日本には、夫婦(メオト)茶碗とか夫婦箸
というような独特のペアグッズがございます。
オトコは大きく、オンナは小さくです。
これを見て、男女同権の女性運動家は
差別の象徴!
として、眉をひそめます。
思わず、アホッと呟いてしまいそう。
男と女は同権なんてあたりまえ。
法律できちんと定められてます。
それとこれとは話が違うのです。
小さいお茶碗を与えられて、
クソッ悔しい
と感じる女性ってほとんどいないのではないのでしょうか。
キャッ可愛い、と
素直に小さい方のお茶碗を手に取ってしまうのが、
正常な女心であると思います。
考えてみるに、
器を男女によって大小の差をつけてるのは我がニッポンくらいのもので、
西洋において、
メオトフォークやメオトグラスなんぞを見たこともございません。
西洋は機能、用途のみによって大きさを変えます。
ところが、
ニッポンでは男と女の性差でも大きさを変えます。
ワタクシはこれをニッポンの素敵な文化だと思っています。
小さい茶碗や箸を、即座に我が身に置き換え、
しおらしく、いとおしく感じてしまうのは、
ニッポンオンナの特性であると考えております。
小さいお茶碗が可愛いのではなく、
それを使っている我が身が可愛く、いとおしいのです。
視覚と心が同調するのです。
可愛い感情は、守りたい、守ってあげたいという
胸キュンの心の動きです。
いつまでも可愛くありたいと願うニッポンのオンナの感情は、
いつまでも自分自身に母性を感じたいオンナ心でもあるのです。
夫婦茶碗や箸に象徴されるように、
他民族に比べ、我がニッポン人は伝統的に
可愛い感情を発露しやすい民族かもしれません。
ところで、
可愛い という言葉は英語に訳しずらい単語です。
PRETTYともCUTEとも微妙に違います。
可愛いは母性を促す分、もっと幼児性があるかと考えます。
しかも生々しい幼児性です。
可愛いはKAWAIIであって、日本独自の言葉なのです。
そのKAWAII、
日本を脱出して欧米にまで輸出しようとしてます。
KAWAII特使まで作りあげて、MANGAと同じく国をあげての盛り上げようです。
資源が乏しい日本は、せめてKAWAIIを文化水準にまで引き上げ、
世界中を、席巻できればと企てているかのようです。
しかし、そうは問屋は卸しません。
多くの欧米人、特にフランス人は
あのKAWAIIファッションは、子供じみて見えるようで、
「我々は大人の文化よ」とフンと一瞥するだけ。
はい、ワタクシも賛成!
進化、成熟化したものを文化と言えても、
実年齢より幼児性あるものに対して文化と呼ぶのは、文化への冒涜でございます。
KAWAIIは文化ではなく、ただの現象なのです。
とは言うものの、西洋にも物好きマニアはいるもので、
日本発信のKAWAIIファッションを身に纏いたいと願う変わり種の西洋人がいます。
でもねぇ、これって
日本人のボロ勝ち!
あらゆるファッションは西洋人にはとても太刀打ちできなく、
劣等感にさいなまされ続けてた我がニッポン人も、ここにきて大勝利でございます。
立体的で鋭角的なお顔も、手足の長さも、
すべてが不利な条件となるのが、
このKAWAIIファッションでございます。
いつだったか、KAWAIIファッションに身をやつしたアメリカ人をテレビで見ましたが、
まるで自衛隊出身のニューハーフのようで、笑っちゃうほど不似合いでございました。
胴長、短足、平面顔の我々の方が、
はるかに幼児性が強調され、KAWAIく見えるのです。
普通のルーズソックスにしてもそう。
ヨーロッパの一流モデルが
ルーズソックスにセーラー服を着たとこを写真で見たことがありますが、
ルーズソックスから覗く膝が異常に高く、間延びしてとても滑稽でした。
身長、手足が短いほど似合うファッションもあるのです。
つまり、
幼児体型であればあるほど幼児服、つまりKAWAII服は似合うという、
まことに理にかなったファッションなのです。
確かにニッポン人のみが似合う独特のファッションがKAWAII。
ファッションはそれでも結構。着たい人がお召しになればよろしい。
しかし、何事も過剰になると話が違います。
KAWAIIファッションに身を包んだ若者達が、みんな
赤ちゃん口調で喋るのも気になります。
人格まで幼児化して見えるのはいかがかと。
夫婦茶碗のように、ちょっとの差は
オンナに優しさと母性を促し、オトコに力と責任を促します。
夫婦茶碗とKAWAIIファッションとはレベルが違うのでございます。
過剰なKAWAIIは、見る人に母性を感じさせるどころか、孤立化してしまいそう。
世界中にひんしゅくをかわないよう、ほどほどに。
「マチュアの花道」連載中の月刊誌サヴィー

まずは106ページをご覧あそばせ。
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マチュアな女になる夢のような企画でございます。

皆さまァ〜奮ってご応募を!
そして、94ページも。
ワタクシが推薦した石鹸が見事1位を獲得!

ヘンな顔写真も合わせて御覧あそばしませ。
フフッ…
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先日の9月12日は
ワタクシのお誕生日。
う〜ん、今年も沢山の方々からのお祝いの
薔薇の花々、ヒカリモノ、スイーツ、シャンパン、
画集、メールメッセージ…
もう嬉しい限りで涙、涙です。
なかでも印象的だったのが、
バースデーケーキ。
顧みるにケーキのキャンドルにフッーと息をかけたのは、
実に40年ぶりかもしれません。
毎年、単独バースデーで過ごす事がほとんどなのですが、
今年はたまたま大好きな友人達と一緒に。
そこでサプライズなバースデーケーキとなったわけです。
今年も無事に誕生日を迎えられたのも皆様のお陰でございます。
本当に皆様ありがとうございました!

オンナに限らずオトコも美しいにこしたことはありません。
で、今週は彼!

過日、撮影でご一緒したモデルの近藤優司さん。
このコーナーにプロのモデルさん登場は反則ですよね。
でも、彼はプロ臭がなく、かといってアマ臭もない、
クールミントの香りのするオトコマエでございます。
草食系かと思えば、肉食系もチラリと垣間見える、
不思議クン。
休憩中はいつも周りに気遣ってますが、
いざ本番となると肉食系の集中力でカメラの前に立ちます。
ダ・ビンチと同じ誕生日で、
探求心旺盛なオトコマエでもあります。
]]><ビーナス・ビーンズ編集部>
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この世の最も低俗アートである
ネイルアート。
(アート眉もありましたっけ…)
ひと頃のような、笑ってしまうぐらいの盛り盛りラメは、
さすがに影をひそめつつありますが、
それでもまだまだブームは続いています。
自分ではカワイイと思っていても、他人にとってはどうでもよい、
うっとうしい低俗アートでございます。
手先は道具を使う手段の一つである
という基本的な機能を自ら放棄しているのですから、
ネイルアートオンナは本気で生きてないと誤解されても仕方ございません。
一部の層から始まったネイルアートですが、
今や一般主婦から学生まで幅広い世代に定着してます。
ところで、この加速度的に広がったこのアートも、
ある業界ではかなり遅れて浸透しました。
それは、モデル業界。
意外と思われるかとしれませんが、
モデルがネイルアートを施し始めたのは、ほんの数年前くらいからです。
モデル達がネイルアートをしなかった理由は
至極簡単。
ご存知のようにネイルアートはジェルやアクリルで固められているので、
除光液ごときでは取れません。
そりゃ、あれだけラインストーンやラメをてんこ盛りしてるのですから、
強固な作りでないと困ります。
料理の皿やパソコンのキーボードにラメをポロポロ撒き散らすことになるのですから。
しかし、モデルの場合は逆。
取れないと困ります。
なぜなら、
メイクと同様、広告やファッションのコンセプトに合わせ
ネイルの色を塗り分けなければならないのですから。
ただ可愛いとか、カッコイイとか、
似合っているだけの理由でネイルの色を決められないのです。
そう言えば、ひと昔前こんな事がございました。
その日の撮影は、今をときめく日本人一流モデル。
メイク前に爪を見ると、
当時流行の花柄スパンコールのジェルネイルで
固められてました。
それはそれで可愛いのですが、問題は
広告商品と全く合わないこと。
商品は腕時計でステンレスバングルのメンズタイプ。
花柄スパンコールとでは対極的な時計です。
撮影は時計と顔とのアップショットなので、
爪の細部にわたってよく映ってしまいます。
ナチュラルカラーを上から塗って誤魔化そうとしても、
すでにスパンコール大盛りですからボコボコになるだけで、
見苦しい事この上なし。
モデルも恐縮してごめんなさいを連発するばかり。
結局、指先をポーズとライティングでカバーして、
何とかその日は切り抜けました。
こういう事態が起こり得るので、
ネイルアートはなかなかモデル達の中では定着しなかったのです。
ところが、
現在の撮影はデジタルがあたりまえ。
爪の色なんて、クリックひとつで何色にでもポンポン修正できます。
つまり、
どんな色を塗っていても何とかなるわけです。
となると、
モデル達も満を持して一斉にネイルをアート化させたのです。
現在雑誌系モデル達のほとんどは
ネイルアートでピカピカギラギラさせています。
まあ、それはそれで結構なことです。
ところが、
ワタクシ最近ある事に気付いたのです。
西洋人モデルがネイルアートを施したのを、
未だ嘗てお目にかかった事がないのです!
ヨーロッパ、アメリカ、ロシアを問わず、西洋人モデルで、
ただの一度も見た事がありません。
それどころか、
彼女達の爪は子供のように短く切り揃えられ、
なかには深爪のモデル達がいるほどです。
これって、とても不思議な現象です。
最初はさすがに西洋人モデルはプロ意識が違うものだと感心していたのですが、
それなら爪も長くして手入れも怠ってないはずです。
そこで、彼女達に思いきって聞いてみました。
ネイルアートはしないの?
「horrible!」
と即座にお答えなさいます。
ここがニッポン人と根本的に見解が異なるところ。
指の末端がキラキラしていてると
心まで浮かれてキラキラしてしまうのが、
正常な乙女ゴコロ。
しかし、
西洋人達はそんなラメ爪ごときでは心を動かされないのです。
逆に
「恐ろしく不愉快!」
とまでおっしゃる。
これはこれで、正常な客観視ができてる大人ゴコロ。
そう言えば、
携帯電話をラインストーンで埋めている西洋人モデルを見たことはありません。
携帯ストラップをじゃらじゃら付けてる人もおりません。
日本はカワイイ文化と言われていますが、
ネイルアートも日本独特の固有文化かもしれません。
単にカワイイものが好きというより、
カワイイもの、綺麗なものを見たら、
自分までがカワイイ存在になってしまう、
同調しやすい国民性なのかも。
それと、もうひとつ重要なこと。
似合う、似合わないの問題が大きい。
あのネイルアート、
日本人の手のようにモミジサイズならカワイクも見えるのでしょうが、
西洋人のように大きくタランチュラのような手では、
どうもブキミで魔女のように見えます。
その昔、陸上選手のジョイナーがそうでした。
カワイイとは対極的な挑戦的でブキミな匂いを漂わせていました。
西洋人がネイルアートをすると、
全くカワイくなく、何となく収まり悪いのです。
結局のところ、我がニッポン、カワイイ文化の事の発端は、
この幼児手、幼児顔、幼児体型から起こってるのかもしれません。
だって最近テレビで見る、欧米人のコスプレって
本当にブキミですもの…。
このあたりの深〜いお話は、
また次回にでも…。
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ワタクシの大好きなモデルさんのひとり、
永木優理子さん。
公私ともに長年のお付き合いをして頂き、
とてもエレガントなお方でございます。
(ご主人様も素敵!)
その彼女からは、いつも珍しい物を頂きます。
今回は…
紙袋から取り出すと

箱書きのある桐箱が!
んっ、お茶碗?
これはドキドキッ
紐を解くと…

薄紙に包まれた物体がっ。
これ何っ?
緊張が背中を走る!
そして…

黄色い布が。
これは香炉?漆のなつめ?
えらいこっちゃ!
はやる手でおもむろに布を取ると、そこに現れたのは…

お昆布でございます!
京都雲月の小松こんぶ。
まぁ、なんと典雅な装いでございましょう。

フンワリとした食感の中に山椒がピリッと効いて、
まことに美味でございます。
典雅な方からの典雅な頂き物。
う〜ん、満足!
今宵は久々に御飯でも炊くといたしましょう。
江坂東急ハンズの東側通路を歩いていると、
ハッとする美男が…
そこはケーキ屋さん。
薔薇のクッキーや、ピンク花柄のパッケージに溢れる
乙女スイーツ満載のケーキ屋さんに、
マッチしてるような、
ビミョーにハズレてるような…
ともかく
正統派の素敵なジェントルマンでございます。

実は彼はその店のオーナーで内藤研治さん。
往年の大映スターを彷彿させるような2枚目で、物腰柔らかく、
大人のきちっとした接客をして頂けます。
もちろんスイーツも美味。
いつも完売のチーズケーキは王道のお味でございます。
東急ハンズ通路が、パッと華やぐ
スイーツなオトコマエでございます。
クオーレ エ クオーレ江坂東急店
吹田市豊津町9-40江坂東急ビル1F
TEL:06-6385-1208
先日、松尾(株)のブライダルブランド、
「ステラ」のファッションショーがございました。
今回はブランド創立10周年の記念すべきショー。
テーマはバロキッシモ!
バロックの最上級であります。
こちらは、ワタクシが担当した、古座谷さんとアユミちゃん。

バロキッシモなので、
ドレスも盛り、ヘアも盛り、メイクも盛り。
無事にヘアーメイクも時間内に済ませ、ホッと一息。
撮影ショーは立ち見が何列もできるほどの大盛況。
そして、ドレスは本当に豪華カワイくって
気分も盛り盛り!
終えるやいなや楽屋裏も大盛り上がりで
モデルさん方の記念写真大会。

なんと絢爛ゴージャス雨あられでございましょう!
不況もぶっ飛ばした
エネルギッシュな盛り盛りショーでございました。
モデルの皆さん、スタッフの皆さん、
そして前日徹夜だったデザイナーの山咲さん、
本当にお疲れ様でした!
オンナに限らず、オトコも美しいに越したことはありません。
で、今回からの新設コーナーでございます。
ワタクシのお目がねにかなった、
映えある第1号は彼!

グラフィックデザイナーの角博貴さん。
いつも長身の背筋をピシッと伸ばした、ストイックボーイ。
でも、
一皮剥けばハラリと悦楽性がほとばしるとこが、
とてもセクシー。
大胸筋もしっかり強固な
爽やか系オトコマエでございます。
ちなみに、今年のバレンタインチョコを差し上げた、
貴重な三人の中のお一人です。
当然ホワイトデーのお返しも抜かりなくきっちり頂きました。
最近のヒットボーイでございます。
幼い頃、母の部屋の押し入れを開けると、
溢れんばかりの箱が戸棚いっぱいにあったのを覚えています。
箱の中身はハンドバッグ。
父の稼ぎの割りには贅沢だった母は、ことある度に
「ハンドバッグ買って…」
と猫なで声で父におねだりしていました。
その御用済みになったハンドバッグが
箱ごとびっしり押し込まれていたのです。
その押し入れの大きさから計ると、少なくとも
50個以上は並んでいたでしょうか。
それでも事あるごとにバッグを買い足してました。
不思議でした。
なぜそんなに買い足すのか。
一方、父のバッグは0個。
鞄を手にさげてた記憶はありません。
書類を入れるのは茶封筒で、それより大きな物は風呂敷へ。
父はどうも鞄を持つのが嫌いだったようです。
話はちょっとそれますが、
ワタクシの男友達でも鞄を手にするのが嫌で、
いつも手ぶら出勤をしている銀行マンがいます。
タバコ、ケイタイ、財布、ライター、メモ帳等は
すべてスーツのポケットへ収納。
ですから、常にポケットが丸く膨らんでいますが、
それはそれで何とも言えぬ男臭い味わいがあり、憎めぬ格好です。
男の中でも乙女志向の強いワタクシでさえ、普段使う鞄は2個。
仕事から遊び、冠婚葬祭までこの2つですべてこと足ります。
いずれも10年以上も前に買ったバッグで、
肩から斜めにさげてるボディバッグなんぞは、
電車に忘れたとしても、誰も拾ってくれないほどボロボロ。
ファスナーも機嫌の悪い日は締まりません。
気に入った鞄は廃棄処分までとことん使い込みますが、
数多く持ちたいとは思わないのが一般男性の鞄に対する考え方でしょう。
しかし、女性はまったく逆。
確かに、
男性に比べて女性のバッグの中身のアイテムははるかに多いです。
最低10種以上は詰まった化粧ポーチをはじめ、
デオドラント、ミニタオル、ウェットティッシュ、ピルケース、
オーラルケア、ガムにフリスクにキャンディ…
これらは一般的で、
小アゲ系ならこれにヘアーアイロン、スプレーが加わります。
女性の服には、ポケットが少ないので、バッグが必要なのは十分に理解できます。
しかし、そうは言っても取っ替えひっかえになる必要はないのでは…。
ここが男の理解が及ばぬところ。
たとえ、理解できぬとも、
女性の心の内のどの部分の本能がそうさせるかは計り知りたいところです。
一つには
心の不安定さがそうさせるのかも知れません。
不安定と言っても、たいそうなものではなく、
ちょっとしたストレス。
例えば、軽い嫉妬や上昇志向、迷い、生理や体調、
焦り、イライラ感等の不安さで、ごく日常的なもの。
その不安定になった心のブレを、
日常の「携帯」する物によって、まぎらわそうとしているのかもしれません。
例えば、アートネイル(この世の最も俗っぽいアート!)にしても、
それこそケイタイ電話のラインストーンてんこ盛り、ティッシュのフリルケースにしても、
普段日常に携帯し視界に入る物をできるだけ華やかに、
あるいは可愛くして自分の心とシンクロしたい。
そうする事で
不安定な心のブレをまぎらわしたいと考えるのかもしれません。
要するに、女性はいつも携帯している
アイテムの形や色、雰囲気に同調しやすいのです。
だから、数が必要。
ピンクを見たら、心はたちまちピンクになります。
薔薇柄を見たら、身体中が薔薇の化身になります。
ラメを見たら、きらびやかな心となります。
心のブレの種類は毎日違うのですから、
アイテムも毎日異なり、数もどっさり必要。
2個や3個では十分ではないのです。
エルメスのバッグを持てば、
ラグジュアリー感は満たされても、カワイイ感は満たされません。
エコバッグを持って社会参加できた満足感は得れても、
オンナの勝利感は得られません。
男にだって不安感はあります。
でも、それを日常の携帯する物でまぎらわそうするのは、
女性に比べ少ないように思います。
仕事や趣味等で心の高揚感を維持したいと考えるのです。
ですから、気に入った鞄なら一生涯ひとつでも十分満足。
鞄ごときに心は同調しないのが男性です。
女性は違います。
心とシンクロできるような、気に入ったバッグと出会えば、
もうそれだけで
ドーパミンからアドレナリン、βエンドルフィンまで総動員!
フゥ〜と陶酔状態となり、経済状態、収納スペース顧みず、
即手に入れます。
そう、女性のハンドバッグは
精神衛生面でも必需品なのでございます。
しかし、問題が一つ。
どんなに気に入り、タイマイはたいたバッグでも、どんなブランド高級バッグでも
必ず飽きてしまうのが困ったとこ。
そのスピードは男の比ではございません。
御用済みのバッグは押し入れへ…。
そして、一度飽きられたバッグは2度と陽の目を見ないのも、
凄いと言うか、潔いと言うか、残酷と言うか。
(バッグもオトコも同じ扱い…?)
誰にも遠慮はいりません、
買って、買って、買いまくって、
どうぞ株価も金利も上げてくださいませ!
世界の消費経済は
女性によって支えられているのでございますから。
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昨日は京都のスタジオでのモデル撮影。
初めて伺うスタジオなので、余裕を見てちょっと早い目に京都駅着。
京都駅からスタジオのある四条までは、
普段ならタクシーなら10分もあれば充分。
ところが!
あっ、忘れてました!
この日は祇園祭の宵々宮。
渋滞に巻き込まれ、30分。
それでも何とか時間までにギリギリ到着。
撮影は初めてお会いする、若手カメラマンの前田哲也氏でしたが、
素敵な写真を撮って頂き、上機嫌大満足でスタジオを後にしました。
外に出ると、
黄昏時の沿道は昼とはうって変わっての
祇園祭りワールド。

コンチキチン、コンチキチンと祇園囃子。
浴衣姿の若者達で溢れかえり、気温は36度!
賑やかやわ、うるさいやわ、暑いやわ、
あ〜うっとしいやおへんかぁ〜。
祭りは当事者でないと浮かれません。
大阪生まれの大阪育ちのワタクシにとってはどうでもよいお祭り。
みんなで仲良く大騒ぎが大の苦手なワタクシはどんどん白けるばかり。
ビニール巻きした動きもせん山鉾をじっと見て、
何が面白いんどっしゃろ…。
こないなとこ早よ帰りまひょ、帰りまひょと
タクシーを拾うべく、周りを見渡すと、
すべて車両通行止めやおへんかぁ〜!
大きい仕事道具せたろうて、どないしまひょ…
コンチキチンのお囃子の中を、
場違いなワタクシは人の流れをせき止めながら地下鉄へと流れ落ちました。
汗だくになって家にたどり着いても、
耳の奥では耳鳴りの如く、
コンチキチンが響きわたっています。
床に就く時も、耳の奥にベタ〜とへばりついたように鳴り響いてます。
極めて単純なリズムと旋律ながら、
耳から離れない奇妙で印象的な不思議サウンドでございます。
コンチキチン…
コンチキチン…
梅雨になるこの季節、
待ってましたとばかりの大好物が、
ハランキョウでございま〜す。

一見、トマトのようですが、
これはハランキョウ。
英語で言うなれば、プラム。
早い話が、すももでございます。
幼い頃は祖母がハランキョウと言っていたので、
いまだにプラムではなくハランキョウと呼んでおります。
ところが、
関西の中でもハランキョウと呼ぶのはピンポイントのようで、
同世代、大阪出身の友人は
ハダンキョウと呼んでいたと言い張るのです。
う〜ん?これは不思議。
狭い大阪の中でも、ラとダに変化するのか…。
で、気になるので調べてみることに。
すると正解は
ハタンキョウ(巴旦杏)でありました。
ワタクシも友人も不正解。
その昔、ITもテレビもない貧情報時代、
すももの呼び方も斯くも変化するのかと感心しております。
それにしても、
風呂上がりに食べる甘酸っぱい巴旦杏は最高!
でも、やっぱりハランキョウ!
己れの現実を直視しなければならないおトイレでは、
浮世離れした本を読むことにしております。
で、今週はこれ!

ソフィア・ローレンでございます。
もう、お若い世代はご存知ないでしょうね〜。
戦後の映画界に君臨したスーパー大女優の一人です。
その彼女を撮り続けた名カメラマン、
タジオ・セキアロリの写真集であります。
ソフィアと言えば、
ともかくメイクもヘアーもボディもファッションも
ド迫力な派手さ!
メイクなんぞはアゲハ嬢もたじろぐ、
付け睫の長さと量で、
芸能界ピカイチの厚化粧ぶりでございます。
でも、それ以上に
土台である、お顔の骨格がご立派!
何せこの骨格ですから、
どんなにメイクが濃くなってもバランスが取れています。
このあたりが、
やたらメイクが濃いだけのアゲハ嬢とは、一線を画すところ。
それともう一つの特徴。
走り方が、やたらゴージャスな女優なのです。
どんなに焦っても、姿勢をピンと張り、
巨大なバストとヒップを突き出したまんま悠然と走るのですから、
ゴージャスこのうえございません!

そしてトドメの走り方がこれ!

映画「ラマンチャの男」の折りのものですが、
何だか海から踊り出た恐竜のようで…。
こんな物凄い走りっぷりの女優は、21世紀の現代では皆無でございます。
お見事!お見事!
着物を見るのは大好きです。
趣味は日本舞踊で、下手くそなりに30年続けてますので、
着物に対してそれなりの目もあると自負してます。
歌舞伎やお能の伝統柄はもちろん、
女性の普段着である小紋や紬などの柄を見ていると
不思議と気分が華やいだり、穏やかになったり
と心地よくなります。
同じ柄でも、洋服のプリント柄や折り柄、刺繍は、きれいと感じこそせよ、
着物のようにここまで郷愁の感動を誘うことはありません。
そこが和服と洋服との感じ方の差です。
アイデンティティーやDNAと簡単に言ってしまえばそんなもんなんでしょうが、
生まれてこの方、日常ほとんどが「洋」の生活をしていているにも拘らず、
着物に対してしてここまで過敏に反応するのも不思議なものです。
そんな着物ですが、いざ自分が着るという段となると、
かなりおっくうになってしまいます。
見ると着るとではえらい違うのです。
日舞のお稽古等で人よりは着る機会は多いはずですが、
それでも何となく緊張します。
男の着付けですから、帯ひとつにしてもさほど難しいテクもなく、
貝の口(代表的な男帯の結び方)さえ覚えてしまえばあとはなんとかなります。
めったに着る機会のない袴は多少難しいですが、これも他人の手を借りるほどでもなく、
腰になじめさえすればそれなりに格好はつきます。
それでも着物を纏う時緊張させてしまうのは…
襟元です。
襟合わせが、なかなか自分のものにならないのです。
基本的に着物は全部同じデザインです。
袖の長さや、身丈の違い、みやつ口の有無があるものの、
男女問わずデザインはすべて同じです。
柄だけが違うのですが、紋付きともなると、
色もデザインも完璧に同じ。
制服みたいなものです。
ところが
襟合わせ、つまり襟元のデザインだけは、
着る人に委ねられるのです。
これは男物、女物を問わず着物すべてに言えます。
同じ着物でも、
襟合わせによって、全く違った雰囲気に見えてしまいます。
半襟の見え方や面積、Vゾーンの微妙な角度、
襟足の抜き方、緩め方等々で、
行儀の良さ、品、官能性、悦楽性、頭の良さ、あるいは悪さまでもが、
見事に露呈してしまいます。
優秀な時代劇の映画やドラマを見ていると、
その役柄の身分や性格や教養などを、
なんと
襟合わせだけで表現してたりします。
これなんぞは、着付け師の高度なテクニックと教養の深さの表れです。
このように着物は
着る人の人格が要求される、世界でも類いまれな民族衣装
なのでございます。
それやこれやと考えると、
紋付きはおろか、お稽古着すら襟合わせはいつまでたっても恐いものです。
自然に着物が肩に乗るまで、あと30年はかかるでしょうか。
ところで、ワタクシ個人な意見ですが、
女物の着物の場合、
半襟は絶対に白です。
しかも、できれば生地は塩瀬。
あらゆる着物に塩瀬の白が最も美しく映えます。
たとえ沈んだ地味な灰色の着物でも、白の半襟を顔のそばに置くことにより、
驚くほど清々しく華やぎます。
逆に、どんな派手な金蘭地の赤い着物でも、
生身の顔に合わせて、過剰な華美さをチャラにしてしまう力が
白の半襟にはあります。
最近、色襟や柄襟が流行っているようですが、
誤解を恐れず言うなら、とても俗っぽくなり、
頭までが悪く見えてしまうものです。
よほどの事がない限り色襟、柄襟はサイテーの選択でございます。
それほどまでに白い半襟には底知れぬ威力があるのです。
このように奥の深い半襟の世界ですが、
最高の水準まで格調高く着こなした日本女性がニ人いらっしゃいます。
一人は四世井上八千代。
京舞の宗家、井上流の先代家元です。
惜しくも98歳で2004年に天寿をまっとうされましたが、
亡くなる寸前まで舞われたその姿は、
言葉では言い尽くせぬほど毅然とした品がありました。
女史の襟の合わせ方は祇園花柳界独特の古典的なものです。
半襟を鈍角に詰上げ、着物は鋭角に合わせ、
白い半襟をたっぷりと見せます。
一般人が同じようにすると、完全に襟負けしてしまうほどの白面積です。
しかし、女史がなさるとそれは
芸術品!と呼べるほどの美しさです。
さて、もうお一人は
美智子皇后陛下です。
表面的には、一般にも通ずる極めてオーソドックスな襟の合わせ方ですが、
その微妙なバランスは、オーソドックスを超越して、
神の域まで達しているかのような品格です。
日本を代表する、
ナンバーワン半襟と言っても過言ではありません。
襟をじっと見ていると、その方の人格、人生観、豊かさまでが見えてきます。
お若い方々が、成人式で付け焼き刃で振り袖を着るため、
美容室に駆け込み着付けをしてもらってますが、
襟合わせだけは自分でできるように練習してください。
自分の格を決定するものですから、
決して人に委ねる部分ではありません。
それを感じ取れれば、
着物がもっともっと面白くなるはずです。
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