2006年07月11日

オヤジの乙女ゴコロ。

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「乙女の祈り」というB級クラシック曲をご存知でしょうか?
お若い世代はご存知ないかもしれませんが、私くしの幼い頃、
化粧品会社のTVコマーシャルによく使われていた、
幸せいっぱい、清く正しく美しく、
誠に脳天気な響きのピアノ曲でございます。

40年前に習った、うす汚れたこの譜面を取り出し、
久々にピアノに向いながら、私くしはある事を考えております。

50才を過ぎ、自他共に認めるオヤジ属に加わった頃から、
我が心の異変に気付きだしたのでございます。

初期の頃は、心の奥深くジンワリと。
近頃は、はっきり行動、言動に顕著に現れるようになってまいりました。
それは、


乙女ゴコロの芽生え


でございます。

50を過ぎて遅蒔きながら、
やっと芽生え出したオヤジの乙女の心の動きでございます。

しかし、これが思いの外、実に楽しいのでございます。

それまで、月に2〜3度活けていた家の花は、ほぼ毎週に増え、
しかも大輪系薔薇限定。
玄関先には10本、お台所には3本。

薔薇のない生活なんて考えられません。

たとえ出張先の安ホテルでも、必ず一本は活けており、
朝起きれば、ゴージャスな花に向かって「おはよう」と声を殺してそっとご挨拶。
花に癒され、花びらの艶やかさを享受したいのでございます。

そして…誓うのです。

次に生まれてくる時は、きっと薔薇になって見せるぞと。

以前使っていた黒塗りのカルティエのボールペンは何処へやら。
今はアビステの総ラメ、キラキラボールペンに変わっております。

キラキラといえば、スタジオ用スリッパも名刺入れも、
フリスクのケースも、キーホルダーも、

いつの間にやらすべてキラキラのラインストーン系。

光モノを毛嫌いしていた30代の頃には信じ難い行動であります。
衣服はマットでシックに、小物はキラリと光モノのケバさで
心の辻褄を合わせております。

以前はナイロンタオルで角質をゴシゴシ洗い落としてた洗顔法も
最近はきめ細やかな泡をネットで作り出し、
表皮を傷つけることなくソフト洗顔。

乙女の天敵はもちろん太陽。


乙女は太陽に当ると溶けるのです。

乙女オヤジの柔肌を守るべくパナマ帽とSPFで紫外線を完全阻止。

うなじや手は言うに及ばず、シャツの間から見えるデコルテも忘れず厚塗りガード。
後半生もできるだけ美白を保って長生きしたいと願っております。


三度の飯より好きなのが宝石。


これもダイヤとサファイア限定でございます。

なけなしのお金をはたいて買った宝石は、
アクセサリーとして身を飾るためではありません。

あくまでも我が心を豪奢な輝きで満たしたいため。
ですからおやすみ前には必ず身につけます。

眠りを安らかにいざなう睡眠導入剤でもあり、
きらびやかな朝の目覚めを約束する覚醒剤のようなものであります。

朝の光をとらえ、七色に反射させるダイヤの輝きは、
生きる勇気を必ずや与えてくれるのでございます。


40代半ばの頃、おのれのオトコとしての度量に気づき、
カッコイイ系のチョイワルオヤジになることをさっさと諦めました。

そして、厚かましくパワーアップするがため知らず知らずの間に
オバサン化していたのです。

しかし、50を過ぎた頃からは、御多分に洩れず、
人生に対する、言い知れぬ寂寥感と焦燥感がやってまいりました。
人生の折り返し点を過ぎれば、自分の周りの人生景色も見極めがつき、
諦観すらしてしまいがち。

厚かましくパワーアップしてオバサン化だけしても、
周りからうっとうしがられるだけでございます。

この年になって周りの人間から見放されとうはございません。

そこで、思いきってギア−チェンジ。

パワーアップせずパワーダウンさせ、人間にスキを作り始めました。

有り難いことにスキがあると、人はその隙にやってきてくれます。
寂しかったら寂しいと口に出し、人に素直に甘えればよろしい。
焦っているなら焦っていると憚らず口に出せばよろしい。

何かに守られたい、何かに依存したい、可愛いがられたい、
自分をこれ以上壊されたくない、穢されたくない、
できることなら清く美しいままで死にたい。

こう願い、祈るのは乙女ゴコロと同じでございます。
そしてそれを躊躇なく行動に移します。

私くしの場合は、美しくゴージャスな物に心を依存しております。

薔薇、宝石、光モノグッズ…。
そして、SPFという白馬に乗った騎士に、お肌を守られております。

オバサンだけでなく、オヤジの心の中にも
乙女ゴコロは必ず密んでいるのです。


オバサン化したオジサン達はオヤジ乙女へ進化するのでございます。


団塊の世代のオヤジ様方、どうぞ悩んでいる場合ではございません。
さっさと心を切り替え、乙女ゴコロを身につける事を進言いたします。
乙女ゴコロは人生を脳天気にさせ、
とてもとてもラクチンな余生を約束してくれるのでございます。

団塊乙女世代と呼ばれようではございませんか!


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投稿者 tadashi : 11:10 | コメント (1) | トラックバック

2006年06月15日

サッカーなんて大嫌い

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4年に一度と言えば、うるう年にオリンピック、そしてワールドカップでございます。
うるう年はともかく、スポーツに全く興味のない私くしにとっては、
オリンピックやワールドカップなんぞは、どうでもええお話でございます。

とくに今年はワールドカップの当り年とかで、
巷ではサッカー、サッカーとうるさいこと此の上もございません。

サッカーについては、ほとんど無知な私くしとしては、
今回の出陣チームメンバーでも、顔を知っているのは、
イケメン霊長類みたいな面立ちの中田ナントカ氏ぐらいなもんで、
あとはみんなひと括りであります。

だいたい「W杯」と書いて、ワールドカップと読むなんて知ったのはごく最近。
「指宿」と書いてイブスキと読むより、はるかに難解であります。

もっとも、「WC」と書く方が、もっと混乱を招きそうで、
なるほどよく考えたものじゃわいと日本人の知恵にあらためて感心しております。

では、なぜにスポーツの中でも、特にサッカーに興味がない、
と言うよりむしろ嫌いかというと、それは


お下品だから。


あらゆるスポーツの中でも最も野卑な部類に属していると
考えております。

その理由は三つ。

足で物(ボール)をケルという行為。
ケッた物(ボール)を敵陣に入れるという行為。

そして、ゴールした時や勝った時の選手達の感極まった野蛮な行動。


幼い頃、襖やドアを足で開けたり、物を足で動かしたりしたら
よく叱られたものです。

日本では、足は手よりも不浄とし、足蹴りにするのは、
人であれ物であれ、以ての外。

では、日本古来から「蹴鞠」があったあったではないかと
仰るかもしれませんが、
あれは鞠を地に落とさないように、蹴りあげるという行為であって、
決して地面をゴロゴロさせて敵と競うものでありません。

八人が輪になって何回鞠を上げることができるか、
そのために装束を簡略することもなく、形式も流派もある、
まことに典雅なお遊戯なのでございます。

輪になってバレーボールを突き合う足ヴァ−ジョンのようなもので、
みんなで仲良く遊びましょう的スポーツなのでございます。

バスケットボールや野球、アメフトのように敵味方別れて
点を争い合うような野蛮なスポーツではございません。

そもそも、日本には敵陣を作り、敵陣に追い込むような
戦う団体スポーツなんてなかったのです。

流鏑馬にしても弓術にしても、柔道、剣道、すべては、
人間形成を運動によって造り上げる、心と体の競技。

相撲も、一対一の個人の技量を争うもので、神道にのっとり、
いかに潔く、美しく勝負を決めるかであって、

勝てばすべてヨシというような

お下品な西洋的スポーツではないのです。


日本の競技はすべてエレガント。


長い歴史の中で、国土を侵略されたことも
侵略して成功したためしもない我々は、
こういった何が何でも敵陣に追い込み、やっつけるスポーツは苦手なのです。

敵と戦うという下品なDNAが根本的に欠如しているのです。

ですから、負けてモトモト、勝てば棚ボタでございます。


私くしは、テレビにサッカーが写し出されると、ガチャンと電源OFFにいたします。

勝ったからといって、走りまくって、
あげくの果て神聖なるユニホームを脱ぎ捨て、
雄叫びをあげる勝者の姿なんて、見とうもございません。

獲物を奪い取ったサル山のボスのような形相であります。

とは言え…

スポーツ競技はお下品な方が面白そうだし、
闘志むき出しの野蛮なオトコ達の方が鞠を優雅に蹴ってるお公家さんより、
よほどセクシーに見えるのも事実でございます。

<閑話蛇足>

どうか、日本チーム様、優勝して竹島も油田もついでに取り返してくださいませ。
奪い返すには、蹴鞠民族の奥床しい知恵だけでとうてい無理でございます。

あなた達のサッカー根性まる出しの戦いっぷりが何としても必要でございます。

と、これは叶わぬ望みでしょうか。

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投稿者 tadashi : 10:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月17日

ノーブレスオブリジェ

ノーブレスオブリジェ

先日、オーストリアはザルツブルグのイースター音楽祭に行ってまいりました。
この音楽祭は今回が二度目。
昨年、あまりのコンサートのレヴェルの高さに味をしめて、
今年もあの異次元世界を求めて行ってきたのです。

やはりスゴイ!のです。

何がスゴイって、ラトルを初めとする世界超一流アーティスト達を
ずらりと揃え、四日間ぶっ続ける内容の濃さもありますが、
それにもまして、聴衆側、つまりお客のレヴェルが
これまた物スゴイのでございます。

今回はそのお客達の話です。

その前に、このイースター音楽祭なるものをちょっとご説明申し上げます。

元々は、あの帝王カラヤン様がご自分率いるベルリンフィルは世界一だよーっ
生まれ故郷ザルツブルグで見せびらかせたかったのが事の始まり。
夏のかの有名なザルツブルグ音楽祭のウィーンフィルに負けじと対抗して
イースターの時期に国際的な音楽祭を催したのです。

まぁ、言わば独裁者カラヤンの故郷に錦のリサイタルみたいなもんです。

で、彼の死後、その遺志をついで、
現在はサー・サイモン・ラトル氏が音楽総監督に着任し、
この音楽祭を仕切っておられます。

そこで、問題はそのチケット入手法でございます。

夏のザルツブルグ音楽祭は先着優先、顧客平等、極めて公明盛大であります。

ところが、このイースター音楽祭なるものは、
100%すべてが会員制。

ここが他の音楽祭やコンサートと決定的に異なっている点です。

この音楽祭、別名カラヤン同窓会とも言われており、
ホールの中央には今もなお、カラヤン未亡人がカラヤン信者の会員を従え
女王蜂の如く鎮座まします光景が見られます。

信者といえどその会員になるのは至難の技で、
現在の正会員達があの世に旅立たれ空きが出るのを
ひたすら我慢強く待たなければなりません。

たとえ、あの世に旅立たれても、会員の権利を子や孫に譲られる事は
十分考えられますので、まあはっきり言って私が生きている間は
正会員になるなんて大それた考えは止めた方がよさそうでございます。

では、なぜ正会員でも、カラヤン信者でもない、
東洋の果てからやってきたお前如きがチケットを入手できるかって?

そこは、それ、ヤミルートというか、

お金のチカラというか、

日本の代理店を通じて…です。


話は戻って、その会員達ですが、当然オーストリアだけに留まらず、
フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカの世界各国から
この日の為に押し寄せる、超ド級のお金持ち。

しかもただのお金持ちではありません。

お金も暇ももちろんですが、

知識も見識も鑑識も常識も博識も

あり余る程「識」をお持ちな、

世界トップハイクラスな人達でございます。


その面立ちは、昨日や今日のITであぶく銭を濡れ手で粟で掴んだような
卑しき成り金顔などではなく、

由緒正しき家柄のDNAが、はっきりと顔に刻み込まれ、
ノーブルな香りがプンプンと漂う、
ルネサンスの肖像画に出てきそうな

スーパーエレガントフェィスであります。

コンサート会場でのご婦人方のしっかり大きく開けたデコルテには、
巨大な宝石がまばゆく居すわり、

ダイヤモンドは手の親指大、

サファイア、エメラルドは足の親指大で、

ゴロゴロ、ギラギラと音をたてて輝いています。

その宝石のセッティングも、現代的なセッティングではなく前世紀初頭の
エドワーディアンスタイルや、アール・デコであることからしても、
代々続く、元貴族クラスであろうと拝察できます。


そういった日本では絶対見る事のできない人達ですから、
立ち居振る舞いも実にお見事。

休憩時間となっても我れ先にとバーやブッフェやトイレに向かって
全力疾走する人
なんて誰もいません。(歌舞伎座とエライ違います)


ロビーは何となく人が集まり、ざわめきがあっても、
実にゆったりと、大らかな空間となり、
そこには目には見えない高貴な秩序が生まれているのです。

それはまさにヴィスコンティの映画のワンシーンです。


そして演奏中もすごい。

初日は、ドビュッシーの「ペリアスとメリザンド」。

芸術性は高いのですが、少々のオペラ好きでも敬遠してしまう
難易度の高いオペラです。

何せ、フランス語の抑揚のないお経を
延々四時間以上も続けているようなもんですから、
オペラに興味のない人なら、30秒で熟睡間違いなしです。

にもかかわらず、この会員達は身じろぎ一つせず、誰ひとり船を漕ぐこともなく、
異常とも言える高い集中力でもってこのオペラを鑑賞しているのです。

ちなみに、時差ボケだった私くしは、最後の一時間は、
完全に意識がぶっ飛んで昏睡状態でございました。

コンサート会場だけではございません。

ホテルでも彼らはスーパーエレガント。

夜の一分の隙もないフォーマルな出で立ちは当然ですが、
感動的なのは朝食の風景。

ノーメイクで、朝だから適当な服で…なんて絶対なさいません。

殿方は朝食といえど、きちんとジャケットオン。

御婦人もニット姿ではなく、ツイードやライディングジャケットをお召しです。

ヘア−スタイルも、朝から手をかけてブローしたり、
一巻きニ巻きして自分達の髪質髪色を最大限生かした
ヘアースタイルでお出ましなさいます。

こういう時、日本人の茶髪、黒髪のシャギー切りっぱなし、
パーマかけっぱなしのヘア−スタイルはほんとうに薄汚く見えるのです。


ここで断じて申し上げますが、
日本人のカジュアルやラフの履き違えは

単なる怠慢、不潔、汚れで

アチラのホームレスの人達の方が余程エレガント
に見える事を肝に命じていただきとうございます。

顔も体系も西洋人に劣る我々は同等のカジュアルは貧相になるだけです。


そして、私くしが泊まったホテルの朝食は
ブリティッシュブッフェスタイルだったのですが、
食べ物の周囲に人が集まっているのを見た事がありませんでした。

そこだけは、いつもガラガラ。

つまり、人が食べ物を取っている間は、
彼らはいつも遠慮してテーブルで待機し、タムロを避けているのです。

ですから満席の朝食にもかかわらず、朝刊のめくる音だけが時折する
ゆったりとした静謐なダイニングとなるのです。

ああ、なんと美しい朝食風景だったことでしょう。


「ノーブレス・オブリジェ」という重要な言葉が西洋にあります。

高貴な人間は、それなりの責任と義務を負わなければならないという意味です。

では、戦争が起これば、まっ先に武器を持ち、戦場に向かわなければならない。

天変地異が起れば、まっ先に被災地に向かい、人々を救わなければならない、

という事です。

では戦争も災害もない、平穏な時には優雅に遊んでたらいいのかというと、
そうではありません。

勿論義務があります。


それは、エレガントである事。


先人達が創った、芸術、文化を継承し、それを育て上げ、後世に残し伝える事。
それは、何も音楽や絵画に限った事ではありません。

立ち居振舞、服装、言葉…つまりは「生きる行儀」を示さなければいけないのです。

たとえ濡れ手に粟でもお金を握ったなら、
それに比例して「生きる行儀」も持たなければいけません。

今回の旅行で私くしはそれを再認識いたしました。

お分かり? ホリエモン殿。

投稿者 tadashi : 12:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月19日

美しき目玉焼きの食し方

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東京で最も好きなホテルはどこかと問われると、
躊躇なく銀座「ホテル西洋」と答えます。

部屋からのうらぶれた銀座のビル屋根の景色に目をつぶりさえすれば、
間違いなく東京で最もエレガントなホテルでございます。

ただ豪華なインテリアや、ハイプライスなホテルなら
他にもあるでしょうが、ここのホテルが、他と一線を画しているのは
そのサービスにあります。


まことに貴族的。


タクシーで到着するや「お帰りなさいませ」と笑顔でドアマンに迎えられ、
正面大階段を登り、コンシェルジェデスクへ。
(フロントデスクなんて下品なものはこのホテルにはございません。)

簡単にサインだけ済ますと、モーニングコート姿のバトラーの案内で
いつものお気に入りのお部屋へ。

そこは私くしのリクエスト通り、デスクランプのワット数も、
窓の開閉もすべていつも通り。

アメニティーも一日使いきりの簡素化された、しみったれたものは一切なく、
デカイ石鹸、デカイ歯ブラシ歯磨き、デカイバスタオル、デカイバスローブ。
アロマオイルもケチケチしてなく、ドカンとひと瓶。
まことにラグジュアリ−。(帰り荷物がナゼか増えます)
スタッフの笑顔や態度は快い慇懃さ。

ディズニーランドやリッツカールトンあたりで見られる、
アニマルが貼りついたような笑顔なんてなさいません。

信じ難いことに、10年程前までは、なんと朝刊にはアイロンがかけられ、
客の手を汚さないような配慮がされていたのです。
(残念ながらこのサービスは今はありません。)

現在も、宿泊客とレストラン利用者以外はあの正面大階段を登ることは許されません。
つまりは関係者以外は入館できないのです。


ああ!なんと古典的で懐古的で保守的で

排他的なホテルでございましょう…!


他では絶対見られない封建的香りがプンプンする正真正銘のエレガントなホテルでございます。

そんなホテルですから、勿論朝食もラグジュアリ−。
本物の蜂の巣付きのハニーに、小皿というには大きすぎる皿に
溢れんばかりに入れられた各種のジャム。

余ったらどうしはんねんやろ…とよけいな事を考えさせられる程の贅沢さでございます。

「卵料理はいかがいたしましょうか?」

こんなホテルでは料理人の腕を伺い知るためにも当然オムレツとするべきなんでしょう。
が、
「目玉焼き…いや、フライドエッグ。片面焼きで半熟でお願いします。」

と、気取って注文。
(アメリカで両面焼きのカリカリの目玉にされた苦い思い出があります。)

私くしは、その半熟片面目玉焼きが大好きなのでございます。
家でも時間がある時はジュージューしております。

でも、たかが目玉焼きといえど、ここの卵は別格。

黄身は限りなくオレンジ色に近く、
こんもりドーム球場のように盛り上がっております。
白身もプリプリと弾力性があり、
やっぱりいつも買うコンビニ卵とはあまりにも差があります。

ところが、そんな大好物の目玉焼きも、いざフォークとナイフを手にするや、
溜め息と共にピタリと手が止まってしまうのです。


どうやって食べたらいいの…


家の目玉焼きなら、適当にペロリとやっちゃいます。
でも、ここは超セレブの集まるホテルのメインダイニング。
メートルドテールの黒い服の目もありゃ、一見上品そうな紳士淑女の目もございます。

こういった重圧にいとも簡単に私くしは屈するのです。

貴族的なサービスをしてもらいたかったら客側も、
付け焼き刃にしろエセにしろ貴族的マナーを示す義務がございます。

白身はまだいいのです。フォークに何かと乗っかります。


問題は黄身。


間違って銀のナイフに触れようものなら、薄皮を破って黄身がドロリと溢れ、
収拾つかなくなってしまうのはご承知の通り。

黄身とナイフは犬猿の仲でございます。


ああ、私くしの大好きな黄身ちゃん…。


黄身で汚れた高級皿ほどきたならしい物はございません。

で、よくあるテは、パンでぬぐって食べるという方法。

おフランス料理などの皿に残ったソースもパンでぬぐって食べましょう。
−なんてよく言われますが、
私くしこのパンでぬぐうという行為がどうも好きになれません。

とっても卑しいと思いません?

汚れた床をモップで拭いて、
そのモップを食べているように思えて仕方がないのです。

パリのマダムもこうして食べるのよ、と言われるのですが、
パリの上級マダムがこんなモップソースを食している
現場を未だ見た事はございません。

アメリカのインスタントセレブあたりがフォーマルの場でわざと
カジュアルを気取って、それがカッコイイと見せつけたのが始まりかもしれません。
いいかげんな「自由、平等」の精神はお行儀まで悪くしちゃうのです。
アメリカってホントお粗末…。

なぁんて考えているうちに白身ばかりを食べてしまい、
黄身だけがポックリ残ってしまう事態となります。

で、その黄味をフォークですくって一口でポイとお口へ、といきたいとこですが、
そう甘くないのが黄味のシブトイところ。
よほど気をつけないと、口に入る直前でボタンと落ち、
そこいらじゅうが黄味の海となります。

黄味とフォーク、これまた相性が悪いのでございます。

そこで、ウェイターの方にお願いして大きめのスプーンを一つ。

フォークの背でいたわるように黄味をそっとスプーンに乗せ上げます。

そして、黄味をお口の中へゆっくり運び込み、
めでたく味わうことと相なります。


ああ、スプーンと黄味とのハーモニー!


これがエレ伝流、目玉焼きの美しき食し方でございます。

ただし、気をつけないといけない事が一つ。

黄味を乗せたスプーンを丸ごと口に入れる事。

それにはできるだけ大きな口を開ける事。
淑女にはお勧めできかねます。

たかが目玉焼き。されど目玉焼き。

エレ伝泣かせの目玉でございます。


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投稿者 tadashi : 09:08 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月15日

粉飾ネイルの穢れ

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もう、お察しかとは存じますが、
私くしは人後に落ちぬ程の保守的、排他的指向の強い人間でございます。

自分のファッションにしても、行きつけのレストランにしても、
そして人間関係においても、一旦気に入るとトコトン。

トコトン気に入るとその枠から一歩たりとも出ることなく、浮気もせず、
より深く、より長く関係を続けるタイプの人間であります。

お気に入りのレストランも、私くしの愛用のバッグも、
当方スタッフ達も、みんな10年以上のお付き合いで、
ただ目新しいという情報だけでは受け入れることを絶対に拒む、
実にイヤーなタイプの人間でございます。

とは言え、これは自分の世界においてだけのことで、
他人の生き方、嗜好には口をはさまないことにしております。


特に、女性のメイクやファッションには
むしろ逆に寛容すぎるほど寛容なつもりでおります。


乾燥ひじきのマスカラも、スプレーとワックスでカラスの巣になったような
後頭部盛り上げヘアーも、ドロリと滴り落ちそうなリップグロスも、
そしてもうすっかり鳴りを潜めてしまったガングロも、

もし私くしがオンナなら一度はやってみた事でしょう。


オンナゴコロの琴線にふれるオシャレは大好きです。


木枯らし吹く寒空でも、ナマ肩、ナマ足を見せびらかしたい気持ちも解ります。

炎天下の夏空でも、
汗疹覚悟で首に毛皮をまとわりつけたい気持ちも解ります。

ケイタイをラインストーンでうめつくしたい気持ちも
解ります。

でもね、爪をラインストーンでうめた、あのネイルアートだけは、
どうにもこうにも理解できないのでございます!

あの粉飾化したネイルアートを見たとたんオンナの脆さ
私くしは感じてしまうのです。


本気で生きていない・・・と。


日常の行動の中で、自分の身体のどこの部分が最も多く目に入ってくるかと言えば、
それは顔でも足でもなく当然の筈です。

食事をしても、文字を書いても、何にも意識せずとも、

否応無しに視界に入ってくるのは自分の手です。

その手の先、つまり指先を非日常的に彩りたい、
そのオンナゴコロは大変よく理解できます。
洗濯物を干したり、アイロンがけをしたり、お茶碗を洗ったりして家事疲れした指先。
乾燥し、さかむけした指先を見るのは絶対に避けたい。
己の朽ち果てていく部分が絶えず視界に入るなんて許せない。イヤ。
できる事なら、非現実的にチャラチャラとおとぎの城のような手
ありたい。

こう願うオンナゴコロはとても正しいと私くしは思います。


しかし、です・・・


大金をかけた、満鑑飾に光り輝く粉飾ネイルを守るがために、
日常の仕事や行動を放棄したような指使いとなるのは
如何なものでございましょうか。
携帯を押す指も、ハンドルを握る指も、ペンを持つ指も、子供をあやす指も、
装着された粉飾ネイルをかばうため、
みんな第一関節がだらりと伸びてしまっているのです。


小娘ウエイトレスが粉飾ネイルをかばいながら
ヨタヨタとコーヒーカップを出したりしようものなら、

その伸ばした第一関節の指先を本気でハッタアしたろかあー、
と思うのでございます。


第一、指先のネイルが、どんなに美しく仕上がっていようが、
どんなに芸術的つけ爪であろうが、可愛いと思っているのは御当人だけ。
他人から見ればただ目障りだけのことでございます。
(これは指輪も同じです。)

そんな粉飾ネイルは、未だ嘗て美しいなんて思った事は一度たりともございません。

むしろ、汚い。見苦しい。迷惑。

汚いと感じるだけならまだしも、ジェルネイルや付け爪なんかは、
カビが生えていると言うではありませんか。
換気の悪いトイレの如くです。
ペディキュアにいたってはカビと白癬菌の宝庫となっているようで・・・。
おーコワッ!


もうこれは穢れ以外の何ものでもございません。


ささくれた指先、赤ぎれた指先の方がはるかに清廉で美しいと思っております。


ところで、最も洗練された女優、オードリー・ヘップバーン
指先を良くご覧になったことがあるでしょうか。

彼女はデビューから亡くなるまで、ただの一度もマニキュアを塗らなかったのです。
美しく手入れされた、何も塗られていないナチュラルな爪から、
彼女の知性と洗練を感じ取れます。

本気で生きているオンナは、身体の末端を粉飾で誤魔化し穢すなんて
浅はかなことはなさいません。

そんな余裕なんてないのです。

投稿者 tadashi : 11:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月08日

ワルの艶男(あでお)達。

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最近、やたら男女の性がらみの事件が多いようでございます。
強姦、輪姦、拉致、誘拐、一夫多妻、そして殺人。

ニュースを見ると、ほぼ毎日捕まった犯人の連行シーンが映し出されます。

こんなシーン、昔から見飽きる程に見ているのに、
このテの犯罪を冒したオトコの顔は好奇心丸出し、
興味津々で食い入るように画面を覗き見てしまいます。

そこで気になる点が一つ。 

それまでの犯罪者の顔や、その他の犯罪を冒した顔と、
この数年の性がらみの犯人の顔とは、明らかに一線を画しているのでございます。

はっきり言ってイケメン系

ハンサム系、二枚目系

そして艶男(あでお)系

すべてに「系」がつくのですから、本物ではございません。
このあたり御注意でございます。あくまでエセ。


ひと昔前までは犯人達の顔はいかにも凶暴っぽく、
三白眼でこちらを睨むハイエナ系の顔が定番でした。
ところが、このところの犯人顔はヘンに色っぽい。

色がたっぷり豊かにある事を、艶やかと言います。

色っぽく、エロっぽい匂いを前面に打ち出し、

人生の最大の武器にしているようなオトコを

私くしは 艶男(あでお)と呼んでおります。

鍋強姦の学生達にしても、拉致のプリンスにしても、一夫多妻のオッサンにしても、
とても猥雑な艶男達でございます。

このような艶男達に自分の心の隙を弄んでいるようなオンナは、
コロっとはまってしまうのです。


まず、艶男達は目が違う。


一見誠実で正直そうな目で、受け手に媚びるような、あるいは何かを訴えかけるような、
腹を減らしたノラ犬のような眼差しを投げかけてきます。
勿論、その時はフェロモンも全開で挑んできます。

その一方で刃向かう敵に対しては突然凶暴になり、牙をむき出して狂犬病の目となります。

このあたりの見事な早変わりが隙のあるオンナはたまらないのかもしれません。

ノラ犬の目は、オンナの母性をくすぐり、
狂犬の目は自己を守ってくれるかと
過信してしまうのであります。

しかし、じっとその目を見つめていると瞳がいつも安定していないのをご存知でしょうか?
一見こちらを見据えているかのように見えるその瞳は、
ミリ単位で微妙に動き定まらないのです。
優しい眼差しの時も、凶暴な目線の時もいつもグラグラと不安定。

要するにワルの艶男達には自信が無いのです。

自信のなさが色っぽく見えてしまうのが、
他の誰にもできない得意技でございます。

それともう一つ。


歯並びがとても貧相で動物的。


ただ小さな歯ならいいのですが、その普請がとても偽造っぽく何とも貧乏くさいのです。
これは、そろいにそろって、ワルの艶男達に見事に共通しています。
それを知ってか、彼らは決っして、大きな口を開けて笑いません。
口角を横に吊り上げるようにして笑います。

これがニヒルな笑いに見えてしまうのです。


ニヒルなんてこんなモンです。


そして、態度がとっても怠惰。

あのダラっとして見える姿勢で会話をされると、心に焦りを持っているオンナは、
思わず本音をボロっと口走ってしまいます。
 
要は、優しさにしても、攻撃にしてもすべてにおいて中途半端。
そして情けなくって猥雑で自堕落で
すべてを許してしまいそうな滑稽さを兼ね備えております。


そして、そして、きっと床上手・・・と拝察いたします。

このあたり、すべてワルの艶嬢にもあてはまります。
世のオトコ共もお気をつけなさいますように!


あーコワイ、コワイ!

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2006年01月19日

オヤジのデコルテ。

オヤジのデコルテ。

今回は、自分の事をしっかりと棚上げしてお話させていただきます。

今、オヤジが嫌われています。

歴史上、こんなに世間からオヤジが嫌われた事はなかったのじゃないでしょうか。

戦争を知らないオヤジ達。

昭和20年以降に生まれ、全く意味の無さなかった学生運動を無気力で傍観し、
高度成長時代を当然の如く受け入れ、バブルもホイホイ調子に乗り、バブル崩壊で、やっと生まれて初めての挫折感。

挫折感が遅すぎました。

大人の麻疹は治りが遅うございます。
ですから戦前生まれのオヤジ達とは気骨が違います。

とっても軟弱。

とってもノウテンキでございます。

新幹線に乗ると、このオヤジ達の生態行動は目に余るものがあります。
発車するやいなや靴を脱ぎ、缶ビールをプチン。

スポーツ新聞をガサガサ広げて大股開き。
決まったようにスルメと竹輪とピーナッツをボリボリ。
私くしは何が嫌いって、ビールとするめの混った複雑な匂いが最もイヤでございます。

その後はジワッと来る加齢臭。そしてイビキにゲップ。たまに放屁も。

となりに座っている人間の迷惑なんて関係ナシ。
マスカラにしか興味のない小娘達の方が余程マシでございます。

うるさいわ、くさいわ、醜いわ…。

何の取り柄もないのが現代のオヤジ達。
若い世代に嫌われて当然です。

この現代のオヤジ達には、自我と自意識が根本的に欠落しているのであります。

でもね、じっと見ているとやっぱり哀れ。

日本経済の底辺を支え、バブル崩壊から未だ立ち直れなく、
女房子供から会社からも嫌われながら小銭を稼ぎ、
疲れ果てているその姿はやはり哀れの一語に尽きます。
きっと新幹線の席ぐらいにしか、ホッとできる時間はないんでしょうねぇ。
まあ、するめもビールも大目に見ようではございませんか。

さて、その同情すべき哀れオヤジの対極にあるオヤジ属がいます。
私くしにとって、こちらの方がはるかに始末に悪いのでございます。

雑誌「レオン」見過ぎのチョイワルオヤジ属であります。

最近、チラホラ街で見かけるようになってきた。
ワルくもないのにコワルを気取ったオヤジ達です。

中年オシャレは大変に結構なことでございます。
チョイワルを気取ってモテたい気持ちもよく分かります。

でも、あのシャツの間から見えるデコルテはいけません。

とってもイヤらしい。

衿高のシャツをライオンのたてがみの如くたてまくるのはヨシとしても、
なんでボタンを3つもはだけてデコルテを見せびらかせなければならないんでしょうか。

さかりのついた中年はセクシーを通り越して、汚く、下品でグロテスク。

見れば見る程にイヤらしい。

なら見なけりゃいいのに思わずシャツの間をのぞき見てしまうのがデコルテの持つ官能性です。

若く美しいオトコのデコルテはそれなりにセクシーさをアピールするものがあるでしょうが、オヤジのデコルテはゴルフ焼け、アルコール焼け、シミ、ソバカス、縮緬ジワ、白髪まじりの胸毛が絡み合ってとても醜悪。

雑誌「レオン」のように浮き世離れした外人モデルならイヤらしさも我慢できようものですが、日本人はあまりにナマナマしくて不潔さが先行してしまいます。
年をとって、中途半端に自我と自意識に目覚めると、哀れオヤジ属より始末に悪く、
同情すらできません。

チョイワルオヤジ達よ、雑誌なんぞに浮かれないで、中年らしく人生の豊かさを感じさせるオシャレをしようじゃございませんか。

せめてデコルテのお手入れぐらいは…おーコワッ!これは冗談。

以上、ワタクシ自身にも言い聞かせた自己反省文でもございます。

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投稿者 tadashi : 19:20 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月12日

エラ子はエライ。

エラ子はエライ。

魚ヘンに思うと書いて「鰓」。エラと読みます。

魚は呼吸しながら、何を思っているのでしょうか。
今回はエラのお話でございます。

エラの張ったモデルを撮影していると、女性カメラマンや
女性ディレクターから、必ず注意がございます。

「髪の毛でエラを隠してくださ〜い」と。

あるいはライティングやアングルで何とかエラ隠し作戦に出ます。
撮影中は全スタッフの視線は、そのエラ一点に注がれ、
ちょっとでもエラの鋭角が目立とうものなら、

「あっエラが…」 

と声が洩れます。

ところが、男性カメラマンやスタッフの場合、

「エラは目立ちますけど、まああまり気にしないで。」

と言われます。


この差は大きいのでございます。


つまりは、エラオンナは異性よりも同性にはるかに嫌われるのであります。

エラというと、意志が強そう、ついでに自立心もありそうで、
頑固、ひと筋縄ではいきそうにもなく、顔もデカそうに見えて、
オンナらしさに欠ける、何もエエとこなし、という印象を持たれます。
この辺りが同性に嫌われる理由なのです。

意志が強そうで、自立して頑固で顔がデカけりゃ
オトコにモテそうにもない−そんな不安が見ているオンナにも襲うのかも。

何せ、オンナは被写体を自分に置き換えるのがお得意ですから。

ああ、エラは見たくない っと。


ところで、私くしにはエラとらしきものが存在しません。
ズルっとしたアゴでございます。

自分に無いからかもしれませんが、私くしはエラオンナの顔に憧れてしまうのでございます。
何と言っても構築的なエラには、構築的なお洋服がとてもよくお似合い。
肩パッド入りのテーラースーツなんぞは、エラ共存なしでは美しく見えません。
猫も杓子もの衿立てスタイルも、エラがあってこそのお値打ち。


意志が強くて頑固そうで何が悪い?


オードリーだって、グレース・ケリ−だって、みんな立派なエラ子様でございます。

エラ子様と言えば、その昔々、宇佐美恵子というトップモデルがいました。

エラ張りモデルの中でも横綱級。

彼女がファッションショーでキャットウォークを悠々と歩く姿は、
ゆったりとエラ呼吸をしているマンタのようで、
息を飲む程に美しゅうございました。

奥歯も強くて咀嚼力もありそう。
草加前餅も何のその。
豪快なバリバリ音も聞こえそうで、
あのエラを見る度に豊かな気分にさせられたものでした。

エラはエライのでございます。

オトコはさほどエラを気にしておりません。
エラで思い悩んでいるエラ子の皆様、
どうかお隠しにならず、その豊かなエラを見せびらかしてくださいませ。
ニンベンに思うと書いて偲ふと読むだりです。
気にしない!気にしない!

ただし、でございますね、エラが美しく見えるのは、
長い首の上に乗っかっているからこそ・・・。

短いお首の方は、居直ることをお勧めいたします。
間違っても髪で隠すようなことをなさいませぬように。
隠せば隠すほど姑息に見えます。
居直りは美しく、エライのでございます。

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投稿者 tadashi : 11:48 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月07日

目から笑うオンナはコワイ

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最近私くし、心からおかしく笑える事が少なくなってまいりました。
べつに心が病んでいる訳でも、この世がつまらないと思ってる訳でもございません。

むしろ、その逆。

相も変わらずこの世は薔薇色に見え、チャラチャラ、ジャラジャラ、
極楽トンボの人生観で楽しい日々を送っております。

でも、楽しいから笑えるかと言うと、これは全く別問題。

楽しい日々だけれど、おかしくなく、
声を出して、ゲラゲラ笑える事が少なくなってきたのです。
そのおかしさって、なにも難しい意味合いではなくって、
ただ、冗談を見聞きして笑ってしまう、という類いのもの。
ワイドショーの出演者達のジョークも手の内まる見えで
ゼーンゼンおかしくないし、吉本漫才も極めて冷静に見てしまっております。
まあ辛うじて太蔵センセイの尋常ではない無邪気な御発言に
クスッと吹き出す程度の今日この頃でございます。

そんな訳で、おかしさ笑いは年と共に減少しつつあります。
の反面、営業笑い、媚笑い、お愛想笑いといった、
仕事上不可欠な上っ面だけの作り笑いはキャリアに比例して日々多くなり、
またその技術も向上しつつあるようでございます。
やけにゴマカシ笑いの多い、いやな大人になってしまいました。

と、そうなると、人の笑い方にも妙に気になるもの。
ああ、この人はウソをついているなとか、
無理して笑っているとか、本気でおかしくて笑っているとか、
何となく分かってしまいます。

そんな幾多の笑い方の中でも、
最も不可解かつ不愉快な思いにさせられてしまうのが、
「目から笑う」 テクニックをお持ちになったオンナ達でございます。

普通、無意識に笑うと必ず口から笑い出します。
たとえ、おもしろくも何ともないお愛想笑いだって笑う瞬間は無意識ですから、
口角がニョキと持ち上がり、続いて目尻が下がって目が笑い出します。

口から笑って、次に目が笑う。

必ずこの順番です。これが自然な成り行きというもの。
有史以前から、類人猿の顔に表情筋が発達しだした頃からこの順番と決まってます。

ところが、この自然の成り行きを強引に逆行させる
イヤ〜な笑い方のするオンナがまれにいらっしゃるのでございます。

そのイヤ〜な笑い方の順番。

1.まず、下瞼をおもむろに持ち上げます。
この時、下瞼は必然的にぷっくり膨らみます。

2.次に、上瞼をほんの僅か微妙に閉じかけ目尻を下げます。

3.最後に口角をゆったり上げ、笑いとなります。


この間、0.5秒!


文字にすると長いですが、これをほんの一瞬の間でやり遂げられるのですから、
なんという超絶技巧!

ちょっと見たところ、穏やかで上品、エレガントな笑い方に見えます。
でも、とってもイヤ〜な笑い方なのです。

作り笑いを通り越した創作笑いと申しましょうか…。

美しく笑うという確固とした自意識がないと、この創作笑いはできません。


ああ、コワァ!


お上品マダム系のモデルさんや女優さん達が、
よくこのテクを用いて嫣然な笑みをカメラに向けられます。
でも、それはカメラに向った時だけの職業としての技術であって、
普段の彼女達は、そんな複雑な笑い方は絶対なさらず、
地笑いで笑いころげてらっしゃいます。

一般の人間が普段それをやっちゃうと、一見エレガントそうに
見えるだけに始末が悪うございます。
とくに、1の時にできる下瞼の膨らみ。
人相学上によると、この膨らみの事を「ホルモンタンク」とかいって、
男女ともホルモンの貯蔵の象徴らしい。
それを故意に持ち上げ、見せつけられると、嫣然艶然となり、
アホなオトコ共はコロっと騙されます。

また、下瞼の膨らんだ笑いは、
愛に溢れたように見えますが、同時に憐憫さが含む笑いにも見え、
不憫に構えられたようにも感じます。

いづれにせよ、この作為に満ちた笑いは、
本音がどこにあるか分からず、ウソっぽく、騙されそうでかつ誇り高く
受け手のコンプレックスを逆撫でさす力を持っています。


しかるに、私くしはこの「目から笑う」テクからは
健全な笑いが感じ取れず、そのオンナ達を信用いたしておりません。

ところでですね、そのイヤ〜な気分にさせる「目から笑う」テク、
どこかで見たかと思えば、それはパリのルーブルにございました。
モナリザを始めとする、聖マリア、聖アンナ、聖ヨハネ達。

ダ・ヴィンチの手による謎の微少を謳われた名画の数々は、
あの1〜3のテクを一瞬で抑え、見事に筆によって具現化しています。

パリに行かれた時は、是非ともモナリザの下瞼の膨らみを
ご覧なさる事をお勧めいたします。
微笑直前の、目から笑い出したイヤ〜な感じの瞬間が必ずや見い出せます。


ああ、コワァ!


名画はやはり奥が深い。芸術はスゴイ!コワイ!

世界中の人々を騙し続けているモナリザ様にもくれぐれもお気をつけあそばしませ。

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投稿者 tadashi : 10:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月04日

蕎麦屋のバキューム

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何が好物かと問われると、即座に答えるのが「おかき」「蕎麦」でございます。
毎日食べても恐らく死なないであろうと思われるのがこの2つであります。
ところが、そんな好物2つ、エレガントに食するのは、
憚りながらも自他共に「エレガンスの伝道師」と称する、この私にも
相当のが必要でございます。

我が家は、代々米菓業を営んでいた(とっくに倒産しましたが)せいもあり、
あのおかきのバリっとした歯ごたえと醤油の香りは
物心がついた幼い頃から体に記憶されています。
言わば先祖代々からのDNA好物でございます。

一日で最もホッとする風呂上がりから就寝までの貴重な数十分間は、
このおかきを噛み砕くことにより、一日の積もりに積もったウサを晴らせます。

保険適応外の高級差し歯を微妙に避けながら
頭蓋骨にまで響きわたせるおかきのクラッシュ音
快感の一語に尽きます。
一日の締めくくりは、これにて終了するのです。

ただ、この豪快なクラッシュ音は、自分では快感でも他人が聞けば、
かなりの傍迷惑感。
相当カンに障る音でございます。

子供の頃、家族そろっての朝ご飯、
歯の丈夫な兄が噛み砕くタクワンクラッシュ音
嫌で嫌でたまらなく、よく争いを起こしていた事を覚えております。

自分が発する音は気持ち良くとも、関係ない人間にとっては雑音以上の
人間性まで疑う程の憎々しい響きがございます。


おかきもタクアンも改造エンジン車の爆音も皆同じ。


かと言ってそろりそろりと噛み砕いても美味しくございません。
しかるに私くしは人前でおかきは食べません。
一人でこそっと豪快に音をたてております。

一人でこそっと…おかきならこれが可能でしょう。
ところが、蕎麦はこうはなりません。
うまい蕎麦は蕎麦屋という公共の場で食べなければならないのです。
ところが、混んでいる蕎麦屋に行くと、
これみよがしなバキューム音が店内に轟いています。

老いも若きも美女も野獣も、突然これみよがしになり、
蕎麦をすすり上げ、吸い込み、唇と蕎麦の間に絶妙に空気の隙間を作って
振動音を響かせるのです。

パスタやスープでは静寂に口に入れる技巧を身につけた淑女も、
なぜだか蕎麦では無防備。
私くしは、このバキューム音がどうしてもカンに障り、
食欲すらなくなってしまいます。

「蕎麦は音を立てて食べるもんだ、それが日本の文化だい。」
と蕎麦通は言います。

でもね、すすり上げる音が文化ってあんまりだと思いません?

確かに空気を含ませて食べた方が、蕎麦の香りや食感が分かり易いかもしれません。

しかし、あのバキューム音は、どう贔屓目に聞いても、
げっぷや放屁に匹敵するくらいの下品な音色でございます。

その上、自称蕎麦通ほど、これみよがしにひときわ大きな音で吸い上げます。
この、これみよがしさが頭にくるのです。
より大きな音をたてる方が偉いような…。
どんなに偉くってもウルサイものはウルサイのです。

あえて、誤解を招くのを承知の上で申すなら、
食事中に大きな音をたてながら食べる民族ほど、
他民族との協調性がなく、民度も低いように思えてなりません。

己の欲求を満たすためなら、他人の不快を省みないような、
あるいは、同胞の誼で許されるであろうという小さな社会的甘え。
それを文化というのはちゃんちゃらおかしゅうございます。

とは言えども、最初に申しましたように、蕎麦を音もたてず食べるのは
相当の技が要ります。

パスタはスプーンで丸めこんでパクっと口に放り込めば大丈夫。

スープもスプーンごと口の中に入れるか
スープを口へ流し込めば音はでません。

では、ニ本の箸ではさみ上げた長い蕎麦はどうすればよいのか。


舌技でございます。


箸で最初に入れた蕎麦を舌で奥へ奥へと送りこめばよいのです。
箸と舌の連携プレーです。絶対吸い上げてはなりません。
最初は馴れないので窒息しそうで苦しいでしょうが、
数回の努力でバキューム味とはまた異なった舌での食感が得られ、
却っておいしく頂けます。

世界平和のためにも、民度の高い国民性を持つためにも、
無音の蕎麦通が増える事と切に願う次第にございます。

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投稿者 tadashi : 18:55 | コメント (1) | トラックバック

2005年09月13日

茶髪オッサンにはお気をつけあそばせ

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人生も折り返し地点を過ぎるぐらい生きていると、
いやが上にも目きき、鼻きき、耳きき、舌ききとなります。
そうなると人を見る判断基準も高くなり、ナーンとなく疑わしいニオイを発しているオトコは、
なるべく遠ざけようといたします。
ナーンとなく…の外見上のパターンも自分の経験なりに出来上がり、
こんなオトコには我が警戒センサーが働きます。
その代表パターンを3つ。

・普段から作務衣を着ているオッサン

・眉カットをしているオッサン

・茶髪のオッサン

この内、一つでもあると私くしの小さな、狭い心は受け入れることができず、
警報ブザーを鳴らすのです。
一つでもダメなのに、三つも持ち合わせているオッサンは致命的で完全拒否でございます。
一流半よりはチョット下、二流よりはチョット上あたりのどうしようもないランクをさまよっている自称「こだわりの味」「匠の味」と名乗る和風レストランの主に時々いらっしゃいます。

ただし、最初の2つ、作務衣を着ているオッサンと、
眉カットをしているオッサンは私くしの勝手な根拠のない、
単なる言いがかりであります。
さしたる理由もなく、ただ生理的にこうゆうオッサンは受けつけないだけのこと。
作務衣を着ているオッサンにも洗練された方はいらっしゃいます。
眉カットのオッサンにも正道な方はいらっしゃる筈です。
(未だお会いした事はございませんが…)
ナーンとなくですから、単にムシが好かないだけの話でございます。
ですから適当に流しましょう。

問題は茶髪のオッサン。

これは言いがかりではなく、はっきりとした根拠があるのでございます。

そもそも、肌の質感と髪の毛との質感とは、見た目の上でかなり密接な関係がございます。
詳細なデータは持ってませんが、この肌にはこんな毛質が生えているという関係です。
例えば、角質がしっかり定着して、赤味の少ないオークル肌には、
まっ黒な太い毛が生えていることが多いようです。

逆にピンク系の角質層の薄い透き通るような肌の人には、
茶色っぽく細い毛が生えているようです。
ですから、その関係を崩すと、見た目に妙な、とてもけったいな違和感が生じるのです。
生まれて初めて髪を明るく染めた時、素肌が何んとなくくすんで見えたのはそのせい。

どんなに精巧で高価な男性ウィッグでもバレちゃうのは、生え際の不自然さだけではなく、
その毛の太さや色と肌質とのおさまりの悪さにもあります。

日本において茶髪が一般に広まったのは80年代のサーフィンがブームになった頃。
サーファー達の黒い髪は、海水と潮風、紫外線によって乾燥し、
灰色がかった茶色に褪色します。
と同時に、肌も黒く褐色に日焼けしてしまいます。
だから肌も髪もバランスがとれ違和感なく美しくかっこいいのです。
髪の毛だけ明るく染めて軽くするとどうなるか…

顔が重く鈍く見えます。

これって、とってもセンスの悪い行為でございます。

若い世代のオトコのコ達はまだいいのです。
あらゆる目先のファッションにトライし、自分の体を改造してみたい
気持ちはよく理解できます。
体中にピアスの穴を開けたり、エクステしたり、タトゥ−したりと、
まぁこれって一種の麻疹のようなもの。
ファッションハシカでございます。
オンナの茶髪もけっこう、たとえ肌がくすんで見えてもファンデーションというテで
誤魔化しバランスを取ることができます。
でもオッサンはいけません。ただでさえ肌は衰え、くすみ、汚のうございます。
そこへ人工的な茶髪を持ってくると汚いの上乗せ、
暑苦しいだけで何の効用もございません。
中年ファッションハシカは浅はかに見え、救いようがないのです。
実際、中身も浅はかです。とても軽ーいオッサンが多いのです。
老いと目先の派手さで誤魔化すのはオバサンの専売特許。
オッサンのなさることではございません。
オッサンは人生の重さと厚味で勝負。

茶髪オッサンは中身も軽い。
そしてウサン臭い。
どうぞ、お気をつけあそばしませ。

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2005年08月08日

こだわり貧乏

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この仕事も長くしていると、雑誌等の取材で、
メイク道具を拝見したいという依頼がよくあります。
プロが使う道具は一般では手に入らない、
さぞやすごい特殊な化粧品を使っているであろうと
期待を持って取材にいらっしゃるのですが、さにあらん、
意に反して当方メイクボックスの中味のほとんどが市販で買えるもの。
コンビニでウン百円で売っているものからブランド化粧品まで
誰でも彼でもそこいらで買うことのできるものばかりでございます。
数こそ多いのですが、要するに車内メイクのオンナよりはチョットはマシ、
コスメフリークのオンナよりチョット劣る程度のレベル内容でございます。
そんなごくフツーの化粧品を見て、期待を裏切られたような情けない表情で、

「あらー、意外とこだわってないんですねえ…」
と取材の方。

「はい、こだわってません」
と答える私くし。

押し殺したその表情からもこれでは取材にならんワというのが分かります。
仕方なしにメイクブラシに目をやられると、そこにはケースぎっしりの
ブラシ30本以上。しかも素材は灰リス、カナダリス、コリンスキーと
一般では入手しずらいプロっぽいものばかり。
取材の人も安心したのか声がオクターブ上がり、

「ワァ−すごい、すごい!やはりブラシにはこだわるんですねー」
と。

「「いいえ、こだわってません。」


「だって、こんな高いブラシばかり使って…こだわってらっしゃるじゃないですかあ…」

「いいえ、こだわってません!」


「でも…」


「いいえ、こだわりなんか持ってません!」


と、こちらも意地となって答えます。
要するに、私くしは、この「こだわる」という意味がイヤなのです。

当節、流行りのようにちょっと誉めたり、ちょっと自慢したりに都合良く便利よく
用いられる「こだわり」という言葉。

ああ!なんと貧乏たらしい響きでございましょうか。

辞書でひくと−小さなことにとらわれること−とあります。

ああ!なんと粗末な意味合いでありましょうか。

小さなことにとらわれるという事は、裏を返せば、
大きなことを見落とすという事でもあるのです。
ここを忘れないでいただきとうございます。


決して誉められた言葉ではございません。

決して自慢する言葉ではございません。


些細な部分だけに力を注ぎ満足すると、肝心の目的を見失ってしまいます。
道具ばかりにとらわれ、凝ってしまうと
肝心の美しくすることを見失ってしまいます。
プロとして、ブラシを吟味するなんて、ごくあたり前のこと。当然です。
特別なことでも何でもございません。

レストランに行って、もしシェフが

「当店は食材にもこだわっております。お皿や器にもこだわっております。」

と自慢げに言ったなら、その店はおいしいものをお客に食べさせ幸せになって
帰っていただきたいという料理人としての基本理念を見失い、
料理の過程のみにとらわれている、自己本意の貧しいレストランでございます。
お金を取って、人に料理を食べさすのに、食材や器、インテリア、花、サービス、
すべてにおいて吟味するのは、ごくごくごく当然のこと。
自ら取り立てて言うことではないのです。
「こだわりの店」は本当にまずい。
ワタシ、基礎化粧品だけにはこだわってるのよ、と言うオンナは、間違いなく
化粧下手の自己防御の強い神経質なだけのブスオンナでございます。
メイクでも小さな毛穴やマスカラ角度ばかりにこだわると、
顔から豊かさ、大らかさ、ゴージャスさが失われます。

「こだわり」は心も体もすべて貧しくさせてしまうのであります。
こだわりをゴクンと飲み込む力…それが本当の美しさ、
本当のすばらしさを創り出すことができるのです。

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投稿者 tadashi : 15:37 | コメント (1) | トラックバック

2005年07月25日

くたばれ、整形オンナ

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整形を認めるか否かと問われれば、答えは「ノー」。
どう、安心なさいました?
私くしに、こう答えられると、何だか安心しますよねぇ。
だって、整形オンナを見ていると決して気分がいいものではございません。
はっきり言って不愉快。

だって、お金を使って瞬時に美しくなるなんて許せません。
ほら、となりのボロ家が突貫工事で外装だけ一夜にしてキレイになったら
なんとなく腹立たしいじゃございませんか。
アノ感覚に近うございます。
きれいになったよね、と顔で笑ってほめても腹の底では「フン」という感じ。
全面建て変えならまだしも、中味はそのままで、外ヅラだけ取りあえず
取り繕っていようで、アホちゃうかと思ってしまうのでございます。

建物ならこの「フン」程度で済むのでしょうけど、
生きてる人間の顔なら、事はもっと深刻化します。

私くしの女友達の一人でウィーン在住のピアニストがおりました。
ピアノの腕もなかなかで、頭脳明晰、才知溢れる女性で、
おまけに人柄もよかったので、ウィーンに訪れる度に彼女に会っては
食事に行ったり、夜遅くまで音楽、芸術の話をしたりと親交深めておりました。

その彼女に一年振りにウィーンで会うと、何だかヘン。顔がヘン。
東洋的な切れ長の奥一重の目が、
悪く言えば重くのしかかったあの腫れぼったい東洋瞼が、
二重になり、脂肪も吸い出され、くっきりパッチリと

ベルサイユのバラ瞳になっていたのです。

でも、当然その他のパーツはすべて純和風。
和洋折衷とバランスが取れていればまだしも、
その洋の部分が何せフェイクだから始末が悪い。

ちりめんの風呂敷にスパンコールを縫い付けたような、

あるいは備前の壷に造花のバラを入れたような


気分の悪いハデさでありました。

「ねぇ、きれいになったでしょう。整形しちゃった!
オトコもできたし、やっぱり顔って大事よね。もう、人生バラ色!」

と、以前にも増して明るく、はしゃぐ彼女。

そりゃ、生まれてこのかた、ずっと気にしていた重い一重が解消し、
そのお陰でオーストリア人のボーイフレンドもできたし、人生バラ色でしょうよ。

でも、はしゃげばはしゃぐほど虚しく見えてしまう彼女でございました。


「そのバラ色ってフェイクじゃないの・・・?」


と、もう少しで声に出そうになった言葉をゴクンと飲み込み
「よかったね」と作り笑いで誤魔化した私くしでした。

その変わり、私くしはかなりの卑怯な手段に出たのです。
それは友人である関係を断つこと。
つまりは絶交したのでございます。


整形と一概に言っても、様々な段階がございます。
簡単なところでは、ホクロやシミをレーザーでジュッと取り去る、
言わば、修理工事程度のもの。
これは、整形の痕跡も他人には悟られないし、
精神衛生上もよろしいのでお許しいたしましょう。

次にシワ取り、タルミ取りの修復工事。
これは、完成後も何となく違和感があり、整形がバレます。

そして、二重にしたり、隆鼻したり、削ったり増築したりの改装工事。
もう、これはバレバレで、数回以上繰り返せばかなり不気味な形相で、
成れの果てはM.ジャクソン様弘田美枝子様のサイボーグ顔となります。

つまりは、修復工事や改装工事はどんなテクを使ってもバレるのです。
誰だって美しいにこした事はありません。
同じ条件なら、ブスより美人の方が有利にきまっております。

でもね、ウソまる出しのバレバレ整形顔で美人至上主義を主張されても、
ほかに考える事ないの?ほかに人生の価値観は見出せないの?
アホちゃうか、と言いたくなるのでございます。

少々、長くなりましたが、ウィーンの彼女と卑怯にも絶交したのは、
しかなる理由からでございます。

あの、ハッタリの二重の目をじっと見ていると、彼女のそれまでの人生も
ピアノの音楽も、すべてがウソで誤魔化されたように思え、こちらまで、
その人生に巻き込まれそうになり、そそくさと逃げ出したくなるのです。

整形は確実に友を失います。

瞬時にしてハッタリの美人になってしまう整形オンナを見ていると
時と共に土台から崩壊し、くたばれ!と願ってしまう私くしって、
やはり相当イジワルなんでしょうか…。

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投稿者 tadashi : 15:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月15日

車内メイクお授業

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ちょっと一言、車内メイク解消作戦でございます。
相も変わらず懲りない小娘たちは、
良識あるオバサマ、オジサマ方のひんしゅくを買い、
世間でこれほど取り沙汰されていても、留まることも知らず、
ますますエスカレートするばかりであります。

先日なんぞは、一通りのフルコースメイクを終えた後、
あの高熱ガスアイロン
VS ガス式 コードレスヘアカーラーヘアアイロン 38mm VSG-3800/K
衿足の毛をクリクリしてスプレーでシュワーと固定。

もう、これなんぞ隣の客にかかったり、ふれたりしようものなら、

紛れもない犯罪でございます。

良識のある人でなくとも、通常の神経の持ち主ならひんしゅくを買って
当然であります。
では、なぜに車内メイクはひんしゅくを買うのかと言うと、
これけっこう難しく、複雑なモンダイ。
先程のアイロンやスプレーの犯罪に近い行為は別として、
彼女達のまず一番の言い分は

「車内でメイクして、いったい誰に迷惑かけてるの…?」


はい、その通り、誰にも迷惑かけていません。

確かに目障りですが、目障りなものは目を閉じて寝たフリすりゃいいのです。
オジサン達の大股びらきでのイビキ、オバサン方のピーチクパーチク、
オネェサン方のサカリのついたような濃厚パフュームの方が余程迷惑でございます。

車内で目を閉じれません。息を止めて酸欠状態にはできません。
それに較べ目を閉じるなんて、どうってことないのです。
にも拘わらず、車内メイクをなぜに人は眉をひそめるのか…。

よく言われるのが、「公」 の場で「個」 を優先している我が儘さ。

つまり、同じ場所を共有している他の乗客はすべて無視。
眼中に他人は全く存在せず、自分の顔のみにしか興味がない小娘達の神経の図太さ。

でも、本を読んだり、メールをしたり、ヘッドホンで自分だけの世界に浸る事だって
個を優先しています。
オバサンが満員電車でも紙袋を平気で置いている方がはるかに図太い。
それともう一つ、そのオバサン達がよく言うのが、
女の身だしなみは人前ではしないもの。化粧は化粧室でするものというお作法論。

そりゃそうです。

でもトイレの鏡という公の場で、大勢のオンナが群がり、大口開けて、目を見開き、
鼻の穴まで全開にして他人を無視してメイクをしている姿を想像すると、
「人前で」と言われても説得力に乏しゅうございます。
だいいち、オバサン達、レストランでも食事が終わるといまだに、
まっ赤な口紅を人前で平気で塗りたくってらっしゃいます。

私くしは思います。


これはただのイイガカリであると。

イイガカリの原因は結構単純。


それは嫉妬。


若くて、美しい小娘が、人前で個を優先させて、
自信たっぷりにますます磨いていく様はかなりイラつきます。
その証拠に、自分の顔とメイクの技に自信のないオンナは
車内メイクは絶対いたしません。
年老いて、ブスなオンナが下手な技で車内メイクをしていても
笑いを誘うだけで誰も眉をひそめません。
優越感を持ってそうなオンナが人前でのこれ見よがしな行為は
嫉妬を招くだけなのです。
嫉妬心は目を閉じるだけでは解決できません。
見えなくとも、目の前の起こってる映像を想像するだけでも
イラつきます。

では、どうすればよいのか・・・。


みんな一緒に参加しましょう!

嫉妬心は相手の行動に参加する行為によって消え去ります。
と、言っても一緒にメイクしましょうというのではございません。

彼女達の華麗なる車内メイクショーを観客として、しっかり見て、
楽しくお勉強しましょう‥‥‥という訳でございます。

揺れる車内でも何ら動じることのない超絶技巧は、
プロの我々でも目を見はるものがございます。
どんなに揺れていても、リキッドアイライナーやリップラインが
オーバーランしたのを未だ見た事はございません。

ビューラ−だって一本残さず完璧にはさみ込み、
見事な弧を作ります。

特に、マスカラブラシの扱い方は絶妙で、
揺れに合わせ、上へ下へ、右へ左へと巧みな手さばきで
豪華なひじきマツゲを創り上げていきます。

そこいらの百貨店の化粧品売り場の売り目的のメイクイベントよりも、
余程実践に適ったレクチャーを受けることができるのです。

世のオバサン方も文句を言う前に、車内メイクお授業に参加し、
しっかりイマドキメイクを習得なさいませ。

オジサン方もオンナのビフォー・アフターの種あかしを知るには
絶好のチャンス。
こんなに面白いものは車内において他にございません。
スポーツ新聞を読んでいる場合ではないのです。
メールをしている場合では無いのです。

でも、あまり見つめると嫌がらないいかって?
いや、ご心配なく。

彼女達は公の中で個を優先する生き物ですから、
車内の乗客はすべて視界外で気付かないはずです。
安心して穴の空くほど存分にご覧なさいませ。
そして、平和で華やかな車内作りをみんなで心掛けましょう!

投稿者 tadashi : 10:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月30日

下腹ゴージャス

vol2.gif

最近ちょっとばかりご無沙汰してますが、以前はよく
パリのルーブル美術館に行っておりました。

三度のメシより絵画好きな私くしは、
三度のメシをルーブル美術館のレストランで済ませていた
程でございます。

じっくり時間をかけて、穴の空く程一枚の絵を観ることもあれば、
ただ漠然と散歩道がわりに、ルーブルの廊下を徘徊し、
景色として名画を見ることもあります。
そうしてルーブルを歩いていると、見たくなくとも、目に入ってしまうのが、
おびただしい裸婦の数々…。

行けども行けどもハダカ、ハダカで、ルーベンスの部屋なんぞは、女風呂に
迷い込んだようでムンムンとした空気に包まれ、息苦しくなります。
まぁ、当然といえば当然ですが、健全な性嗜好のオトコの画家達ならば、
皆こぞってバストフェチ、ヒップフェチでございます。
芸術家は皆競って、絵画にノミやヤスリを使って自分達の理想のヒップや
バストの形、大きさ、感触を表現しようとしています。
ところが、バストやヒップは当然なんですが、よくよく見てみると、
もう一箇所の見落としてはならないフェチがあるのです。


それは下腹。


古今東西、歴史上の画家、彫刻家達は押し並べて
(ダ・ヴィンチ等の男色系は別として)
バスト、ヒップだけでなく、下腹ポッテリを執拗に表現しようとしているのを発見
できます。

エジプト、メソポタミア、ギリシャに始まって、中世の一時期を除いて、
ボッティチェリもブーシェもアングルもマネも、そして百済観音様(これは両性具有
ですが)も、みんなみんな下腹ポッテリのオンナ達を創り上げています。

先程のルーベンスなんぞは、ゴージャスの一語に尽きる迫力のある下腹で見る者を
圧倒させます。
逆にペッタン腹のオンナをルーブルでみつけるのはほぼ不可能です。

有史以来、ひょっとして世のオトコは、オンナのシェイプアップしたペッタン腹より、
だぶついたポッテリした下腹がお好きなのではないか…。
そんな疑問がフトわき‥身近なところのスケベそうなオトコ共3人に聞きました。

「どこにあるのか(何が…)分からないような小錦みたいなのは困るけど、
ペッタンよりは、だぶついている方がずっと興奮する」

というのがだいたいの総括意見。
やはり、世のオトコは下腹ポッテリがお好きなのです。
確かに、戦後の構築的で直線的なファッションは、お腹がペッタンのオードリ-や
ツィギーのような飢餓体型の方がおしゃれでシャープに見えます。

でもねぇ、だからと言って、それがオトコにモテるのかというと、
それは全く別次元の話。
オトコは、あの下腹ポッテリから神秘的な何かを見つけだそうとしているのかも
しれません。オトコの孤独感を癒してくれそうな柔らかさか、
あるいは己の優秀な遺伝子を残してくれそうな子宮への征服欲と憧れか…。
下腹は人間の身体の中で、内臓と骨で守られていない唯一の場所。
だからこそ無防備で最も柔らかく滑らかでセクシー。
そんな場所は薄っぺらい肉よりも、たっぷりの贅肉で覆われている方が
いいのに決まっています。


贅肉の「贅」は贅沢の「贅」。


余剰があるからこそ豊かなのです。人は豊かさに憧れ、それを欲するものです。

オンナの豊かさは、子宮を保護し、オトコの強い遺伝子を残す、
ポッテリした脂肪たっぷりの下腹にあるのでございます。

そう言えば、一国の皇太子を手中にした床上手と名高いあのカミラ夫人も、
ゴージャスそうな下腹であろうと拝察いたします。

それからもう一つ。オトコは引き締まったニの腕よりも、
だぶついた振り袖型のニの腕の方がずっとお好きな事も付け加えておきましょう。

この事実もまた、ルーブルの数々の名画が証明してくれるのでございます。

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投稿者 tadashi : 19:06 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月10日

デカ顔礼讃

デカ顔礼讃


私くしがメイクをする対象はモデルだけとは限りません。
女優(たまには男優)やタレント、政治家、スポーツ選手、そして文化人と呼ば
れるワケの解らぬ職業まで、要するに顔さえついていれば、 誰でも何でもメイク
致します。それらの、いわゆるちょっとばかり世に知れた有名人達にも、それぞれの
分野に於いてきっちりとしたランク付けがございます。

超一流から三流、四流までのクラス分け。
飛行機でいえば、ファーストクラス、ビジネスクラス、エコノミークラス。
鰻丼でいえば、松、竹、梅。
AMEXでいえば、ブルーにゴールド、プラチナ、ブラックと。
やたら平等がお好きなアメリカ社会でも見事にピラミッド型ランク付けがなさ
れています。そう、何だかんだ言ったって、人間はクラス分け、ランク付けが
とてもお好きなのでございます。

それはともかく、私くしは考えます。
選ばれた一握りである一流クラスと、それなりの二流クラスとの差は、
いったい何なのかと・・・。考えれば考えるほど、これはとってもビミョー。
ずば抜けた素質や才能があっても、二流クラスに留まっている人。
逆にぼちぼち才能なのに、何故か人を魅了し、一流とされている人。
この差は、まあ一言でいえば、パワー、はなやかさ、エネルギーといった目では捉え
ることのできない力の差であると解釈しております。

女性政治家の選挙ポスター用のメイクも幾度か経験してますが、メイクルームに
入ってこられた瞬間、この政治家が当選するか否かは極めて明白であります。
主婦にチョットばかり毛の生えた程度の脳みそ構造でも、人を魅了し、当選できる人。
彼女達にははっきりとした存在の力があります。逆に、一流大学、官庁出身で、
極上の脳ミソ構造でも、存在に力がなく、落選してしまう人。

知識も教養もない俗界の民にでも、この力の差は瞬時に判別できるのでございます。

が、です。
ここに来て(メイクの道三十年を経て)ウン千人の人達のメイクをしてきた今。
私くしは、ある重大な事実に気付き始めたのでございます。それは・・・

一流クラスの人には、小顔の率が極めて少ないという事です。
つまり、一流クラスのその殆どは、
デカ顔である事を…!!

以前にも「小顔のオトコには気をつけろ」 と書きましたが、
オミソの容積が小さいと、存在まで小さく見え、人としてのはなやかさ、力まで貧弱
に感じてしまうのでありましょうか。
私くしは、人に与える魅力は、顔の大きさと比例するのではないかと考えております。

オトコだけではありません。
この事はオンナにもしかとあてはまってしまうのでございます。

一流の女優は、

一流の女性政治家の、その総べてがデカ顔。

スポーツの分野だって、オリンピックでメダルを取れる女性選手は、
力強くてデカ顔。

モデルの場合は、確かに小顔が勝ちの業界ですが、それでも一流モデルから
女優へと鞍替えできる一流組は、どういう訳か皆、
デカ顔でございます。

当たり前のことですが、何でも、デカイ方が自らの存在を誇示できます。

今をときめく、マツケン様もホリエモン様も相当
おデカイ のでございます。

世のオンナの羨望を一心に集めたグレースケリー様も、
たっぷりとおデカイ。

ライオンだってネコだって宝石だって液晶テレビだって家だって、
小さいよりはデカイ方が勝ちでございます。

そうオトコもオンナもデカ顔の方がエライのであります。

巷では、やたら小顔のオンナが重宝がられているように感じますが、これは間違い。
デカ顔に無理やり影を作って小顔風メイクをしたりしていますが、影のヘコミ
メイクはただ貧相に見えるだけ。
昔から、貧しい顔は他人を不幸にいたします。
叶わぬ小顔願望などバッサリ捨てて、大きくデカくたっぷりと豊かなデカ顔
で、はなやかにまいりましょう!小顔が美しいとされるのはもう過去のもの。
これからはデカ顔の時代でございます。さあ皆さんご一緒に。


但し、デカ顔がオトコにモテるか否かは不明でございます。念のために。

 

投稿者 tadashi : 00:00 | コメント (2) | トラックバック