときのことは、考えない。執着しない。
ここまで読んでもらって「おお、そうか!」と気付いてもらえたら、いや、半信半疑でもいいです。
ぜひ「見れる人」のまねをしてください。
最初は、「見れる」と信じていなくてもかまいません。
「最後は、見れる」と、大きな声で言いましょう。言い続けましょう。
そうしたら「あら?見れそう」となり、「うーん、いけるかも」となり、いつしか「最後は、見れる」と、心から思えるようになります。
そうすれば、心配事もなくなって、元気になります。
目の前の公演も、集中できますね(^^)。
あ、もちろん、まったく努力していなかったり、ただ思い込んでも、チケットは手に入りません(笑)。
そこだけお間違いなきように…。
日常生活でも、使えます。どうぞお試しください。
気持ちの問題なら、がんばらなくてもいいですよ。
なにか許せないことがあるなら「許します」と声に出していえばいいのです。
24日は、雪組公演の千秋楽ですね。
いままでがんばってきた人たちが劇場に入れて、体調万全でこころおきなくラストデイを過ごせますように、心よりお祈りいたします。
参考書:「神との対話」
すべてはひとつである、と思い出させてくれる、すばらしい本です。
参考音声CD:「斉藤一人塾寺子屋講演会」
”ひとりさんとお弟子さんの伝説の講演”2枚組みCD
自分もまわりも楽しく生きるエッセンスいっぱい。

京都四条、錦市場のまるかんのお店だと、1セット2枚から購入できました。春千代と会う予定のあるかた、100円でお分けしますので言ってね(^^)。
(春千代)
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