2008年09月29日

デカ顔礼讚2

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今からざっと半世紀前のお話。

その頃、私クシ小学生一年生だったしょうか。

年の瀬も差し迫ったある日、
母の買い物に付き合って百貨店におりました。

すると一階の会場で催しがあるとのアナウンス。

母に強引に手をひかれて会場に向かうと、
足の踏み場もないほどの黒山の人だかり。

その黒山の間からスポットライトを浴び現れたのは、
それまで見た事もない見目麗しき異星人!


児島明子さまのご登場でございます。


児島明子さま…今のお若い方はご存知ないでしょうが、
1959年度ミスユニバース一位のお方でございます。

森理世さんの大先輩にあたる方で、
世界一のプロポーションと美しさを兼ねた世界一の女性でありました。


八頭身といえば児島明子さま。

児島明子さまといえば八頭身。


八頭身の代名詞のようなお方で、
居並ぶ欧米列挙の美女達を蹴落として世界一の座を勝ち取ったお方でございます。

当時の日本は鬼の首を取ったような勢いで、
上へ下への大騒ぎでございました。

真っ赤な振り袖の上からミスコン襷をかけたお姿は尋常ならざるお美しさ。

周りのずんどうニッポンジンや我が母とは月とスッボン。


はきだめに鶴。

まさに異性人。


その異性人に向かって母はこう呟いたのを、
今でもはっきり覚えております…


「ひゃ〜、ちっちゃい顔やこと!」


…以来約半世紀、
小顔は美女の絶対条件であると私クシは信じておりました。
私クシに限らず、世の日本人皆そう信じ込まされました。

児島明子さまが世界一の座を勝ち取って以来、
古代モンゴルより連緬と受け継がれてきた
我々日本人のずんどう体型とデカ顔は見事に覆され、

小顔でなければ美女ではない、となってしまったのです。


以来、世のデカ顔に悩むオンナ達は雑誌やメディアに煽られ、
マッサージで顔を絞ったり、髪の毛で覆ったり、
シェーディングシャドウで輪郭をぼかしたりと
懸命なる努力を強いられてきたのです。


現代ではオトコも同じ。

イケメンオトコの条件の一つに小顔が要求される時代となってまいりました。


オトコもオンナも猫も杓子も小顔ブーム。


小顔でなければ悪。

デカ顔は罪であるかのような言われかたの昨今でございます。


確かに、少々背がコンパクトでも、
顔さえ小さければバランスが取れてそれなりに洋服も似合います。

小顔の方がデカ顔よりは可愛いげもありそう。


しかし、それがどうしたっていうのでございましょう!


少々顔が小さくたって欧米人の3D小顔には太刀打ちできません。

洋服が似合ったところで欧米人に比べりゃ、これまた月とスッポン

狭い島国の中だけで競ってもたかが知れたもの。

小顔は可愛いげがあるかもしれませんが、

可愛いげは憐れさと表裏一体。


グレートデンよりチワワの方が憐れでございます。

可愛いげなんてその程度なものであります。


最近、私クシある事に気付きはじめました。
私クシの周辺の人達ににデカ顔がやけに多いのでございます。

類は類を呼ぶわけではないのでしょうが、
信頼する人達は決まって顔がデカめ。

特に顔がデカい人を選んでいるわけではありません。

信頼できる人が皆揃いに揃ってデカいのです。


この事象はただの偶然だけではなさそう。


小顔の方々に言いがかりをつけるよう恐縮でございますが、
デカ顔の方が立身出世の率が高そうなのは、
以前のエッセイ「デカ礼讚」でも述べた如く。


それともう一つ、性格的にも違いがありそう。

私クシの苦手な性格というのがあります。


せっかち、姑息、イラチ、ケチ、貧乏クサイ、肝っ玉が小さい…

これらの気質はとても苦手。


私クシ自身の性格は棚上げして、
これら気質が身近の人から垣間見えるとハイサヨナラでございます。

男女問わず
「おおらか」さや「ゆったり」さが、お友達の絶対条件であります。

私クシの周りの大好きなお仲間は、
みんなこの気質をお持ちでございます。

となると、デカ顔の人のほうが、
この「ゆったり・おおらか」の気質を備えていそう。


人相学的にはどうかわかりませんが、
私クシの人生経験データではどうもその確率が高いのは事実であります。


仕事でメイクする時も全く同じ。


モデルさんや女優さんでもデカ顔の方達のほうが、
ゆったり・おおらかで何事にも泰然自若となさっています。


逆に小顔の方達は少々神経質で何事にも過敏に反応し…

と判断するのは早計でございましょうか。


そして、何よりも
オツムお味噌の容積にダントツの差がありそう。


もちろんデカくてもカラカラと音がしそうなよりも、
小さく密度の濃いほうが優秀でございましょうが。


いずれにせよ、デカ顔の人のそばにいると、

こちらまで気持ちがゆったりいたします。


児島明子様以来の日本人の小顔願望にも、
そろそろ終止符を打ってはいかがでございましょうか。

投稿者 tadashi : 10:13 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月29日

オスの旅路

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以前に比べ、最近はあまり外国への旅は行かなくなってきました。

もちろん出張は相変わらずですが、
プライベートな外国旅行となるとうんと数少なくなりました。

10年ほど前までは年に一度はコンサートや美術館巡りで、
長い時には一ヶ月近くはヨーロッパに滞在していたのですが、
最近は数年に一度の頻度。
しかも一週間以内の短期間集中型となってます。


旅の目的の一つは非日常を味わえることです。


同じオペラや美術を鑑賞するにしても、
超日常的な自宅から電車に乗って出かけるよりは、
24時間ヨーロッパの風景にかこまれ、
周囲も外国人だらけの方がほうが、
興奮度合いも余韻も増して数倍の非日常を味わえます。

いくらハウステンボスが頑張っても、あくまで西洋風。

風(フウ)がつく以上、正真正銘本物にはなり得ません。

つまみ食い程度の非日常でございます。

タイマイはたいて、長時間の飛行機に耐えても、
その徹頭徹尾の非日常性を味わいたく旅に出るのです。

外国への旅とは、私クシにとっては非日常日常化になる時空なのです…あくまで錯覚ですが。


それと同時にもう一つ大事なこと。

旅とは帰る場所が確保されている事を、

改めて認識できる機会でもあるのです。


たとえ、素晴らしい自然に出会ったり、
豪華ホテルに滞在して「帰りたくない〜!」と叫んでも、それはウソ。
帰れる場所が確実にあるからこそ「帰りたくない〜!」と叫べるのです。

誰も本気で帰りたくないなんて考えてません。
叫んで自分で高ぶりを盛り上げているだけのこと。

外国で酔いしれているその頭の隅では、
必ず日本の生活や自分自身の心の中を冷静に見つめているはず。

たとえ不満が残る日常であっても、
確実に日常が存在しているからこそ、
非日常(旅)に酔いしれることが可能なのです。

旅とは、出発と同時に必ずや帰還する宿命にあります。
帰れる保証があるからこそ元気よく出発できるのです。

帰る場所がなければ永住、もしくは放蕩です。


最近私クシの旅の頻度がめっきり減ったのは、
どうせ帰還するなら出発するのも面倒という怠惰ぐせか…
あるいは日常の中での非日常の占める割合が増したということなのか…。

そういえば益々日常のチャラチャラ度が増しているようでございます。


さて、コロッと話が変わって、オトコの浮気も旅に似ているかもしれません。

別に本命相手に不満があるわけでもありません。
むしろ逆で安心もすれば感謝もしている。だからこそ、浮気をするのです。
安心、安全、安定、それらが日常になるのをオトコは怖れているのです。


日常を確認したいがために浮気をする。


浮気することによって自分の心の奥底や日常生活を見つめているのです。
そして、オトコは必ずや帰還する宿命を知っています。


出会った瞬間、別れがあるのを熟知しているのです。
オトコの浮気は生理…とも言いますが、それだけではありません。
旅と同じく、安定した日常を認識できる機会でもあるのでございます…

ナァ〜んて、相当良識ある賢いオトコだけのお話!


ほとんどのオトコなんてナ〜ンにも考えてやしません。


本能、本能!


オスの浮気は本能でございます。

まして石田純一サマの仰るような文化なんて高尚なもんじゃございません。

アホなオトコは放蕩が大好きです。
日常を確実なものにできていないアホなオトコほど放蕩の旅に出るのが大好きです。


人間のオスも、犬も猫も猿のオスも一緒!


餌さえあれば、必ずや帰ってきます。


どうせメスに食い散らかされて、
行くとこなんてないんでございますから。


そして傷ついたオスほど可愛いものはありません。


放蕩するオスほど母性をくすぐるのですからタチが悪うございます。

それと、自分探しの旅に出たどこかの元サッカー選手が言ってましたが、
これは<>自意識過剰のナル放蕩です。


こういうオトコは関わらない方が無難。ほっときましょう。

投稿者 tadashi : 10:01 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月25日

アート眉のオンナ達

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メイクに関する質問も年代別によって異なります。

20歳代は、いかに可愛く目を大きくするか、そして
大きくなった目力メイクをいかに長持ちさせるか。

いわゆるモテ顔アイメイク。

それが至上問題。

ですので、アイライン、マスカラに関する質問が圧倒的です。


一方、40歳代以降でダントツに多いのが眉。

自分に合う眉型を教えてほしい。そして描き方を教えてほしい、
という内容が一番多いのです。

4.50歳代の人達が最初にメイクを覚えたのが20年程前。
つまり1980年代です。

時代はバブルの真っ只中。

男女問わず肩パットをいからせ、
そこどけそこどけワタシが通るの戦闘ファッション。
向かう所敵なしで、この世のバブルを謳歌してました。

その頃のメイクは、アイシャドーはピンクやパープル系で、
リップはショッキングピンクと目立てばヨシの極彩色メイク。
チークも縦にシャープに骨格を強調するストロング系。


で、眉といえば…極太!


しかも綺麗に整理整頓された太さではなく、野放し状態のゲジゲジ眉。

強いオンナは眉も強い…が80年代の主流でありました。

当時の眉メイクは生えっぱしの眉毛の隙間をチョイチョイと埋め、
眉尻をひと筆たす程度でよかったのです。
お手入れらしいお手入れをせずとも良かったのです。

適当に(適度ではありません)太けりゃそれでナンボの
バブル眉でありました。


なので…この時代にメイクを始めた40歳代以降のマダムは、
眉メイクが今もって下手クソ。

どんな眉が似合うか、どう形を整えればよいのか、
どんな道具を使えばよいのか皆目検討がつかないのです。


90年代になって、突然細型シャープ眉が出現してきても、
流行について行けず時代に取り残されてしまったのです。

しかるに、いまだに4.50歳代は眉に関する質問が圧倒的です。
それに輪をかけ彼女達の年代独特の性癖があります。


邪魔くさい…


今、女盛りが過ぎて、ホルモンが安定しない時期なのか、
あるいは夫や子育てから解放され、急に緊張感がなくなったせいか、
自分自身について邪魔くさいなる時期なのです。


邪魔くさいけれど綺麗になりたい。

綺麗になりたいけれど邪魔くさい。


この矛盾する切なる願望を叶えるがために、
彼女達はとんでもないある行動に出ます。


アート眉!


アートと言っても芸術性とは何の関係もない眉です。


タトゥー…早い話が刺青。


刺青というと特殊職業のお兄様方を想像するのか、
芸術とは何の根拠もない、しらじらしいネーミングをつけました。

なるほど刺青眉は便利そう。

毎朝、眉と格闘しなくても左右対称に眉がそこに存在してます。


夏の汗でも取れません。

前髪が触れても取れません。


スイミングスクールで泳いでも眉だけは不気味なほど健在。

形はきれいワ、左右対称やワ、取れないワ、
朝もゆっくりできるワ、と何拍子も揃って最高!

いいことづくめで申し分なし!


しかし、です…

肝心な事を置き去りにしているのです。

それは、アート眉は他人によって描かれたという事実。

自分自身で考え抜かれた眉ではなく、本人の人生とは何の関わりも持たない、技術だけを持った赤の他人、つまりエステシャンに委ねた眉です。


しかも、半永久の消えることのない眉。


いいのでしょうかねぇ、こんなことで。


そもそもメイクなんて自分自身で悪戦苦闘して悩むもの。

たとえ、私達プロがメイクしても、
それはあくまで一つのアイデアであって、
一生涯の顔を決定するものではありません。

カッコよく若返り美人になっても、お風呂に入ればハイおしまい。

翌朝には元の顔にきちんと戻っています。


しかし、アート眉はそうはいきません。


先ほども申しましたように、
半永久的にお付き合いしなければならないのです。

それに、刺青で描かれた眉は何とも不自然な雰囲気を醸しだしています。

もともと左右アンバランスな眉筋肉を無視して、
強引に正対称な眉を刻印するわけですから、かえって顔がチグハグ。

しかも、ぼかしたグラデーションもクソない極めてペッタンとした平面眉。
その異様さは10メートル離れた所からでも識別できます。


眉だけが別人格が乗り移ったようで、とても不気味なのです。


眉なんて毎日違って当たり前。
自分の眉の正しいあり方なんて分からなくっていいのです。
メイクなんて自分の顔と格闘し一生涯悩むもんです。


アート眉を施すことで他人に委託してしまった悲劇!


委ねや依存は我々生きる物の専売特許ですが、
眉ぐらいは他人に任せず自分自身で闘って頂きたい。


依存心の強すぎるオンナはアート眉を好むのです。


誤解を恐れず申すなら…
私クシ、アート眉のオンナを信用しません…でございます。

投稿者 tadashi : 14:08 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月18日

ピンクリップの正しい選び方

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最近、薄い色のリップカラーが流行っているようですけど、
ワタシの場合顔色が悪く見えて似合わないんですが…

なんて言う質問をよく受けます。

ワタシの場合でなくったって、
薄いリップは誰だって顔色が悪く見えます。

唇の色が薄くなるってことは血圧低下の典型的症状。


いわゆる貧血顔。


ですから、薄い色のリップを塗る場合は
他の部分で血圧を上げればなりません。


それは頬の色。


チークカラーが決め手となります。

頬が健康色でしかるべき位置にあれば、
唇が少々貧血色であっても頬で血圧を上げてくれるので
元気顔となり、口元が薄色でもほとんどの方は似合いになります。

なので、薄色リップ上手はチーク上手でもあるのです。


さて問題はそのリップの色目。


同じ薄い貧血色でもピンク系オレンジ系パープル系か、
あるいはオークル系か…

これも答えは簡単。

チークの色によります。

チークと同系色にすればよろしい。


チークがピンク系ならリップもピンク系。

オレンジ系ならリップもオレンジ系。

あいまい色ならリップもあいまい色にすれば、まあ間違いなし。


つまり、顔色を一つにまとめてしまうのが、王道の正統派メイク。

素顔の肌色段階で頬がオレンジで唇がピンクの人はいないからです。

基本的に人間の顔の赤みは同系色です。

それにしても、リップカラーはいつの時代においても
ピンク系がダントツに人気があります。

男性からの支持も圧倒的で、
特にパール入りピンクの人気は永遠不滅で
モテ顔必須アイテムでもあります。


ただ、ピンク系のリップ選びは意外と難しいのです。


ピンクとひと口に言ってもオレンジ寄りのサーモンピンク、

青色がほんの少し混ざったパープルピンク、

あるいは純正桃色に純白がほんのり混じるベビーピンク…と多種多様。


可愛いピンクもあれば官能的で大人ピンクもあります。


自分の顔色に合うピンク系リップを探しだすのは、
かなりの美的センスが問われます。

なぜならヘアカラーやファンデーション、
その時の服の色等々のバランスもあり、
ひとつ間違えるとかなりチープでお下品な
ピンクオンナの印象を与えてしまいがち。

(オトコはこのチープさがお好きなようですが…)


ものの本によると実は唇は、
人類の進化過程の段階で口内の粘膜が体外に露出したとのことらしい。

物を口に入れる時、その食物の触感や温度を
あらかじめ事前に予期するために発達したのでしょう。

つまり、唇の色は唇の厚い表皮を透して見える口内の色ということになります。

ならば、もともとの唇の正しい色は口内の色ということになります。

下唇を指でつまんで、ぐいと下に押し下げてみてください。


実に美しい口裏のピンク色が表れます。

サーモン系、パープル系、ベビー系が混ざって
渾然とした訳のわからぬ美しいピンク色。

これが貴方の正しいピンク色。


唇本来の色であります。


ピンクリップの選び方で迷えば、唇の裏側と全く同じ明度、彩度、
そして同じ色度のピンクを探しだして塗ってみてください。


つまり、唇裏と全く同じ色にしてしまうのです。


間違いなしの貴方だけのピンクが出来上がり!

間違いなくパ〜〜っと顔が明るくなり、高揚感の高まる顔となります!


これが正真正銘、正しいピンクリップの選び方でございます。

但し…正しいからと言って好きな色とは限らないとこがメイクの奥深いところ。

特に自己否定型メイクをする人—自分の顔かたちはもちろん、
自分の肌色も嫌う人—
は、この正しいピンク色を絶対好みません。

自立心の強いオンナほどこの傾向有り。


そういう方はオレンジ系、ヌード系、あるい燃える赤色をお塗りくださいませ。


でも、自分の正しいピンクを受け入れる事も大切。
自分自身を受け入れる事でもあります。


一度お試しあれ!


あぁ、メイクは奥深い!

投稿者 tadashi : 13:41 | コメント (0) | トラックバック

2008年05月30日

オスと男と種馬と

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オトコとオンナの関係はまことに難しゅうございます。

長年、恋愛期間中はあんなに仲良しだった二人が、
結婚したとたんに価値観の相違とかで即離婚。

逆にお付き合いの時はケンカばかりのヒヤヒヤの二人が、
結婚生活になると夫婦円満で死ぬまでオシドリ関係が続いたり。

不思議なのはお見合い結婚で、人生の価値観もお互いの性格も未知のまま結婚して、一生幸福な家庭を築きあげている夫婦もいます。

相性なんて、どういう法則によって成り立っているのか、
さっぱり分からないのでございます。


ところで、先日テレビのワイドショーを見ていると、
興味深いアンケートデータがありました。

オトコ側への質問で、
1日だけ恋人にしてみたい女性タレントは誰か?


その栄えある第1位が、なんと沢尻エリカ様。


意外と思われるでしょうが、質問の中に1日だけ…とあるのがミソ。
1日だけの恋人というのは、終日デートで、お食事、お酒、楽しい会話の前菜に始まって、メインディッシュのお床入りまでのフルコース。


実はオトコは、このお床入りがお目当てなのは明らかであります。


つまり、早い話がこの質問、
1回だけ寝てみたい女性タレントは誰か…でもあるのです。


あの、不遜な態度も、ベツに〜のシラケたお返事も、
そして日替わり派手メイクもお床の中では、
小憎たらしくもお床の中では官能的な可愛さに見えるかもしれません。

あるいはその女王然たる振る舞いを床の中でギャフンと言わせてみたいのがオトコの性のメンツでしょうか。


でも、やはり2日以上のデイトとなると、やはりアノテはうっとうしい…。


数日以上の恋人にするなら、人生を楽しくしてくれそうなタレントがいいでしょうし、まして共同生活を強いられる結婚なんてまっぴらご免。

結婚するには、オトコのポジションを優位にできる(ウソでもいいのです)能力、そして何があってもオトコをトコトン追い詰めない寛容さが必要なのです。

彼女にはそれらが根本的欠けていると思われているのです。


つまり、世のオトコ達は
お床入り用恋人用、
そして結婚用のオンナを微妙に嗅ぎ分け、
きちんと分類仕分けしているのです。


その証拠に、絶対に結婚したくない女性タレントの、
栄えある第1位もこれまた沢尻エリカ様!
(…あたり前と言えばあたり前。)


オンナに同様の質問をしてみると面白いかもしれません。


1日だけ恋人にしてみたい男性タレントは誰か?


例えば仮にキムタクだったとしましょう。


恋人=お床入り、恋人=結婚となり、

みんなイコールで一緒クタにしてしまうのです。


お床入りの最中、結婚生活も頭によぎり、
キムタクの優秀なDNAまで
ちゃっかり頂きたいと願ってしまうのは
オンナのサガでございましょう。


有能な種馬の遺伝子をゲットして子孫繁栄したいのは、
オンナの本能として理解できます。
しかし、ここをきちんと仕分けしなくてはなりません。


お床入り用オス、恋人用男、結婚用種馬。


これらは全く別の目的で、
用途別にオトコを仕分ける冷静な判断力
がオンナに求められるのでございます。

日本で最もセクシーなオトコと云われるキムタクも、
この3つを網羅できてるとは限りません。


ところで、お見合い結婚や政略結婚が意外とうまく行くのはこのせいで、目的はあくまでも子孫繁栄のための共同生活。

お床入りの行為も子孫繁栄が目的であって、
快楽プレイが目当てではないのですから極めてシンプル。

ですから、床入りの相性が少々悪かろうが、
性格の不一致で亀裂が入ろうが、
目的が明確なだけに結婚共同生活はゆるぎがないわけです。


そして、離婚の問題。


恋愛結婚なら自分たちが惚れたはれたで選んだ相手ですから、己の責任において離婚も容易。

しかし、お見合い結婚は運命あるいは神様が引き合わせてくれたお相手!


なので離婚も運命や神様に背くようで、
ちょっとやそっとで別れるというわけにもいかず…というのはあくまで建て前で、

お互いの相性についてもあまり真剣に考えないのかもしれません。

なにせ、もともと恋愛感情なんてなかったのですから。


なので時代錯誤と思われるもしれませんが、お見合い結婚はオススメします。


要は、お床上手は体をトキメかすオス。


恋愛は乙女心をトキメかす男。


結婚は子孫繁栄と人生をトキメかす種馬。


オンナはそれらをきちんと識別すべし。

この3つを同時に満足させるオトコなんてこの世に存在しないと認識すべし。

床上手なオトコが乙女心や人生をトキメかせてくれるなんて錯覚に過ぎないのです。

ちなみに、お床用オスは体育会系、恋愛用男は王子系、結婚用種馬は文化系をオススメします。


それともう一つ、オトコ側自身のこの認識度も大事。

自分はお床向きか恋愛向きか、あるいは結婚向きか…?


たいていのオトコはこの3つを網羅できていると自負しています。

しかし、それは危険な思い過ごし。

オトコの愚かさでございます。


自分自身の得意分野を認識していないと己の人生はおろか、

オンナの人生も破滅させてしまいます。

有能なオスは有能な種馬とは限らず、オンナのメスとしてのプライドを傷つけます。

そして、その火の粉は、必ずや自分に降りかかってくるのでございます。


お〜コワッ!

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投稿者 tadashi : 13:47 | コメント (1) | トラックバック

2008年04月11日

欧米人に勝てるか

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数年前、私クシが出演したの或メイクアップイベントでの事。
ひと通りのメイクショーが終わった後、最後はお決まりの質問コーナー。

いつもはお客様からの質問なのですが、
その日は500人規模のお客様だったので、
混乱を招かないように、まずは主催者側の女性司会者からの質問。

「あの〜海外に行って、フィフスアヴェニューやサントノーレとか歩いていると、
外国の方々がすごくカッコいいでしょ。
なのに日本人はとても地味で太刀打ちできないでしょ。
パーティーとかになると、もう惨め…これって何とかならないんでしょうか?」

んっ、どえらい質問です。

日本人にとって、触れてはならない問題。

特にこういった軽いノリのメイクイベントにはタブー。

なぜなら、あまりに大きな問題提議であって、
どちらかというとシンポジウム向き。

そのタブーに真っ正面から質問したこの司会者の女性、
本業は執筆家で、世界中を飛び回っているなかなかのキャリアウーマン。
頭脳明晰、容姿端麗、ファッションセンスも良く長い黒髪をたなびかせて闊歩する姿は、ミナミの繁華街においてはかなり目立つほう。

にもかかわらず、パリジェンヌやニューヨーカーに混じった時の
ウィンドウに映る己れの姿を見ると、あまりの地味さ、
影の薄さにがく然とするのだそうです。

そこで、先のような質問となったであります。


ハイ、とてもよく分かります。


私クシなんぞもヨーロッパでの音楽祭やオペラ、
特に初日やガラの日に当たると、それはえらい事です。

ご婦人方は豊かなデコルテをしっかり開け、
長い裾を引きずってもバランスのとれたボディ!
迫力あるイブニング姿です。

殿方のタキシード姿はみんな
T・クルーズやR・クロウのようで、
正真正銘の本物チョイワル。


まさに欧米列強!


そんな中にふやけた温泉卵みたいな顔で短足胴長、
かろうじて170センチの東洋人
がロビーでウロウロしても、
摩天楼の下でチワワがよたついているようで情けない限りです。
太刀打ちできるわけがありません。

で、先ほどのイベントの質問、私クシが答えたのはこう、


「そもそも、比べようとするのがおかしいんです。
比べた時点で我々の負け。日本人は日本人らしくしてればいいです。」


なんと模範的な解答でございましょう。

分かったような分からないような、キツネにつままれたようなお答え。

イベントにおいて、こういった難題をぶつけられた時は
禅問答のような答えではぐらかすに限ります。

とっさの質問に我ながらも上出来じゃわいと悦に入っておりました。

しかし、ホントにそうなの?
それで答えになってるの?
何が勝って何が負けてるの?
日本人らしくて、
いったいどういう事?

と、悦に入った模範的解答に自問し、
その夜は深く考え込んでしまいました。


前述したように外国の地における日本人の冴えない姿は、触れてはならない問題。

こと我が民族の美醜にかかわる問題。

それは解決不能と誰しもが察しているからではないでしょうか。
しかし、あえてタブーに踏み込みます。


結論を言うなら

洋服は西洋人を美しく見せるための衣服であって
どんなにがんばっても…!
我々には似合わないのです。


もともと張った肩をより豊かに見せ、厚い胸板をよりセクシーに、
くびれたウェストをより絞りヒップを強調する。

長い手足をさらに優雅に見せる衣服であって、
平面的な身体に立体的な衣服を着せても辻褄があわず、
ますます地味に見えるだけ。

アチラは服も構築的なら身体も顔も構築的なのです。
つまり、洋服社会での見映えにおいて日本人はボロ負け。


そこで負けじと闘志まる出しの日本人は
外国のオペラハウスや高級レストランに行くと、
己の影の薄さを上っ面の華美さで勝負に及ぼうとし、
着なれない派手な一張羅で一世一代の晴れ姿を試みます。

しかし、もがけばもがくほど、あがけばあがくほど泥沼にはまり、
欧米人の嘲笑を買います。

こうなる事を恐れる日本人はいつもの奥の手を使うのです。


着物!


「やっぱり日本人は着物よねえ。
着物は外国では日本人が一番よく映えて綺麗に見えるわぁ。
外人にも評判いいもの」


ほんとにそう?


評判がいいって、外人から見れば単に物珍しいと思って見てるだけで、綺麗で似合ってるなんて思ってもいないじゃないの?と私クシは申し上げたい。


普段着なれない着物を付け焼き刃で急にはおっても薄汚いだけ。


芯地がほとんどない着物は、
ひとつ間違えるとダラッとなり
小汚ないく見えるのです。


着物は着付けにキャリアや人格、
センスが顕著に表れてしまう、世界でも類を見ない難しい衣類です。


それに、西洋人が紬や友禅の奥深い美しさを、
とうてい理解しているとは思えないのです。
(日本人でも理解できてません)


顔が大きく胴長短小、樽型日本人には着物が最も似合うと私クシも信じてました。

しかし、過去の日本人が理想とした体型は
必ずしもずんぐり樽型ではないのです。

浮世絵や大和絵の美人画を見ると頭が異常に小さい西洋型。
有名な上村松園に登場する気品ある少女達も手足が長い。

法隆寺の観音様も文楽人形、博多人形もデフォルメされているとはいえ、
そこにあるのは、我々日本人がひそかに理想としていたのは何を隠そう八頭身!
いやそれ以上の西洋人的体系!

最近では玉三郎や小雪の生身の人間が証明するように手足が長い方が、
袂模様も裾模様もバランスよく、はるかに美しく見えるのです。

着物であろうが、洋服であろうが、
衣類は頭が小さく、手足が長い方が
美しく見えるのです。
洋服もダメ、着物もダメ…
我々日本人は、いったいどうすればいいの…

西洋人には、どうしても太刀打ちできないのか…


ハイ、諦めてもらいましょう。


パリやニューヨークに行ってもウィンドウに映る己の姿に目をやらない事。
無い物ねだりはやめましょう。

救いようがないのです。

しかし、ちょっと視座を変えてみると心が安らぐかも知れません。
これまで述べたのは、あくまで背丈や手足、頭の大小の物理的サイズでの話。

タッパもあり足が長い方がかっこ良く見えるのは、洋の東西問わずあたり前の話。

しかし、はなやかで美しいかといえば、これは次元の違う話です。

人の持つはなやかさとは、
肉眼でとらえられる身体の大小、長短、
そして美醜とは全く異なる次元にあるのです。


身体の内から発する美しい生命のエネルギー。


つまり、オーラ。


オーラに勝るものは ありません。


たとえ背が高く、手足が長く、整った顔であってもオーラのない人は地味。
逆に小さな身体でのっぺり顔であってオーラのある人は目立ちます。

人種の違い、そして衣類の華美とは関係ないところでオーラは存在しているのです。

華より花!


では、花のあるオーラはどのようにして身につけるか…
これは今日や明日では身につけれる簡単なものではありません。

私クシなりの考えがあります。が、あまりに長くなるのでまたそのうちに…

とにもかくにも、チワワでもオーラを纏えば摩天楼より
花やかな存在となると信じております。

生命の持つ美しい力と智力…オーラを纏う民族でいましょう!


て、それができれば苦労はない。


やはりキツネにつままれたような解答でございます。


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投稿者 tadashi : 15:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月19日

オトコの不在

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「ねぇー、最近きれいになってきたわね〜」

「そう〜お?」

「新しいカレでもできたんじゃない?」

「えっー、どうして分かるの〜?すっごい!」

「やっぱりねー、だって急ににきれいになってきたんだもん!」

「きゃ〜っ」


よく耳にするオンナ同士の他愛ない会話であります。

恋をするとオンナはきれいになるのか…


はい、なります。


オンナは恋をすると、必ずきれいになるのです。


職業がら、周囲に女性は大勢います。
その中でもモデルはメイクをする関係上、最も近い距離にあります。

下地クリームやファンデーションを塗る時は直接肌に触れるのですから、
彼女達の心の動きは、文字通り手に取るように分かるのです。

一点を見つめる虚ろな眼差し。力の抜けた口角。

高揚感からくる、うっすらとした肌の赤み。

寡黙になるかと思えば、不意打ちにくる饒舌さ。

そして、常に携帯を握りしめ、受信メールを確認する頻度の多さ。


まあ、これだけ条件がそろってれば、ほぼアタリ。

恋をしているのは間違いなし。


きれいに見えてるのは、先のうつろな眼差し、
力の抜けた口角、肌の赤み
のせいです。


早い話が、ボ〜として上の空。心ここに在らずのお顔。

この表情が、恋をしてるオンナをきれいに見せるのです。

オンナの表情の中でも最も優しげで、儚く無防備な状態です。


例えば、竹久夢ニの絵に登場するようなオンナ達。

彼女達の顔はもちろん、四肢に至るまで無防備。
ただいま完全に恋に陥っております、という顔と体つき。


しかし、そんなうつろな表情も、恋するオトコと会う時、
つまり、カレが目前に現れるとすべてが一変します。


視線はオトコ一点に注がれ、口角には意志が出はじめ、

突然、フツーの顔に引き戻されるのであります。


恋するオトコが傍らにいるよりは、不在な方が明らかにきれい。

オトコの不在がオンナをきれいに見せる…のでございます。


傍らにオトコがいない分、いいにつけ悪いにつけ妄想は好き放題、
勝手放題、やりたい放題にどんどん増殖します。

心の中に起こるフツフツとした恋心は暴走するとコントロール不能となります。

それらは幸福という言葉では単純に片付けられない複雑なもの。

嬉しい、楽しいという感情に、さらに不安感も伴うからたまりません。

妄想の中での甘美の吐息と不穏な息苦しさが同居する
妙なシチュエーションに自ら酔いしれ、
胸が押し潰されそうになるのです。


早い話が、恋に恋する乙女。


だから、遠距離恋愛、単身赴任、出張中は心が燃えます。

恋する乙女はオトコが不在な方が燃え上がるのです。

オトコはただの恋心の触媒であって、
対象物があろうがなかろうが関係なく乙女は恋に恋します。


〜話はそれますが、だからオンナは芝居が好き、映画が好き、芝居が好き、バレエが好き、冬ソナが好き、バーチャル世界に没入しやすいのです。〜


話は戻って、申しますが、

オンナにとって切ない恋心は格別で居心地よく、
周囲に不思議な桃色のフェロモンまで撒き散らすのです。

さて、このオトコがいながら恋に恋するシチュエーションって、
よくよく考えるに結局は自分自身に恋してるに過ぎないのではないでしょうか。

恋する不安定な心にはまっていく自分自身がいとおしく、
可愛くって、あるいは可哀想で仕方ないのです。


哀れな自分が何よりいちばん可愛いい…


自分自身に恋してるからこそオンナはきれいになる。

そうでもしなけれゃオンナはきれいに生きられないのかも…。

とは、乙女オヤジの戯言としてお許しくださいませ。


さてさて一方、逆にオンナの不在が
オトコを格好良く見せるのか
という疑問も起こります。


残念ながらそれはあり得ません。


基本的にオトコは現実の社会と対峙する生き物ですから、
妄想や虚構の世界に恋することはオンナほどはないのです。

恋に恋することはオトコはほとんど起こり得ません。

たとえあったとしても現実の社会の繁忙さで
重症に陥ることなくすぐリセットできます。

この男女の想いのギャップがオンナをさらに不安に掻き立てられ、
言い知れぬ不安な快感に陥るです。

オトコの不在は恋するオンナをきれいします。

でも、美しく輝いているかといえば、それは話は別。

きれいでも輝いているとは限りません。

オンナを美しく輝かせるには、

オトコの存在と恋を愛にまでアップグレードさせる覚悟と
忍耐が不可欠なのでございます。


つまり、

〈恋〉は自分への思い。

〈愛〉は相手への思い。


オトコ不在の恋するきれいさは、一過性の自己満足ってこと。

でもねぇ…ないよりマシ、恋の過ちはオンナを進化させます。


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投稿者 tadashi : 10:03 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月22日

紺の怖さ

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私クシのクローゼット、ご覧になるとさぞやびっくり仰天なさるかと思います。

端から端まで、
紺、紺、紺…紺色ジャケットだけがハンガーにおさまって紺ズラリ。
紺一色の世界。

そして、タンスの中はといえば、
白のシャツのオンパレードで真っ白け。
白一色の世界。

ジャケットもシャツも異なるのはビミョーなデザイン違い、生地違い、
お値段違いで基本的には全く同じ風情。

よくもまぁ、ここまで紺と白ばかり買ったもんだと我ながら感心しております。

ところが、そんなに紺と白がお好き?と聞かれれば返答に窮します。


消去法でいくと、白と紺しか残らないというのが本音。


を着ると、もっとエンジン吹かして!、と強引に強精剤を飲まされているようで焦ってしまいます。

黄色も同じく、元気の押し売りで、無理やり作り笑顔をだしているようで却って疲れます。

ピンク系は見るぶんにはいいけれど、心に潜む乙女心を露呈しているようで気恥ずかしい色。

茶系はその落ち着きはらった甘さで癒され過ぎて、心も体もダラけます。

かといっては肌色が迫力負けして、非常に難しい別格の色。


というワケでが残ってしまった次第であります。

色ごときに私クシの心や生活リズムを支配されたくはないのです。

紺と白の組み合わせなら、
色にイニシアティブを取られる心配もなく自由な行動ができそう。

カラーリストのお姉さんにあれが似合う、
これが似合わないと言われても一切関係なし。


春夏秋冬、毎日、毎日紺ジャケに白シャツ。

冠婚葬祭も限りなく黒に近い濃紺のスーツに白シャツ。なんでもかんでも紺白。


これにはまってはや15年、
アホのひとつ覚えの紺白人生でございます。


厭きないの?と聞かれます。


はい、飽きません。


ところで、紺と白の組み合わといえば、制服がよく使うテであります。

制服フェチな私クシとしては紺白コンビの制服はたまりません。


ひと昔前のスチュワーデスのお姉さんや海軍のセーラー服のお兄さん、
パイロットのオジサマ、…皆様揃いに揃って清潔感があり
ストイックに見えてIQも高そう…。


心の中を最も見透かされにくく、
清潔でストイックな組み合わせが
紺と白なのでございます。


紺ジャケの袖口からほんの僅かのシャツの白を覗かせるだけで、
その人の手首はもちろん人格まで緊張感を漂わせ、
ストイックでしかも清廉潔白な人生を送ってるように見えるから不思議です。


私クシのような享楽主義で欺瞞的な人生観を持った人間は、
取り敢えず紺ジャケ白シャツでカモフラージュしていれば、
でそれなりに見えます。
ついでに、IQも多少はupしたようにも見え、アホさ加減もごまかせます。

この辺りが厭きない理由でありましょう。


話は戻りますが、
クローゼットの中のずらりと並んだ紺ジャケットはほとんど同じデザイン。

男物ジャケットなんであたりまえですが、襟があって、
3つボタンでポケットがある…デザイナーズブランドは絶対着ない主義ですから、
基本スタイルばかりの同じジャケットがズラリ並んでいます。


しかも全て紺。


と、なると異なるのはクオリティの差となります。

一口に紺と言ってもピンからキリまで。

ここがおもしろいところ。

ハンガーに掛けられてるのですから、見えるのは横一列に並んだ紺色の袖だけ。
にも拘わらずそのジャケットのクオリティの差は一目瞭然に分かってしまいます。

微妙な紺の染料の差、微妙な布地の差、
微妙な仕立て具合の差は袖の紺ひとつで全体の品質の差まで見渡せてしまい、
微妙どころではない大きな品質隔差となって表れるから怖いのです。

朝、その日の気分で選ぶ一着も、袖だけ見てほぼ一回でアタリ。

全く同じ条件のモトでは、物事の本質が却って明瞭に見えてきます。


これは人間が紺の制服を着たときの関係も同じ。

同じ紺色、同じデザインの制服を着せると
人間そのものの人格の差までもが露呈してしまうから紺の制服は恐ろしい。

これは黒や白の制服を着せるよりも顕著です。


糸ヘンに甘いと書いて紺。しかし決して甘く見てはなりません。


一見誰にでも似合う色に見られがちですが、一筋縄ではいかない色で、
着る人をバッサリと拒む色でもあるのです。

これを胆に命じて、私クシは紺を着るようにしておりますが…まだまだ…。


まあ、あと30年は紺修行を積み、
90歳過ぎれば、ヤケクソでピンク爺さんになってやろうかと思案中でございます。

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投稿者 tadashi : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月31日

悩める食事の会話

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忘年会に新年会、ディナー、披露宴、パーティー、宴会、お食事会…
なんと楽しそうな響きでございましょうか!と言いたいとこですが、
実は私クシこれらが大の苦手。

晴れがましい場所がイヤな訳ではありません。
むしろドンチャン宴会や業界パーティーはオスキで、
人と話したりするのも決してオキライなほうではございません。
時事評論から人の陰口、悪口、噂話に自虐ネタに至るまで話題は豊富なほう。

では、何が苦手なのかというと、

食べながら喋るという単純な行為が苦手なのでございます。

というか、口の中に物を入れた状態でお喋りができないのでございます。

これがお悩み。

幼い頃、親にうるさく言われたのが、
お箸の持ち方と静寂なる食事。
私クシに限らず、我が世代の人間は子供の頃からこの二つの事をうるさく言われたのです。

お箸の持ち方がわるいと祖母に手首をパシッと叩かれたもんです。
そして、ご飯を食べる時は、
お茶碗の底を見ながら静かに食べなさいっ、と。


つまり、テレビはおろか、よそ見厳禁、

食事中の私語も厳禁。


従って、幼い頃の我が家の夕食はテレビはつけず、音をたてず、
家族の会話もなく、ただひたすら食べ物を口に運んでいるだけの、
お通夜のよう食事風景でありました。


小学校の給食でも同じ。

規律うるさい私学に行ってたせいもあるでしょうが、

お昼ご飯の時のお喋りはご法度。

おまけに背中に定規を突っ込まれ姿勢正しく食べなさい、
と厳しくしつけられたもんでございます。

そんな昼ご飯なんて楽しくないじゃない、と思われるかもしれませんが、
これが決して窮屈とも思わず、
むしろ私クシにとっては快感でした。

昭和30年代の歴史に残る悪名高き学校給食…
雑巾臭い脱脂粉乳も発泡スチロールのようなコッペパンも、
静かに食べるとマズくは感じなかったから不思議なもんでございます。


要は楽しく会話しながらの食事なんて必要なし。


食べるという行為にひたすら集中し、
食物を与えてもらった神仏に感謝しがら食べましょう、
食事中の会話は不浄であり、お喋りは食事が終えてから思う存分どうぞ…
食べる時は食べ物に集中、喋る時は会話に集中、
という訳です。


それが世の常識であり絶対的価値観であると
親からも学校からも、これでもかと叩き込まれたのであります。


ところが、どう…!

東京オリンピックあたりから事情が徐々にジワジワと変わりはじめました。


そして、西洋の文化や食事マナーが生活の中に浸透し出し、
70年代万博の頃になると、
『食事は会話を楽しみながらしましょー!』と、
なってしまったのです。


そりゃあ、ないでしょーよ!

そりゃあ、あんまりでしょーよ!


よそ見をしたら叱られ、ただひたすらお茶碗の底を見つめ、
親兄弟や友達と会話する事も許されず、
禅僧のような食し方をやっとのことで身につけた頃になって、
今までのはぜーんぶウソ、と言われるようなもんで、
これは文化大革命並みのショック
さでございました。


雀百まで踊り忘れず、と申すがごとく幼い時に仕込まれた習慣は、
半世紀以上生き延びても、ちょっとやそっとで変更できるもんではございません。


食事中に喋れと言っても、何を喋ったらよいのやら。


食べる事に全神経を集中してたら他の事は考えられず、
会話なんてできようはずもございません。


だいいち、食べ物を口のどこの位置に定めて舌を動かし、
喋ればいいのでしょうか。


動物だって食べながら会話してるなんて見た事もございません。
当家の猫だって食べる時は必死。呼んでも振り向きも致しません。


食べる行為と喋る行為を同時にできる
世間の皆々様の器用な脳ミソと舌の構造を是非とも拝見しとうございます。


喋りながら食べる、食べながら喋る…そんな複雑な行為を、
エレガンスな食事マナーと呼べるのでしょうか?


私クシには理解の及ばぬところでございます。


然るに、複数の人との食事はいまだ苦手。
お食事会に誘われると、とても気分が憂鬱。

箸を手に持ったとたん、
急に黙りこくってもご機嫌ナナメでも疲れてるわけでもないので
ご心配には及びません。

食べ物に集中し、食べる幸福感を噛みしめているだけで、会話は上の空。

たとえ格好つけて喋っても、
トリュフやご飯ツブが口から飛び出すこと間違いナシ。
箸を置いたと瞬間に、急にチャラチャラと喋り出しますのでご安心くださいませ。


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投稿者 tadashi : 11:06 | コメント (0) | トラックバック

2007年12月06日

オトコはなぜ化粧しないのか

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よく聞かれる質問に、

どうして男性って化粧しないんですか?

あるいは、男性の化粧はどうするんですか?

…があります。

ここで、着目しなければならない点が一つ。
この質問をするのは、決まって女性側。
つまり、普段化粧をしている側からの質問なのです。

この質問、裏を返せばどうして女性は化粧をするのか、
あるいはこんな楽しい事をどうしてオトコはしないのか、でもあります。

我々の仕事では男性モデルやタレントにも必ずメイクをします。

だいたいは、目立つシミをコンシーラーで消して、肌色を少し整え、
ライトによる乱反射を抑えるためお粉をポンポン。
あとは必要ならば眉をチョンチョンと足すぐらい。

シンプルで単純なように思えますが意外と難しく、
要はメイクをしているのがバレないようにするのがポイント。

バレないように…
つまりはオトコはメイクをしてはならないという
不文律が洋の東西を問わず存在しているのです。

過去にはあるにはありました。

ロココの貴族達の夜の白塗り。

豪奢な服やヘアスタイルとバランスを取るために、
また薄暗く光るシャンデリアの下で自らの存在を、
まっ白の顔で誇示していたのです。

日本においては戦国時代に武士達が出陣前には
やはり白塗りをしていたという事実もあります。

美しい死に顔も武士道の身だしなみ。

しかし、これらは一部の特権階級独特の耽美的な発想で、
歴史的に見ても一般にはオトコは化粧は浸透したことがありませんでした。


オトコは何故に化粧をしないのか…

オンナは何故に化粧をするのか…


これらは、とても難しい問題で
メイクの仕事に携わっている私クシにもなかなか結論が出ません。

そこで考えてみます…。
オンナは華やかな存在でオトコは剛健で地味な存在。

一般社会ではそのような概念となっておりますますが、
果たしてそうなんでしょうか。

確かにオトコは紺か黒のスーツにネクタイ締めて
七三分けの髪型が一般サラリーマン。

一方オンナはスプレーで盛り上げたヘアにミニスカート、
ピンクのリップにピンクのネイルにパールやビーズ、ラインストーン、
そしてマスカラのてんこ盛り。これが一般的OL。

こうなるとどう見てもオンナの方が目立ち、
オトコに勝ち目はなし。

しかしです、それは人工的に装おった上っ面だけの話であって、
肉体的にはオトコの方が派手な存在です。

仮にです、仮に人間が生まれたままの状態で、つまり化粧は勿論、
服も着ずヘアカットも髭も剃らずに生活していたとしましょう。
ならば、オトコの方が肉体的には明らかに目立つ存在です。

体格も顔もデカく、髪の毛も体毛も豊富、
ちょうどオスのライオンのようであります。

動物界ではメスよりオスの方が派手だけど、
人間界は逆なんていわれてますけど、そんなのウソ。

生まれたままならやはりオトコの方が派手で、ライオンも猫や犬、
孔雀も鯨も鯉もカブトムシもみんなみんな同じ事でございます。

獲物を獲得し、敵を倒すには、強靭な筋肉とで大きな躰が必要、
威嚇するにはデカイ顔やたて髪が物を言わします。

動物界において、種を存続させ繁栄させるには、
そのようなオスの肉体が絶対不可欠であります。

そして、戦い生き残りができるオスは
そんな派手な肉体をメスに誇示しようとします。

当然、メスは子孫繁栄を願うわけですから、
力強い立派なオスのDNAを獲得しよう躍起になります。

なので、力強くデカく派手な肉体を持つオスはもてるのです。
人間界も全く同じ。

文化系より体育会系がもてるのは、このせい。
(但し、若い世代のみ。中年期以降は教養ある文化系がもてます。)

では、動物界のメスは何をしているかといえば、特別何もしてません。

自然に出るフェロモンを適当にまき散らしてるだけで、特別な誇示は何もしていません。
あくまで受け身。

これは、動物界だけに許されることであって、人間界ではこうはなりません。

知性ある人間のメスは、先ほど述べたように己れの地味な肉体を知っています。

優秀なオトコの遺伝子を獲得するには、
じっとして何も起こらず、取り残されるだけです。

ですので知性ある人間のオンナは地味な顔にメイクをして目鼻立ちを目立たせようとなり、
ファッションという手段で己れの肉体を誇示しようとします。

大奥やハーレムのオンナ達が華美を競ったのもこのためで、
その美容法やファッションは現代まで影響を及んでいます。

メイクはオンナのたしなみといわれますが、
そんなの上っ面のキレイごと。


優秀なオトコを獲得したいがための、肉体の誇示であります。

パール入りピンクのグロスで可愛くみせたいのは、オスへのアピール。

他人の迷惑顧みず、ラメてんこ盛りネイルを塗るのも
オスへのアピールと、そして
自己愛。

まずは自分のことが可愛くて可愛くて仕方ない…と思わないと、誰が思う…!

自己愛の強いオンナは、オトコからいとおしく思われるのを
メスの本能で知っているのです。

〜地味な肉体を悟り、オスにもてようとする自己愛がオンナにメイクをさせる。〜

私クシは斯様に考えます。


若い世代はそれでいいのですが、ではオバサマ世代のメイクは何の為か?

〜オスにもてようとする〜の部分だけ削除するとおよろしい。


さて、話しをうんと戻して最初の質問です。
オトコはどうして化粧をしないのか?…です。

もうお分かりかと思います。

オトコにはすでに派手で目立つ肉体があり、己れの肉体をかさ上げしたり、
華美な装いをしてまでも誇示してようとする自己愛がオンナに比べ欠如しているのです。

上っ面の華美さで勝負するより、頭が良く、力があり、
仕事ができ、いっぱいお金を持って帰るオトコの方が
結局もてるというのをオトコ自身は悟っています。

オトコはメイクをしたって
何も楽しくありません。

大きなシミがあっても全く気になりません。
唇がくすんでても、ウソをついてまでピンクグロスを塗りたいとは思いません。

美しい肌だと思ってたオトコが、朝おきるとシーツにファンデーションがついてたら百年の恋も一瞬で吹っ飛ぶでしょ。

動物界のオスも人間界オトコも全く同じ。


違うのは、身をやつす知性があるかないかの違いだけで何の大差ございません。

社会を生き抜いていけ、家族を守る強靭な肉体と知力があればそれでヨシ!

化粧の力を借りずともオトコは充分もてるのであります。

これが、オトコが化粧をしない理由の現段階における私クシなりの結論でございます。


如何?…地味だからメイクしているといわれたオンナ諸君、御反論ありましょうか?

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投稿者 tadashi : 09:57 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月21日

オヤジの三種の神器

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薔薇に囲まれ、ピンクの花柄トイレットペーパーを使用し、
フリルのパラソル大好きな乙女オヤジ…しかし戸籍上は普通のオヤジ。

所詮はただのオッサンでございます。


その証が私クシのオヤジの三種の神器。
どうしても手放せ無い、切っても切れない
3つのオヤジアイテムがございます。

それは、

床屋

ナイロンタオル

缶コーヒー


この3つだけはどうしても諦め切れません。

こんな仕事をしているので、さぞかし今どきでファッショナブルなヘアサロンで
カットをしているかとご想像かと思われますが、さにあらん。
家のお向かいの、いたってフツーの床屋さんに何十年も通っております。

オヤジさんと手伝いの奥さんの二人だけでやっている、
古典的風情の散髪屋さんであります。

美容院がなぜ嫌かと言うと理由は一つ…雰囲気がダルいから。

穴だらけの汚ない私服で、茶髪のシャギリまくったアホのホストみたいな美容師に「いらっしゃいませ〜今日いかがなさいますかァ〜〜」と貧乏臭い作り笑いで接客されると、

そのツラをハッタァしたくなるのでございます。


意味もなくハサミを振り回しながら、「何の仕事してるんですかァ〜?」なんて初対面で聞かれりすると、ほっといてくれ!黙って切りなさい!と叫びなくなります。

アホはアホらしくおとなしくしてればいいのでございます。


その点散髪屋さんはよろしゅうございます。今の通っている散髪屋さんは、
何十年も私クシの仕事すら聞いた事もございません。

その店での私クシのデータファイルは
向かいのマンションに住んでいる事と猫好き。

知ってるのはそれだけですから、会話も何十年もそれのみ。

あとは寡黙にシャキシャキとリズミカルにハサミを動かして刈り上げているのみ。
首筋にあたる快速金属触感が何より気持ちイイ〜のです。

髪の毛を切り刻んでいるという実感があり、
清涼感に向かってまっしぐらに突き進むような快感がたまりません。


この感触だけは、いくら頑張っても美容院は太刀打ちできません。

美容院は接客もカットもまことにダルい。


入浴のボディー洗いもダルいのは嫌いでございます。


乳液入りのハーブソープで泡をたっぷりたてて、
スポンジでソフトに洗う「乙女洗い」はダルくていやでございます。

昔ながらの洗浄力勝負の固形石鹸をたっぷりナイロンタオルにこすりつけ、
ゴシゴシ洗い。

多少赤くなるのは覚悟のうえ。
こうでもしないと一日の疲れがとれずシャッキといたしません。
ナイロンタオルの鋭利な感触がないと洗った気になれないのでございます。
(勿論、お顔だけはソフトに)


で、問題は缶コーヒー。

仕事を初める時、あるいはひと仕事終えてホッとした時、
手放せないのがこの缶コーヒー。

ドリップで煎れた香り高きカップコーヒーではございません、缶コーヒーが好きなのでございます。

シアトル系のストロー付きではございません、缶コーヒーでないと駄目でございます。


香りもなく、前頭葉を刺激するマズさ!


一日に二缶が限界でそれ以上飲むと吐き気をもようす下品な甘さとエグさ…!


それが、たまらなく好きでございます。

しかもそのマズさは缶入りでないと話になりません。

陶器カップでなく、ストローちゅうちゅうでもなく、
あの安っぽい金属の鋭利な感触が口唇に触れるからこそ魅惑倍増。


このマズさと感触はオンナ、コドモにはとうてい理解の及ばぬところ。

考えてみるに缶コーヒーのCMはすべて男向けに作られて、
まことにオス臭く汗臭い宣伝が多い。

缶パケージにしてもピンクの花柄やレース模様は皆無で、
黒色、茶色、金色、銀色がメインカラー。たとえ赤でも、くすんだ海老茶色。

コンビニに行くと、缶コーヒーが陳列しているその一画だけは
男子寮のような佇まいを呈してまことに男臭い。


しかも、そろいにそろって120円均一。


とても選択肢が狭く選び易いところも大変結構。


すべてにおいて下品で安っぽいところあるからこそ、
不思議と身体が奮い起ち、
やる気が出るのでございます。

このあたりがオトコにお気に召される所以。
陶器カップで煎れられた薫り高き美味しいコーヒーは癒されこそすれ、
身体に刺激がなくやる気が出ません。

たとえシアトル系が益々美味しくなろうとも、
容器やストローがプラスチックであるかぎり気分はダルい。

缶の安っぽい金属が口に触れるからこその命。

缶コーヒーは、コーヒーの分類に入れてはならないのです。
これは全くの別の飲み物。


戦いに挑むオトコの必須アイテム…戦闘体制甘味料とでも申しましょうか。


どんなに世の中が高級志向なろうが癒し系志向なろうが、
缶コーヒーだけは永久不滅でございます。


考えてみるに、私クシのオヤジ三種の神器に共通しているのが、
「鋭利感」。

床屋のハサミにしても、ナイロンタオルにしても、缶コーヒーにしても、

この鋭利な感触があります。


もともと、オスは戦うのがお好き。


他者より勝り、獲物やメスを捕らえ、領土を拡げて己の種の存続と繁栄を企む事。

それが、オトコ達の野望であり本性。

それには鋭利な武器という友が必要。槍や刀、甲冑、銃、戦闘機…
オトコ達はこれらが大好きであります。

戦争反対!と叫ぼうが、人命最優先!と唱えようが、

この殺人凶器をオトコ達はこよなく愛しております。

日本刀の研ぎ澄まされたエッジを見て

ムラムラと興奮するのはオトコぐらいなもんであります。

銃も刀も全く興味がない私クシでございますが、
これらの鋭利な物に触れると、我が体内に潜むオトコのDNAがメラメラ目覚め、
生きる覇気が出るのかもしれません。


普段はフリルや薔薇の花々、宝石に心は癒されていようとも、いざオトコの出陣はやはり鋭利な感触で奮い起ち。


所詮はただのオッサン。

この3つの神器なくしては生きていけない、我がオヤジのサガでございます。


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投稿者 tadashi : 13:35 | コメント (0) | トラックバック

2007年10月23日

日傘オンナの栄光

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秋の気配が日毎に深まってますが、
今年の夏も執念深い紫外線の下では、
UV完全武装オンナ隊をどっさり拝見いたしました。

日焼け止めクリームにサンバイザー付き黒帽子、
黒覆面に肘まである黒ロンググローブ、そして…憧れのレース日傘。

あぁ、何と勇ましい出で立ちでございましょう!
天敵の紫外線と果敢に闘う女戦士の如きでございます。

私クシも日傘を持ちたい!

あの優雅極まる他人迷惑な日傘を持ちたい!


羨ましゅうございます。


しかし、いくら乙女オヤジを自認してようが、
オヤジが日傘を持つ事は、現代ニッポンにおいて
後ろ指を差されるであろう事ぐらいは承知しております。
世間の後ろ指、世間の嘲笑が怖くって日傘は未だ持つ勇気がございません。


その思いが強過ぎるのか、テレビ番組「別人マダム」の屋外ロケでは
フリルてんこ盛りのおフランス製日傘を持っております。

が、これはあくまでもテレビ用。視聴率UP用。

世間の目を気にする度胸なしの私クシが、
普段そんな格好をして巷を歩いているわけがございません。

しかしです、オヤジだっていつ何どき出てくるか予測し難いシミを恐れており、
その発症は可能な限り遅らせたいと切に願っているのであります。

私クシは、日傘オンナを羨望の眼差しで眺めております。


ところで先日、興味深いNHKの番組を見ました。

日本語ペラペラの在日外国人達が、
日本人や日本の社会について奇異に見える事象を、
言いたい放題言いがかりをつける、日本人にとっては
自虐的ナルシズムの快感をくすぐられる番組です。

風鈴の音を聞いても涼しく感じないとか、
なぜ日本の街には自動販売機がやたら多いのか…とか、

褒めたり、こき落としたりと散々言い放った後、
ある若いフランス女性がご発言。


「日本人オンナの日傘ってとてもヘン!オカシイ!
世界中探しても日傘を差してる女はイナイ!
あんなのはヨーロッパでは前世紀の遺物。今、誰もイナイ!」


まわりの外国人達も「ソウソウ、カッコワリィー!」と。


へえ、そうかァ…そうだったんだ、とため息まじりに感心。


私クシここで2つの事実にやたら驚いたのでございます。

一つは、世界中のオンナはみんな日傘を差してると思ってなのに、
今は日本だけなんだァ…という事実。

そう言えば、夏にヨーロッパでもアメリカに行っても
日傘西洋オンナを見たことがございませんでした。

カリフォルニアの青い空の下でヒルトン姉妹がレース傘を
差したところを見た事ございません。

それどころかガンガンに強い日差の下でも、
おベンツの屋根全開で走ってらっしゃいます。

私クシ、目からウロコでございました。

日本の日傘は世界から見れば時代錯誤も甚だしかったのです。
これは衝撃の事実でございました。


そして、もう一つの衝撃。

紫外線を気にする日本のオンナの姿は外国人からみればカッコワルかったのです。

彼女達の言い分。

「なんで黒くなっちゃイケナイの?
なんでそんなにシミやソバカス気ニスルの?
日焼けはカッコイイジャナイ…もっと大事なコトアルッ!」


なるほどごもっともなご意見です。

シミよりもっと大事な問題は人生においては山積している筈。

自分の肌よりも守らならなければいけない事は世の中にいっぱいある筈。


美白、美肌至上主義の日本の日傘オンナは外国人から見れば滑稽で能天気なだけに映るのでしょう。


でもねぇ…と私クシは敢えて申し上げたい。

そもそも、我々東洋人の肌って何色だとお思いで?

黄色人種って言うぐらいだから当然に黄色!

と、考えている事がそもそもの間違いでございます。

いろんな人種のモデル達をメイクしてきましたが、
日本人の肌はぜんぜん黄色くありません。

白人の方達がちょっと日焼けした方がはるかに黄色ぽく見えます。

白人独特の僅かにピンクがかった肌色が紫外線を浴びる事により
オレンジ色がかった健康的な黄色に見えるのでしょう。


では、我々の肌は何色か?

くすみ色でございます。


残念ながら、ただくすんでいるだけでございます。


日本人の肌は表皮が厚いためか、肌色の中に僅かながら緑の色素が潜んでいるのです。


実は、その緑色がくすみの原因。


もともとくすんでる肌が日焼けすると、当然ながらくすみがエスカレートします。

ひと昔前のガングロくらい真っ黒なら、
くすみも黄色も言ってられない迫力がありますが、
日本人の中途半端な日焼けはドス黒く淀んだ肌色で、
かえって不健康に見えるだけでございます。

日焼けは健康的でカッコイイというのは、
そんな事情を露も知らぬ西洋白人のご発想。

いにしえの平安の昔から、御簾の中から浮かぶ白い肌は
高貴で奥ゆかしく女らしさの象徴とされてきました。

それ以来一千年以上の長きにわたり、
日焼けオンナが美しいなんていう美意識は日本文化にはないのです。

戦後の日焼けブームは西洋かぶれの一時的な気紛れでございます。
オレンジ色に輝く日焼けした白人オンナと、
ドス黒くくすむ日焼けした日本人オンナとでは、存在自体が月とスッポン。


根本的に日本人の肌には日焼けは向いていないのです。


そして、紫外線から守られた白く陶器のような肌…
そんなシミひとつなく透き通り壊れてしまいそうな美白オンナを、
日本男子は確かにお好きなのです。

緑の色素を含んだドス黒いオンナはオトコにもてないのを
日傘オンナは本能的によーく承知しているのです。


どんなに外国人から蔑まされようが、
どんな言い掛かりをつけられようが、日傘でお肌をお守りくださいませ。


もてる事はオンナとしては最重要課題。


美肌美白至上主義で何が悪い。


滑稽でカッコ悪くて何が悪い。


この少子化の世の中、人類存続のためには、実にまっとうな考えでございます。


オンナとして最後に栄光を勝ち取るのは日傘オンナでなのでございます。


そして、そして、世の乙女オヤジ達も日傘を持とうではありませか!


オヤジだってシミがあるより、
無い方が良いのに決まっております!美白オヤジで何が悪い!


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投稿者 tadashi : 09:46 | コメント (0) | トラックバック

2007年09月21日

心のグラデーション

vol30.gif

教えられるよりも、教える方が、より学ぶ事が多いようでございます。

プロを育成する講習をするようになってから十数年になりますが、
様々な事を生徒達より教わったり、気付かされたりしました。
なーんて言えば、きれいごとで体裁を取り繕っているように
聞こえるかもしれませんが、

ホントにそうです。

自分では何の努力もせずとも簡単にできるテクニックも、
実は生徒達にとってはかなり至難の技であったり、
逆に何年も費やして得たテクニックが、
いとも容易くやってのけるツワモノ生徒がいたりと…

そんな日には落ち込んで眠れず自暴自棄に陥ります。

そのなかでも、線とグラデーションの関係には考えさせられました。

メイクにおいて描くという行為には、
たった2つのテクニックしかありません。

それは、線を明晰に描くことと、
グラデーションを柔らかく施すこと。

基本的にはこの2つのテクニックしかないのです。

例えば、線テクはリップラインや眉尻、
そしてアイライン等。

最近のリップグロスてんこ盛りなどは線が明確ではないですが、
濃いリップカラーとなると、やはり線が明晰な方が
清潔感があってきれいです。

そして、暗い部分から明るい部分に向かって
徐々にボケて消えて行くのがグラデーション。

アイシャドーやチークカラー、
そして柔らかな眉頭がそれにあたります。

この2つのテクの複雑な組み合わせによって、
同じ色を使っても顔の印象は随分変わります。

グラデーションの場合、
明暗の幅が広くなればなるほど、情感が深く、
さらに広くなると退廃色の濃い印象になります。

線がシャープになればなるほど、
緊張感のある顔となり、時には挑戦的、
攻撃的な雰囲気までなります。

さて、その線とグラデーションのテク、
生徒達の実習を見ていると、どんなに優秀で器用でも、
最初からこの2つともが上手い生徒がいないのです。


必ずどちらかが上手でどちらかが苦手。


つまり、線をきちんと描ける生徒は柔らかく煙り立つような
グラデーションが苦手。

グラデーションが上手な生徒は切れるような線が描けず四苦八苦。

線派とグラデーション派にはっきりと二分割されてしまうのです。

この2つのテクをそれなりに習得するにはかなりの努力が必要。

努力のかいあって会得したとしても、
必ずどちらかが微妙に不得手で、この問題は一生つきまといます。


生まれながらに線とグラデーションの2つが超絶的までに美しいのは、
ダ・ビンチぐらいではないでしょうか…それでも彼は最期は
グラデーションの人でした。

さて、自分の技量を棚上げしながらも生徒達に指導していると
面白い事実を発見しました。

それは、線派とグラデーション派はただテクだけの問題ではなく、
心の問題でもあると。


テクと心はシンクロしているという事実です。


まあ、当たり前と言えば当たり前なんですが、
これが実に興味深い。

線が苦手な生徒は、心が絶えず揺れ動いて、
焦り、動揺が見え隠れしてヨレヨレの線となってしまいます。

しかし、そんな生徒でもグラデーションを描かせば、
何も教えなくとも幅広いボカシができ、かなり上手な場合もあるのです。

そんな生徒は心のグラデーションの幅も広い。


心のグラデーション…例えば、真っ黒の部分が心の闇としましょう。
悲しい、辛い、苦しい、あるいは痛い。

そして、最も白い部分が心の明るさとしましょう。
楽しい、嬉しい、愉快、気持ちがいい、というような。


その幅が広いということは、感情の幅も広いのです。


生まれたての赤ちゃんの感情は2つだけ。
笑うと泣く、この2つのみ。

つまり、黒と白の感情しかなく、きわめてに近い幅です。

しかし、大人になるにしたがって様々な感情や情感が入り交じり
複雑化して、黒から白に向う幅がどんどん広がっていきます。

これが、心のグラデーション。

様々な種類の感情が豊富に心に存在していること。

悲しみから喜びまで沢山の段階の感情を持っている事。

そうすると物事や人の心をキャッチする能力にも長けます。

総じて、線の上手な生徒に比べ、
グラデーションが上手い生徒の方が感受性が強いように
思われます。


ただ、若い場合は心の揺れが安定せず、ブレも起こります。
ですから、線を描くと同じようにブレます。

反対に線のきれいな生徒は心も安定してブレません。

黒と白の、つまり悲しみと喜びの感情の境界が明確です。


複雑な情感もなく悪く言えば単細胞。


しかし、単細胞にも利点があります。
細胞が単純ですから迷いがありません。

迷いがないので、結論も早く仕事もテキパキ。

そして何よりも、線が伸びやかで大らか!


かくも心とテクはシンクロし