2010年08月31日

眉格

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女性はなぜメイクをするのか…


若くなりたい、きれいになりたい、男にモテたい
と色々理由があるでしょうが、

我々男から見て一番羨ましいのは、


なりたい女の顔に作れるということ。


例えば、

地味な顔に生まれた派手好き女性なら、


付けまつ毛や濃いアイシャドー、派手色リップ等、

コスメ総動員で取り敢えずは目立つことが可能です。


カワイイ女になりたければ、


タレ目マスカラ、ふんわりピンクチーク、プリプリリップ等で、

いかついお顔もどうにかカワイく見えます。


要するに、

生まれついた顔が、自分の生き方と反しても、
ある程度はメイク改造で異なる人格に近づくことが可能なわけです。


その中でも、

特に手っ取り早く、簡単に
改造ができてしまうのが


眉。


多く太ければ、抜くなり剃るなりできます。

少なければ、描き込めばよろしい。

形を変えたければ、
弓型、山型、ぼかし型…下げたり上げたり、


何でもござれ、
ご随意にどうぞ。


改装、改築、増築、補修、取り壊し、


なんとでもなるのが

でございます。


ただし、

その強い意志と技術があればの話。


つまり、なんとでもなるだけに、

その人自身の格が
丸出しになってしまうのが眉メイク

なのでございます。


長年、この商売をやっていると

そのメイクされた眉を見ただけで、
その人となりまでが見えてきます。


あるいは、こんな女になりたい、
というような将来像も見えてきます。


今まで数々の素晴らしい眉を見てきましたが、
その頂点に輝くのは、


やはり
美空ひばり様。


形といい、グラデーションといい、

天下一品の眉格です。


眉がしらから眉山への柔らかくも明晰な線。
絶妙の長さをもつ眉尻。

その鋭利な眉尻の線は
はるか永遠に続きそうです。


彼女の歌手としての格の高さが見事に表現された眉です。

人格イコール眉格の典型的な例です。


あと、外国では、

マリア・カラスやエリザベス・テーラーの
完璧な強い山型眉、

ソフィア・ローレンの
細密画のような眉


ダントツの格をもっています。


彼女達を見ていると天賦の美貌と才能、
そして世界に君臨しようとする気構えと意志の強さが、
その眉一本一本にこめられているようです。


まさに芸術的眉でございます。


そんな事を考えてみている今日この頃、
テレビを見ていると


興味深い眉を発見!


蓮舫さんの眉でございます。


はい、あの蓮舫さん。


眉頭から眉山にかけては、
まあそれなりに自然。

彼女の立体的でボーイシュな骨格に
よく似合った直線眉です。


おもしろいのは、

その眉山から落ちる眉尻。


しっかりと眉尻を書き込んでいます。

ただ、しっかりと書き込むのは、
女性国会議員や女性経営者などの
男社会で生き延びていく女性たちによく見られる傾向なので、

特に珍しいことではありません。


眉尻の薄くなった部分を強引にギッギッと埋め込み、

負けてなるものかっー、

というような強い意志と気概が見えてきます。


もちろん彼女の場合も同様なのですが、
他と違うのが、


眉ペンシルで強く書き込まれたその眉尻が、

プチンと突然切れているのです。

まるで句点のように。


はいこれにて終了!

とでもいうような、
なんとも情緒も愛想も色気もない眉尻プチン。


眉。

…てなカンジ。


これって、

彼女の持つ人格と同じだと思いません?


彼女が人気があるのは、
あの鋭利明晰な発言の数々。


その愛想もクソも情緒も色気もない言葉尻は、
眉尻と完全シンクロ!


やっぱりねぇ~
眉って出てしまうんですよねぇ…


人格が。


彼女が優しく人と接しはじめたら、
あるいは心にもっと余裕ができたなら、

きっと眉尻も自然に変わってくるはず。


まぁ、

優しい蓮舫さんなんて、
テレビ的にはおもしろくないでしょうが。


とにかく上等なオンナになりたけりゃ、
上等な眉を描けばいいわけです。


でも、これってなかなか難しい。


なぜなら、

上等な眉は上等なオンナにしか描けないから。


付け焼き刃で描かれた眉は、
すぐに化けの皮が剥がれます。


とはいえ、


化粧ってそもそも化けの皮ですが…。

投稿者 tadashi : 16:28 | コメント (0) | トラックバック

2010年07月28日

万博の記憶

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只今、上海万博の真っ最中でございます。


オリンピックに続いて、中国の威信をかけての開催。

ニュースを見ても、なんだかんだと問題点もありそうですが、
これも時代の近代化の過程で仕方がないですが、


むしろ何か大事件でも起こればいいのに…

と期待をもって傍観しているのは、我々のほうでございます。


この期待感は一年前の北京オリンピックの折りにも大いにあったのですが、
見事に期待を裏切られ平穏無事に終わったのは、

さすが中華民族のしたたかなところ。


今回の万博も何事もなく終わってしまうことでしょう。


ところで、

万博といえば、
我々昭和中期生まれの人間にとっては大阪万博のことをさします。


忘れもしません、

それは1970年!


その年、ワタクシは高校生。


1964年の東京オリンピックが小学生でしたから、
それからの6年間は最も多感で、好奇心旺盛な時期でもあり、
この万博の開催をどんなに待ち望んでいたことか。


日本経済の高度成長期は、
ワタクシの心と身体にとっても高度成長期であったのです。


オリンピックのスローガンであった

「より速く、より高く、より長く」

人間の無限の力を象徴してました。


その表現はそのまま引き継がれ、
万博スローガンは

「人類の進歩と調和」!


日本国民はどこまでも進歩成長し、
未来永劫まで幸福に満ち溢れ、
神から祝福されていると信じているようでございました。


そう、

ちょうど今の中国のよう。


ともかく、時代はイケイケドンドン。


日本国民の総てが、
「進歩」の名のもとに結集し、ばく進していたのです。


そんな、真っ只中に開催された大阪万博は、
戦後の荒廃から完全復興したご褒美の大祝賀会のようなものでした。


はい、

当然ワタクシも行って参りました。


ところが、

若い人達にどうでしたか?とよく聞かれるのですが、


まったく覚えていません!


完全に記憶が消去されているのです。


高校2年の夏休みだったことは確か。

40年前なので、記憶が風化しているのかというと、
そうでもなさそう。


なぜなら、

その時の着ていたストライプのシャツとコットンパンツ、
万博に到着した地下鉄の駅だけは克明に記憶に残っているからです。


記憶はそれのみ。

その他の記憶はまったくナシ!


アメリカ館の月の石も記憶にナシ。
太陽の塔も記憶にナシ。
各パビリオンの近未来的デザイン空間も記憶にナシ。
芋の子を洗うような人混みも記憶にナシ。


すべて見事に消去されてしまっているのです。


人間の記憶は幾度と反芻することにより、
継続され思い出として残ります。

ならば反芻がなかった事になります。


つまりは、
反芻するほどまったく興味がもてなく、
家に帰ってからも二度と記憶を辿らなかった
のでしょう。


月の石もパビリオンも人混みも、
ワタクシにとってはそれほどつまらなく、
どうでもよかったのに違いありません。


むしろ、

その日のためにおろしたシャツの鮮明なストライプブルーや、
田畑の中にぽつんと建っていた場違いな駅の方が、
よほど記憶に残ったのですからおかしなもんです。


おそらく今、
上海万博に行ったところで同じ結果になるのは間違いなし。


各国の国力をアピールする無機質な万博は、
今も昔もすぐに記憶を消去してしまうことでしょう。


記憶は興味があることのみがふるいにかけられ、
思い出として残ることを改めて知った次第でございます。

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2010年06月29日

オトコ日照りの業界

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我らがヘアメイク業界で、
最近ちょっとばかり話題になっていることがあります。


それは、


若い男子がいない…事。


ワタクシがこの業界入りした当時、つまり1980年代は、
先輩同輩を含め半数がオトコでした。


名だたるフリーランスの方はほとんどがオトコで、
オトコ社会と言ってもいいぐらいでした。


それが今世紀になったくらいから、
新人男子が徐々に減りはじめ、
そのまま現在に至っている状況です。


現在、関西において30代のフリーランスの男子は
ほとんど名前が出ません。

ワタクシより後輩の男子は10数名のみで、
女子支配のヘアメイク業界となっております。


ただ、美容業界となると話は全く違い、

美容室に勤めたり、経営している男子は結構多く、
カリスマなんてもてはやされ、活躍しているようです。

美容師人口全体の男子の割合はさほど変わらないのに、
この業界への人気は今一つ。

面接をしても応募に来るのは
99%が女子のみの現状です。


これは不思議な現象です。


色んな原因があるでしょうが、
一つには経済の悪さもあるでしょう。


男子たるもの、一寸先は闇であるギョーカイよりも、
より確実性のある美容室勤務を選ぶのも仕方がないかもしれません。


広告関係やファッション関係の仕事は経済に敏感に反応しますので、
かなりの不安定感は確かにあります。

クライアント側にしても、鬼才あるアーティストより、
きちんと仕事のできる安心できる中堅を選ぶ傾向にあるので、
新人がなかなか参入しにくく、一丁前のギャラを得るには
以前よりも時間がかかる傾向もあります。


男子、一生の仕事、
やりたい事を勇気を持ってやりなさいッ!


と言いたいとこなんですが、

先の理由以外に、

そもそも業界ヘアメイクの仕事に
魅力を感じないのではないかと思います。


男子にとって、どうも不向きな壁があるのです。


その一つがメイク。


1980年代や90年代には
メイク達者な男子メイクアップアーティストが
洋の東西問わず数多くいました。


ところが現在急に減ってしまったのは、
メイクの種類、性格がずいぶん変化したからだろうと考えます。


80年代や90年代といえば、
バブル絶頂期とその後の破綻。


とは言うものの経済はまだまだ良く、

強いオンナのイメージのファッションで、
ヘアメイクも構築的でゴージャス。


スーパーモデルがもてはやされ、ヴォーグ誌が世界を席巻し、
猫も杓子も高級ブランドにしがみついていた頃です。

流行がデザイナーやアーティストの提案により動かされ、
上から下に流れていた最後の時期です。


ところが、


今世紀になると、
例のカワイイファッションが主流になって来ました。


そのカワイイも客観的に見て、何気にカワイイではなく、
かなり主観的。


見て見て、ほら私カワイイでしょっ、私!
というカワイさ。

君、カワイイね~、というカワイさではないのです。

カワイさの種類が違うのです。


あくまで自分が主役。

自分が見て自分で納得できるカワイさでないとなりません。


このあたりが男子ヘアメイクがついていけないのでございます。


オンナ自身がこうありたいと切に願うメイクですから、
前世紀のメイクとは根本的に違います。


一般男子なんぞの理解が及ぶ範囲ではございません。


乙女系男子アーティストでもこのあたりが非常に難しい。
同じようにメイクしても何か違和感があるのです。


睫毛1本や、毛穴埋め立てに命を張ってる
ギャル心を理解しないことにはメイクはできないのです。


モードの流れやファッション業界、
化粧品メーカーからの提案をことごとく拒否し、

オンナの本能のみで施したイマドキギャルメイク。


オンナの本能メイクというミクロの世界の秘密の花園には、
オトコの感覚を拒むものがあるのです。

オトコの入る余地がまったくないのは当然。


若い男子アーティストが育たぬ根本的原因は
このあたりにあるのではないかと思っております。


当分、ファッションの流れが大きく変わらないことには
オトコ日照りは続きます。


オトコにメイクを施してもらいカワイくなりたい女子達…

はっきり言って


諦めましょう!

ご自分でどうぞ。


その方がよほどカワイくお上手に仕上がります。

投稿者 tadashi : 10:12 | コメント (0) | トラックバック

2010年05月27日

自立か依存か

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10年をひと昔と言いますが、
そのひと昔前によくオンナ達が叫んでた言葉がありました。

「オンナは自立しなくっちゃ!」


叫んでいるのは、

社民党っぽいオバサン会社役員っぽいオバサンなどの、

オトコ社会の中で一応成功した方々。


その叫びが何だか可笑しく虚しく響いたのは、

何からの自立かはよく分からなかったからです。


自立と言っても、

彼女達は政治や会社の組織に支えられていますし、
個人的には秘書やスタッフ、
そして夫や家族に見守られつつ仕事ができているのですから、

少なからず誰かにはたえず依存しているわけです。


ならば、
何からの自立かますます意味不明です。


おそらく、専業主婦達へのメッセージで
経済的自立を促しているのでしょう。

そうとしか考えられません。


ちょうどその頃、訪問販売が全盛期で、
ごくフツウの主婦が一攫千金でビルを建てたなんて話もよく聞いたもんです。


経済的自立という言葉に煽られ
仕事専業になった主婦も多かった頃かと思います。


自立と叫んでみても、そもそも、
生物は他の生物への何らかの依存なしには生きていけません。


誰にも支えられていない人がいらしたら、
お目にかかりたいもんでございます…

なぁんて考えてたのが、10年ひと昔。


近頃、女性の自立という言葉が、
とんと聞こえなくなってきたと思いません?


自立しなくっちゃ!
と叫んでるオバサマ方もめっきり少なくなってきたように思います。

ちょうどこの数年くらいからでしょうか。


と同時に現れたのが

カワイイ現象。


可愛く装って、オトコはもちろん、同性からもカワイイッと呼ばれ、
この世の愛情を一身に集めようというわけです。


つまりこれは
自立と正反対の依存でございます。


あの肩肘はったオバサマ方に変わって、
今時ギャル達が台頭し出したわけです。


つまりは、

あの自立!と叫んでた女性運動の講演会は、

カワイイ!を連呼する
ガールズコレクションへと変貌したのです。


ただこのカワイイ文化は、
若い女子だけに限ったことではありません。


大人カワイイという流行語があるように、
全世代の女性達に浸透している傾向です。


女性の時代は常にいずれかの傾向にあります。


戦後から続いた長い自立文化はここに来て
ついに終止符が打たれ、

依存文化になってきたと言えるでしょう。


全世代自立か依存か、

常に女性は選択に迷い悩んでいるのです。


でもねぇ、

あの自立の叫びが虚しく聞こえたように、
キャットウォークを歩くモデルに向かって
カワイイ〜!を連呼する女子の姿も

可笑しく虚しく見えてなりません。


いずれにせよ、
男達は蚊帳の外…

どちらに転んでもオンナの下半身しか興味がないようで…。


ならば、

今のカワイイ依存文化はオトコ達にとっては非常に都合よく、
居心地の良い時代となります。


オトコは依存されると
突然に発奮する生き物でございますから。

投稿者 tadashi : 11:06 | コメント (0) | トラックバック

2010年04月26日

乙女のお願い力

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乙女と聞いてまず最初に思い浮かぶのが、
数々の洗練されたイラストを描いた、

中原淳一 (1913〜1983) の
夢見心地の乙女像です。


他にも竹久夢路内藤ルネが有名ですが、

万人がこれぞ乙女と認める絵…それらの作家達が、
みんな揃いに揃って男であるのも不思議
でございます。


現実にあり得ないような、洗練され理想化された乙女像を描かせたら、
彼らの右に出る者はいません。


女性の作家が描けば、
もう少し生々しい部分が出てくるのでしょう。


ところで、

彼らの描く乙女顔には多くの共通点があります。


まず輪郭線ですが、

なだらかな顎をもった、いわゆる卵形フェース。
強い線をもったエラ張り女ではありません。


は丸く大きくパッチリ見開き、ドッサリまつ毛で縁取られています。

この目の大きさは尋常ではなく、
顔全体の三分の一を占めるほど。


黒い瞳は巨大化し、白目部分はほんのわずか。
目頭のも涙腺もしっとり潤んでいます。


は、なだらかな曲線を描き、極めて短い眉尻…
というより

眉尻がほぼ存在しません。


頬紅は頬骨の上の高い位置に存在し、
顔の内側まで柔らかく存在してます。


リップは輪郭線を強調せず小さな口元。
そして艶々とコッテリ光っています。


幼い少女心と、大人オンナ心の狭間にある、
乙女心の揺れ動く心の襞。

あぁ、乙女心の切なさよ…


を具現化するとこんな顔になるのでしょうか。

これって、何かに似てません?


そう、

この世の春を独り占めしているかのような、
イマドキ女子メイクでございます。


バサバサと長い付け睫毛とアイラインで
デカ目を丸く大きく強調し、

黒いエッジのコンタクトレンズで装着された黒目は、


お願い、可愛がって…

と懇願するかのよう。


人気のチワワ犬はこんな目です。


強い意志表示をわざと隠すような短く幼い眉尻。

体温と高揚感、羞じらいを表現した高い位置のピンクチーク。

そして幼く小さな口でありながら、
官能を誘発するプルプルグロスとアヒル口スマイル。


あの中原淳一の絵を生身の女で表現すると、
こういったイマドキのメイクとなります。


幼さと官能性
挑発と依存性


この2つの矛盾した性質を見事に共存させたメイクです。


特に依存性。

これは乙女の専売特許でございます。
依存心が無ければ、乙女は生きていけません。

オトコや社会から守ってもらわなければ、乙女の存在意味がなくなります。
同情や哀れみもなんでもござれ。


ともかくお願い!
かまってチョーダイ!


が 現代の乙女の祈りでございます。


あのアヒル口なんて、その典型。

すねているのか、甘えているのか、挑発しているのか
訳わからない依存性の強い笑い方であります。


そのアヒル口にオトコはまんまとひっかかり、救いの手を伸ばします。

これを力と言わず何と申しましょう!


中原淳一の夢見心地の乙女像はあくまで仮想のお話。

現代乙女は地にしっかり足をつけて、

付け睫毛やコンタクトレンズ、コッテリグロス総動員で、
お願い力UPで、オトコをゲットなさいます。


乙女の本能は本当に凄いのでございます。

投稿者 tadashi : 16:29 | コメント (0) | トラックバック

2010年03月19日

お食事マナー考Part2

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一つの食べ物を、どういう方法で口に運び、
食欲を満たすかはとても難しい問題。

なりふり構わず、食欲だけ満たせばよいのは、
人間以外の生物のする事。


知性も教養もある人間は、
きちんとコントロールした食べ方をしなくてはなりません。


とは言え、前回のエッセイでも述べたように、

マナーが完璧な人間でも、何となく憎たらしく見える人もいるし、

逆にガツガツ食べてても、可愛く許してしまう場合もあります。


最終的には
本人の個性、人格が優先される部分が
多分にあるのです。


そこで、映画に見る素敵な食べ方をした、
一人の大女優をご紹介。

グレース・ケリーでございます。


彼女は、映画「泥棒成金」(1955年制作、監督ヒッチコック)の中で、
とてもチャーミングな食べ方を見せています。


そもそも、
食べているところを撮られるのは、女優は嫌がります。

女優に限らず、食べているところをじっと見られるのは、
誰だって嫌です。


特にこの5〜60年代のハリウッドは、
女優達を神秘のベールで覆い、

女のナマの部分をオブラートで隠していた時代です。


ヒッチコック監督は、そのベールを少しめくり
グレース・ケリーで食事シーンを撮ったのです。


物語の前半、ケーリー・グラントとの初デートでの
ドライブピクニックのシーン。

戸外の車中のランチですから、
フォーク、ナイフでお上品に食べる料理なんかではなく、

なんとバスケットの中から
フライドチキンを手づかみで!


チキンをほお張りながら、長ゼリフをしゃべりながら、
細かい所作もしながら…

と、ながら尽くしの
非常にやっかい極まりないお食事シーンであります。


これを彼女は見事やってのけました。


このシーン、あまりに洗練された食べッぷり、
しゃべりっぷりなので是非ともご覧頂きとうございます。


実は、決して完璧な行儀の良い食べ方というわけではありません。


むしろ、少々お下品とも言える口の動きも垣間見えるのですが、

それが却ってキュート。


生まれも育ちも教養も超別格ですから、
基本的にベースが違います。

そんな御仁が少々邪道な食べ方をしても、
とてもカワイく見えてしまうから不思議です。


作られたカワイさや、媚びたカワイさではありません。

余裕から生まれカワイさでございます。

本物のカワイさ、大人のカワイさでございます。


日本の幼稚カワイイ文化で育ったお嬢ちゃま達には
絶対に真似できません。


きちんと、知性と教養に裏打ちされた行儀のあるカワイさ、
これを是非とも目指して頂きとうございます。


そう、

彼女はその極上カワイさで、
本物の王妃様になりました。

投稿者 tadashi : 12:45 | コメント (0) | トラックバック

2010年02月24日

お食事マナー考

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お食事中のマナーで、一番気になるのが、やっぱり音。


噛む音、すする音、しゃぶる音、
皿の音、フォークの音…。


ともかく、
絶対に音を発せず、無音で食べるのが基本のキ。


次に食べる所作でしょうか。

猫食い、犬食いは論外。
口から食べ物に向かうのではなく、食べ物から口に運ぶのです。

これまた、基本のキ。


あと、あまり論じられない事ですが、
食べる速度も非常に重要です。


よく咬んでゆっくり食べるのは
基本的のキ以前の当然のト。

ガッツく早食は、お下品の極み以前に
消化によろしくないのは周知のごとく。


ただ、ゆっくり過ぎるのも考えもの。

コース料理の場合、当然ながら
一番遅く食べ終える人にあわせて次の料理が運ばれるわけですから、

ある程度周りの人達にスピードを合わせる事も大切です。


ワタクシなんぞは業界で鍛え上げられた早食いなので、
超スロー食いの人がいると、イライラいたします。

ワタクシのように早食い癖のある人は、
ガッツかず優雅に見えるようテキパキ食べる事。


これにはちょっとしたコツがあり、

口へ運ぶ、箸やフォークの上げ下げだけを、
ゆっくり動かせばよいのです。

ゆっくりと口に入れ終えた食べ物は、
ゆったり早く噛んで胃袋へ速やかに移動させましょう。

こうするだけでも、優雅風でテキパキ食べれます。


音と所作と速やかさ。

まぁ、この3原則さえ守ってさえすれば、
人にも迷惑がかからず、美しいマナーです。


ところが、です…

以前からずっと気になってた事がございます。

ほぼ完璧なマナーにもかかわらず、
ほんのちょっとのすする音を出しただけでも、ムカ〜っとくる人がいます。


逆に

クチャクチャ音は出すわ、犬食いはするわの
最悪マナーにもかかわらず、全く腹が立たない人…。


この差はいったい何だろうと考えるのです。


ムカッ〜とくる人、

これは、どこかでウソをついている、
どこかで誤魔化していると察知してしまうからかもしれません。

美しく身なりや体裁整えても、
たったズルッの一音で、

ほ〜らやっぱり、お里が知れたわい
と思ってしまうからです。


一度ムカッとくると、もう止まりません。

箸の上げ下げから、鼻息まで、
果ては顔カタチまでがムカつくのでございます。

まさに坊主憎けりゃ袈裟まで憎くくなってしまいます。

もともと、どこかで信用しきれてない部分があったのが、
ズルッの一音で、その人の人格の低さを確証してしまう怖さがあるのです。


一方、犬食い、猫食い総動員の人でも、
全く気にならないのは、

やはりその人自身のパーソナリティーに負うとこが大きい。


つまりは、カワイげ…

やっぱりカワイげ。


なんとかしてあげたいと思わせる何かがあると、
何でも許してしまうし、行儀の悪さもアバタもエクボとなってしまいます。


完璧なマナーを身に付けてたところで、
カワイげ無ければ憎さも倍増。

完璧なマナーをすればするほどに
腹がたつものでございます。


ああ、やっぱり人間にとっては、
カワイげが一番のマナーと言えるかもしれません。


では、そのカワイげはどうして身に付ければ良いのか…


また、ゆっくり考えてみたいと思っております。

投稿者 tadashi : 15:10 | コメント (0) | トラックバック

2010年01月26日

保守派の独り言

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ワタクシ、保守派か革新派かと問われると、

当然ながら保守派でございます。

札付き、バリバリ、コテコテの保守派でございます。


そこで、今回はその保守本流ぶりをご紹介。


まずはですが、
ジーンズに白シャツ、紺ジャケットの定番スタイルは、
この10年来何も変わらず。


特に白シャツとジーンズはずっと同じメーカーで基本は同じ型。
ジーンズはリーバイスですが、
未だ嘗て他社のジーンズをはいた事も触れた事もありません。


も気に入れば、同じデザイン同じ色を3足まとめ買いして、
取っ替えひっ替えで10年は履き続けます。


外食は、この数年ずっと同じ蕎麦屋さんに通っております。
多い時で週5回、少ない時でも週3回。

つまりほぼ毎日蕎麦を食べている状況です。

頭のてっぺんから蕎麦の実が生えてくるかと心配しておりましたが、
そんな事もなく、

ぜんぜん平気でいたって健康でございます。


その他の食事にしても、中華はココ、お寿司はココ、
おフランスはココ、イタリアンはココと決めております。


衣・食と続いたので次は住。

今の住居は
30年前に引っ越して以来、ずっとそのまま居続けています。

インテリアの基本配置もそのまんま。
壁紙も古くなり、決して流行の内装ではありませんが、
居心地がいいので、何も変えておりません。


趣味においての音楽は保守の王道、クラシックのみ。

クラシック以外は音楽にあらず

…とまでは申しませんが、かなり近いものはあります。


しかも3大B限定。

つまりバッハ、ベートーベン、ブラームス。


これ以外はクラシックにあらず

…とまでは申しませんが、これまた近いものはございます。


気に入った音楽は、毎日々とことん聴き込みます。
とことん聴いても、飽きないのがクラシック音楽のスゴイところ。


ちなみに、頭をクリアにするためには
1日に数度はゲームボーイをしますが、


このゲームボーイ、なんと

1989年製のシロモノで、使い続けて20年!


しかもソフトはテトリスのみ!


手垢はつくは、画面の枠は外れるはと、古色蒼然としておりますが、
いまだ故障もなく元気に動いております。


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この骨董ゲームボーイは、ワタクシの生活必需品、
お宝でございます。


そして何よりも皇室ファン。

EXILEよりも皇太子様の方が、
ずっとステキであると思っております。


とまぁ、こんなのはごく一部で、枚挙にいとまがありません。
ワタクシの保守生活はこんなとこでございます。


他人の生活や社会の情勢にさほど興味もなく、
我が道を往くスタイルを貫き、

自分にとってのベストを追及した結果が
このコテコテの保守生活となったのであります。


と、書くと絶対に変化を求めない頑固者
ととらえられるでしょうが、

さにあらん!


密かに変化がおきてくれはしないかと、
常に目をキョロキョロしながら、沸々としているのでございます。


この変化のない人生や生活に飽きつつあるのは正直なところ。

この「自分らしい」生活が永遠に続くなんて、考えただけでもゾッとします。
急激な変化で自分の生活がひっくり返るのはご免です。


しかし、

少なくとも自分を取り巻く周囲に変化が起き、
その余波で自分の生活にも何らかの影響の変化が起きる事を望んでおります。

保守の人間はリスクを極端に恐れます。

早い話が意気地無しの一面があるのです。


そこで、ワタクシのような保守本流の人間は、
変化が欲しい時には自分の手は汚さず他人の手を借りようとします。

つまり、
保守派には革新派の手が必要なのです。


保守派は革新派を傍らに置きたがるのです。

現に、ワタクシの周囲は引っ越し好き、ファッション好き、
浮気好きの生活革新派がワンサカいます。

彼らがワタクシの保守生活を適度に刺激して、
人生を飽きないようにしているのでしょう。


そして、大きな変化がしたい時には、
彼らの手で、ちゃっかり後押しをしてもらい大革命を起こします。


保守派は革新派の行動に眉をひそめますが、
実はちょっと憧れの目で眺めているのです。


逆のことも言えそう…でしょうか?

保守と革新は、実はとても仲良しで
相思相愛…と言えるのでしょう?


一度革新派の人達にも
じっくり話を聞いてみたいもんでございます。

投稿者 tadashi : 10:30 | コメント (1) | トラックバック

2009年12月24日

般若顔の女達

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最近、昔のビデオを整理していると、
小津安二郎監督(1903〜1963)の映画がワンサカと出てきました。

欧米型の映画に比べると、カメラは固定され、
ライティングも特殊なものでもなく極めてオーソドックス。

脚本も特に気をてらうものでもなく、とても普通。

にも拘わらず、その映像は何度見ても引き込まれてしまいます。


数々の名作が彼の手によって作られましたが、
その中でもワタクシの好きな作品の一つに「秋日和」(1960)があります。

昭和の実にいい時代、高度成長期の屈託のない時代を描いた、
高級能天気な名作です。


ところで、小津といえば、
二人の偉大な名優を生み出しました。

言わずと知れた、笠智衆(1904〜1993)原節子(1920〜)。

もちろん、この「秋日和」にも出演してます。
確かに名優には違いないのですが、このお二人、

とてもヘン。


何がヘンかと言うと、

何をやっても笠智衆。
何をやっても原節子。


それでいて、きちんと役柄の枠に収まっているところが凄くて、

ヘン。


強烈な個性を持っていながら、
普通の父親役や母親役をしてもそれなりに見えるのは小津の手腕でしょう。


笠智衆のヘンさと特異さは、周知のごとくですが、
原節子の場合は、特にヘン。


確かに彼女を見てみると、美しい。

清純派の代名詞のようにたとえられてる、20世紀のミューズです。
全盛期に突然引退して、それ以降は謎。

今もご存命で、鎌倉でひっそりと隱遁生活をなさってるようですが、
その生涯はまるでグレタ・ガルホとそっくりで神秘のベールに包まれてます。

清潔で清純、品性。
それが万人の認める世間の評価です。


でもね、

じっーと彼女の顔を見ていると、
尋常ならざるものが見えてくるのです。


クローズアップされた彼女の顔を見つめていると、
清純でも清潔でも品性でもない、それらとは正反対な、

不純で不潔で卑しいものが垣間見えるのです。


普段は美しい笑みも、
突然、般若の面のような顔に変貌します。

その一瞬はぞっとするほど恐ろしい。

そしてぞっとするほど美しい。


立ち居振舞いにも、それは現れています。

先ほど、卑しいと書きましたが、
彼女が着物を着た時の歩く姿の足元が、それを裏付けます。

座っている時は気にならないのですが、

歩き出したとたん、
ふしだらで不潔な足元になるのです。

実に品性なく、むしろ汚ないぐらいの野婢さです。


手の指先にしてもそう。

場違いなマニキュアを平気で施した爪先は実に不潔で、
役者としての責任に欠けます。

彼女の本質、本性がそんな部分に現れてしまっているのかもしれません。

本性がバレた怖さと美しさです。


小津監督はその本性を熟知していたのか、あるいは知らなかったのか…
もし、熟知していたなら想像以上に見識ある監督でしょう。


そういえば、今をときめく小雪様にしてもそうです。

まさに白い雪のように清純な雰囲気を醸し出しているようですが、
同様に恐ろしい表情を見せる瞬間があるのです。

般若女に変貌する一瞬です。

コマーシャルの映像を見ていても、それを感じ取れて実に怖い。

原節子にしても、小雪にしても、彼女達の尋常ならざる美しさは、
顔とは裏腹な女の本性を映し出しているからかもしれません。


確かにこの二人、醸す雰囲気はそっくりです。


般若面とは、鬼女の顔。
妬み、怨み、苦しみ、怒りをたたえた顔。

妬み、怨みは究極の美女の必須条件かもしれません…


おぉコワッ!

投稿者 tadashi : 16:59 | コメント (0) | トラックバック

2009年12月03日

お笑い洗顔

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ずいぶんと以前になりますが、
「攻めの洗顔・守りの洗顔」というテーマで、
洗顔の重要性をブログに書いた事がありました。


何事にも功罪がつきもので、
洗顔のやり方一つで肌を活性化さす事も可能ですし、
また間違った仕方で肌を荒らす事にもなります。


正しい方法は一つではなく、
肌の調子や体調の変化によって、攻めたり守ったり、
手を変え品を変えて洗顔しなければなりません。


ところで、斯く言うワタクシ、
随分以前から眉間付近がいつも乾燥して、
眉頭の角質がガサガサしていたのです。

いわゆるTゾーンの上部です。


まあ、慢性的な乾燥荒れで、クリームさえ塗れば治まるし、
誰でもあることと諦めながら洗顔しておりました。


ところが、ある日のこと、

家の洗面所で石鹸で顔を洗い、
十分にすすいだにもかかわらず、顔を見ると

石鹸の泡が眉間に残っているではありませんか。


で、もう一度すすいで鏡を見ると…

やはりまだうっすらと残っている…。


これは摩可不思議と考えると、
ハタと気がついたのでございます。


洗顔の時、必ず眉間にシワを寄せてゆすいでいるのです。


いわゆる怒りの表情、
しかめっ面で洗い、ゆすいでいます。


まあ、当たり前です。
石鹸や水が目に入らぬよう、しっかり目を閉じなければなりません。


しかし、
実はこれが泡残しの原因だと
ハタと気がついたのでございます。


眉間のシワや筋肉に残った泡はそのまま居残り、
当然ながら角質を乾燥させて、ガサガサ眉間となっていたのです。

石鹸による乾燥トラブルです。


そこで、ワタクシは試みたのでございます。

お笑い洗顔。


ニコッと笑って、ご機嫌な表情のゆすぎでございます。

ホホッ、
これが意外と効果あり!


笑うと眉間や小鼻の筋肉がストレッチして、
隅々までスッキリと洗い流せるのです。

洗い残し、ゆすぎ残しもなく、
おかげさまで眉間の乾燥ガサガサも随分と落ち着いてまいりました。


何せ強引な幸せ表情で洗顔しますから、
その日の憂さも、ストレスも洗い流せそうでございます。

笑う門には福が参ります。


お笑い洗顔、是非ともお試しあれ〜 ホホッ!

投稿者 tadashi : 11:42 | コメント (0) | トラックバック

2009年10月29日

肉食か草食か

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秋も深まり、季節は冬に向かって着実に移行しております。
夜のしじまからの虫の音を子守唄に眠りに就くのは格別。

リーン、リーン…

なんとも風情がある音色です。


しかし、耳を澄まして聞くうちに、

単に美しいだけの音ではなく、
ある種の官能的で物憂げな響きである事に気付きました。


楽理的には明るい長音階ではなく、悲しげな短音階に近い響きです。

その僅かな官能さを含む哀しさの調べが心地の良い眠りへと導くのでしょう。


そこで調べてみると、

あの音色はオスがメスを惹き付けるため、
羽をこすり合わせて出す摩擦音である
とのこと。


どうりで、官能的なはずです。

春先にギャーギャーとなく猫みたいなもの。

そういえば猫のサカリ声も物憂げな短音階で、
どんな動物も、異性を求める声は、切なく響くものです。

そんな生々しい生態を考えながら虫の音を聞くと、
なんともイヤらしいサウンドで悶々として眠れそうもございません。


ところで、

先日テレビで鈴虫をテーマにしたサイエンス番組を放映してたのですが、
これがなかなか面白い内容でしたので、ちょっとご紹介。


夏の終わりに鈴虫を売って生業としている社長が出演。

その社長、自ら鈴虫を飼育し、
鈴虫を鳴かせたら右に出る者なしの、

鳴かせ名人でもあります。


彼によると、鈴虫は餌の種類によって鳴き声が違うのだそうで、
最も響きが良くなるのはなんと煮干しとのこと。

普段は野菜中心の食生活でも、煮干しを一ヶ月も食べさすと、
まず羽自体が硬く強固になるのだそう。

硬くなった羽は張りが出て、高らかに響きます。
当然音量も増大。


ビフォー・アフターの映像を比べると一目瞭然…ではなく、

一聞瞭然

野菜のみで育った鈴虫は、か弱く情けない音色です。


当然、メスの鈴虫は高らかな羽音のオスの方に人気集中。

そのオスの周辺だけは、まさにハーレムのような有り様となります。


当然ながら、メスが求めているのは羽音ではありません。


響きわたせる羽を持った、
その強靭なる肉体を求めているのです。


種の存続と繁栄には、
強い肉体を持つオスの遺伝子が必要なのです。


これは全ての生物に通じます。


いくら頭が良い文化系オタクよりも、

少々頭が弱くとも体育会系ワイルドの方がモテるのは

鈴虫も人間も同じ生態でございます。


そして、強靭な肉体を持つには、

やはり肉食で育つ必要があります。

肉は肉によって作られるのです。

サラダをパリパリ食べているオトコより、
焼肉にむしゃぶりついているオトコの方がよほどセクシーに見えます。


番組の後半、肉食で育ったオス鈴虫の羽音と、
野菜だけで育った鈴虫の羽音をスピーカーから流すと、

なんと

メス鈴虫は肉食鈴虫のスピーカーに群がり、
スピーカーを埋めつくしてしまうのです。


嗚呼〜、

なんとメス共の哀れなことよ…。

今にもスピーカーと交尾でもしそうな勢いでございました。


人間界においては、
草食系男子がもて囃されている昨今でございますが、

若い生殖能力の高いうちは肉食系男子に限る

とワタクシは考えております。


肉体もオツムも強靭な男子の方がはるかに優秀な遺伝子を残しそう。


そして、
40才も過ぎてご用済みオヤジなると、

草食に切り替え、細く長く生きられることをお勧めいたします。


そう、

肉食系男子に草食系オヤジ。


オトコはこれに限ります。

投稿者 tadashi : 17:34 | コメント (0) | トラックバック

2009年09月28日

KAWAII〜!

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日本には、夫婦(メオト)茶碗とか夫婦箸
というような独特のペアグッズがございます。


オトコは大きく、オンナは小さくです。


これを見て、男女同権の女性運動家は

差別の象徴!

として、眉をひそめます。


思わず、アホッと呟いてしまいそう。


男と女は同権なんてあたりまえ。

法律できちんと定められてます。


それとこれとは話が違うのです。


小さいお茶碗を与えられて、

クソッ悔しい

と感じる女性ってほとんどいないのではないのでしょうか。


キャッ可愛い、と

素直に小さい方のお茶碗を手に取ってしまうのが、
正常な女心であると思います。

考えてみるに、

器を男女によって大小の差をつけてるのは我がニッポンくらいのもので、


西洋において、
メオトフォークやメオトグラスなんぞを見たこともございません。


西洋は機能、用途のみによって大きさを変えます。


ところが、

ニッポンでは男と女の性差でも大きさを変えます。

ワタクシはこれをニッポンの素敵な文化だと思っています。


小さい茶碗や箸を、即座に我が身に置き換え、
しおらしく、いとおしく感じてしまうのは、

ニッポンオンナの特性であると考えております。


小さいお茶碗が可愛いのではなく、
それを使っている我が身が可愛く、いとおしいのです。

視覚と心が同調するのです。


可愛い感情は、守りたい、守ってあげたいという

胸キュンの心の動きです。


いつまでも可愛くありたいと願うニッポンのオンナの感情は、
いつまでも自分自身に母性を感じたいオンナ心でもあるのです。


夫婦茶碗や箸に象徴されるように、
他民族に比べ、我がニッポン人は伝統的に

可愛い感情を発露しやすい民族かもしれません。


ところで、

可愛い という言葉は英語に訳しずらい単語です。

PRETTYともCUTEとも微妙に違います。


可愛いは母性を促す分、もっと幼児性があるかと考えます。

しかも生々しい幼児性です。


可愛いはKAWAIIであって、日本独自の言葉なのです。


そのKAWAII、
日本を脱出して欧米にまで輸出しようとしてます。


KAWAII特使まで作りあげて、MANGAと同じく国をあげての盛り上げようです。


資源が乏しい日本は、せめてKAWAIIを文化水準にまで引き上げ、
世界中を、席巻できればと企てているかのようです。


しかし、そうは問屋は卸しません。


多くの欧米人、特にフランス人は
あのKAWAIIファッションは、子供じみて見えるようで、

「我々は大人の文化よ」とフンと一瞥するだけ。


はい、ワタクシも賛成!


進化、成熟化したものを文化と言えても、
実年齢より幼児性あるものに対して文化と呼ぶのは、文化への冒涜でございます。


KAWAIIは文化ではなく、ただの現象なのです。


とは言うものの、西洋にも物好きマニアはいるもので、
日本発信のKAWAIIファッションを身に纏いたいと願う変わり種の西洋人がいます。

でもねぇ、これって

日本人のボロ勝ち!


あらゆるファッションは西洋人にはとても太刀打ちできなく、
劣等感にさいなまされ続けてた我がニッポン人も、ここにきて大勝利でございます。


立体的で鋭角的なお顔も、手足の長さも、

すべてが不利な条件となるのが、
このKAWAIIファッションでございます。


いつだったか、KAWAIIファッションに身をやつしたアメリカ人をテレビで見ましたが、

まるで自衛隊出身のニューハーフのようで、笑っちゃうほど不似合いでございました。


胴長、短足、平面顔の我々の方が、
はるかに幼児性が強調され、KAWAIく見えるのです。


普通のルーズソックスにしてもそう。

ヨーロッパの一流モデルが
ルーズソックスにセーラー服を着たとこを写真で見たことがありますが、

ルーズソックスから覗く膝が異常に高く、間延びしてとても滑稽でした。


身長、手足が短いほど似合うファッションもあるのです。


つまり、

幼児体型であればあるほど幼児服、つまりKAWAII服は似合うという、
まことに理にかなったファッションなのです。


確かにニッポン人のみが似合う独特のファッションがKAWAII。

ファッションはそれでも結構。着たい人がお召しになればよろしい。


しかし、何事も過剰になると話が違います。


KAWAIIファッションに身を包んだ若者達が、みんな

赤ちゃん口調で喋るのも気になります。


人格まで幼児化して見えるのはいかがかと。


夫婦茶碗のように、ちょっとの差は
オンナに優しさと母性を促し、オトコに力と責任を促します。

夫婦茶碗とKAWAIIファッションとはレベルが違うのでございます。


過剰なKAWAIIは、見る人に母性を感じさせるどころか、孤立化してしまいそう。


世界中にひんしゅくをかわないよう、ほどほどに。

投稿者 tadashi : 15:15 | コメント (0) | トラックバック

2009年08月26日

ネイルアートとニッポン

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この世の最も低俗アートである


ネイルアート。


(アート眉もありましたっけ…)


ひと頃のような、笑ってしまうぐらいの盛り盛りラメは、
さすがに影をひそめつつありますが、

それでもまだまだブームは続いています。


自分ではカワイイと思っていても、他人にとってはどうでもよい、

うっとうしい低俗アートでございます。


手先は道具を使う手段の一つである

という基本的な機能を自ら放棄しているのですから、
ネイルアートオンナは本気で生きてないと誤解されても仕方ございません。


一部の層から始まったネイルアートですが、
今や一般主婦から学生まで幅広い世代に定着してます。


ところで、この加速度的に広がったこのアートも、
ある業界ではかなり遅れて浸透しました。


それは、モデル業界。


意外と思われるかとしれませんが、
モデルがネイルアートを施し始めたのは、ほんの数年前くらいからです。


モデル達がネイルアートをしなかった理由は

至極簡単。


ご存知のようにネイルアートはジェルやアクリルで固められているので、

除光液ごときでは取れません。


そりゃ、あれだけラインストーンやラメをてんこ盛りしてるのですから、
強固な作りでないと困ります。

料理の皿やパソコンのキーボードにラメをポロポロ撒き散らすことになるのですから。


しかし、モデルの場合は逆。

取れないと困ります。


なぜなら、

メイクと同様、広告やファッションのコンセプトに合わせ
ネイルの色を塗り分けなければならないのですから。


ただ可愛いとか、カッコイイとか、

似合っているだけの理由でネイルの色を決められないのです。


そう言えば、ひと昔前こんな事がございました。


その日の撮影は、今をときめく日本人一流モデル。

メイク前に爪を見ると、


当時流行の花柄スパンコールのジェルネイルで
固められてました。


それはそれで可愛いのですが、問題は

広告商品と全く合わないこと。


商品は腕時計でステンレスバングルのメンズタイプ。

花柄スパンコールとでは対極的な時計です。


撮影は時計と顔とのアップショットなので、
爪の細部にわたってよく映ってしまいます。

ナチュラルカラーを上から塗って誤魔化そうとしても、
すでにスパンコール大盛りですからボコボコになるだけで、

見苦しい事この上なし。


モデルも恐縮してごめんなさいを連発するばかり。

結局、指先をポーズとライティングでカバーして、
何とかその日は切り抜けました。


こういう事態が起こり得るので、
ネイルアートはなかなかモデル達の中では定着しなかったのです。


ところが、


現在の撮影はデジタルがあたりまえ。

爪の色なんて、クリックひとつで何色にでもポンポン修正できます。


つまり、

どんな色を塗っていても何とかなるわけです。


となると、

モデル達も満を持して一斉にネイルをアート化させたのです。


現在雑誌系モデル達のほとんどは
ネイルアートでピカピカギラギラさせています。

まあ、それはそれで結構なことです。


ところが、

ワタクシ最近ある事に気付いたのです。


西洋人モデルがネイルアートを施したのを、
未だ嘗てお目にかかった事がないのです!


ヨーロッパ、アメリカ、ロシアを問わず、西洋人モデルで、

ただの一度も見た事がありません。


それどころか、
彼女達の爪は子供のように短く切り揃えられ、


なかには深爪のモデル達がいるほどです。


これって、とても不思議な現象です。


最初はさすがに西洋人モデルはプロ意識が違うものだと感心していたのですが、
それなら爪も長くして手入れも怠ってないはずです。


そこで、彼女達に思いきって聞いてみました。


ネイルアートはしないの?


「horrible!」


と即座にお答えなさいます。


ここがニッポン人と根本的に見解が異なるところ。


指の末端がキラキラしていてると
心まで浮かれてキラキラしてしまうのが、

正常な乙女ゴコロ。


しかし、

西洋人達はそんなラメ爪ごときでは心を動かされないのです。


逆に

「恐ろしく不愉快!」

とまでおっしゃる。


これはこれで、正常な客観視ができてる大人ゴコロ。


そう言えば、
携帯電話をラインストーンで埋めている西洋人モデルを見たことはありません。

携帯ストラップをじゃらじゃら付けてる人もおりません。


日本はカワイイ文化と言われていますが、

ネイルアートも日本独特の固有文化かもしれません。


単にカワイイものが好きというより、

カワイイもの、綺麗なものを見たら、
自分までがカワイイ存在になってしまう、

同調しやすい国民性なのかも。


それと、もうひとつ重要なこと。


似合う、似合わないの問題が大きい。


あのネイルアート、

日本人の手のようにモミジサイズならカワイクも見えるのでしょうが、
西洋人のように大きくタランチュラのような手では、

どうもブキミで魔女のように見えます。


その昔、陸上選手のジョイナーがそうでした。

カワイイとは対極的な挑戦的でブキミな匂いを漂わせていました。


西洋人がネイルアートをすると、
全くカワイくなく、何となく収まり悪いのです。


結局のところ、我がニッポン、カワイイ文化の事の発端は、

この幼児手、幼児顔、幼児体型から起こってるのかもしれません。


だって最近テレビで見る、欧米人のコスプレって
本当にブキミですもの…。


このあたりの深〜いお話は、

また次回にでも…。

投稿者 tadashi : 16:19 | コメント (4) | トラックバック

2009年07月22日

オンナはなぜバッグがお好きなのか

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幼い頃、母の部屋の押し入れを開けると、

溢れんばかりの箱が戸棚いっぱいにあったのを覚えています。


箱の中身はハンドバッグ。


父の稼ぎの割りには贅沢だった母は、ことある度に

「ハンドバッグ買って…」

と猫なで声で父におねだりしていました。


その御用済みになったハンドバッグが
箱ごとびっしり押し込まれていたのです。


その押し入れの大きさから計ると、少なくとも
50個以上は並んでいたでしょうか。


それでも事あるごとにバッグを買い足してました。

不思議でした。

なぜそんなに買い足すのか。


一方、父のバッグは0個。


鞄を手にさげてた記憶はありません。

書類を入れるのは茶封筒で、それより大きな物は風呂敷へ。

父はどうも鞄を持つのが嫌いだったようです。


話はちょっとそれますが、

ワタクシの男友達でも鞄を手にするのが嫌で、

いつも手ぶら出勤をしている銀行マンがいます。


タバコ、ケイタイ、財布、ライター、メモ帳等は

すべてスーツのポケットへ収納。


ですから、常にポケットが丸く膨らんでいますが、
それはそれで何とも言えぬ男臭い味わいがあり、憎めぬ格好です。


男の中でも乙女志向の強いワタクシでさえ、普段使う鞄は2個。

仕事から遊び、冠婚葬祭までこの2つですべてこと足ります。


いずれも10年以上も前に買ったバッグで、

肩から斜めにさげてるボディバッグなんぞは、
電車に忘れたとしても、誰も拾ってくれないほどボロボロ。

ファスナーも機嫌の悪い日は締まりません。


気に入った鞄は廃棄処分までとことん使い込みますが、
数多く持ちたいとは思わないのが一般男性の鞄に対する考え方でしょう。


しかし、女性はまったく逆。


確かに、
男性に比べて女性のバッグの中身のアイテムははるかに多いです。


最低10種以上は詰まった化粧ポーチをはじめ、

デオドラント、ミニタオル、ウェットティッシュ、ピルケース、
オーラルケア、ガムにフリスクにキャンディ…

これらは一般的で、

小アゲ系ならこれにヘアーアイロン、スプレーが加わります。


女性の服には、ポケットが少ないので、バッグが必要なのは十分に理解できます。

しかし、そうは言っても取っ替えひっかえになる必要はないのでは…。


ここが男の理解が及ばぬところ。


たとえ、理解できぬとも、
女性の心の内のどの部分の本能がそうさせるかは計り知りたいところです。


一つには

心の不安定さがそうさせるのかも知れません。


不安定と言っても、たいそうなものではなく、
ちょっとしたストレス。


例えば、軽い嫉妬や上昇志向、迷い、生理や体調、
焦り、イライラ感等の不安さで、ごく日常的なもの。


その不安定になった心のブレを、
日常の「携帯」する物によって、まぎらわそうとしているのかもしれません。


例えば、アートネイル(この世の最も俗っぽいアート!)にしても、
それこそケイタイ電話のラインストーンてんこ盛り、ティッシュのフリルケースにしても、

普段日常に携帯し視界に入る物をできるだけ華やかに、
あるいは可愛くして自分の心とシンクロしたい。


そうする事で
不安定な心のブレをまぎらわしたいと考えるのかもしれません。


要するに、女性はいつも携帯している
アイテムの形や色、雰囲気に同調しやすいのです。


だから、数が必要。


ピンクを見たら、心はたちまちピンクになります。

薔薇柄を見たら、身体中が薔薇の化身になります。

ラメを見たら、きらびやかな心となります。


心のブレの種類は毎日違うのですから、
アイテムも毎日異なり、数もどっさり必要。

2個や3個では十分ではないのです。


エルメスのバッグを持てば、
ラグジュアリー感は満たされても、カワイイ感は満たされません。

エコバッグを持って社会参加できた満足感は得れても、
オンナの勝利感は得られません。


男にだって不安感はあります。

でも、それを日常の携帯する物でまぎらわそうするのは、
女性に比べ少ないように思います。

仕事や趣味等で心の高揚感を維持したいと考えるのです。


ですから、気に入った鞄なら一生涯ひとつでも十分満足。

鞄ごときに心は同調しないのが男性です。


女性は違います。


心とシンクロできるような、気に入ったバッグと出会えば、
もうそれだけで

ドーパミンからアドレナリン、βエンドルフィンまで総動員!


フゥ〜と陶酔状態となり、経済状態、収納スペース顧みず、

即手に入れます。


そう、女性のハンドバッグは
精神衛生面でも必需品なのでございます。


しかし、問題が一つ。


どんなに気に入り、タイマイはたいたバッグでも、どんなブランド高級バッグでも

必ず飽きてしまうのが困ったとこ。


そのスピードは男の比ではございません。


御用済みのバッグは押し入れへ…。


そして、一度飽きられたバッグは2度と陽の目を見ないのも、
凄いと言うか、潔いと言うか、残酷と言うか。


(バッグもオトコも同じ扱い…?)


誰にも遠慮はいりません、


買って、買って、買いまくって、

どうぞ株価も金利も上げてくださいませ!


世界の消費経済は

女性によって支えられているのでございますから。

投稿者 tadashi : 19:12 | コメント (0) | トラックバック

2009年06月25日

半襟の格

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着物を見るのは大好きです。


趣味は日本舞踊で、下手くそなりに30年続けてますので、

着物に対してそれなりの目もあると自負してます。


歌舞伎やお能の伝統柄はもちろん、
女性の普段着である小紋や紬などの柄を見ていると

不思議と気分が華やいだり、穏やかになったり

と心地よくなります。


同じ柄でも、洋服のプリント柄や折り柄、刺繍は、きれいと感じこそせよ、

着物のようにここまで郷愁の感動を誘うことはありません。


そこが和服と洋服との感じ方の差です。


アイデンティティーやDNAと簡単に言ってしまえばそんなもんなんでしょうが、

生まれてこの方、日常ほとんどが「洋」の生活をしていているにも拘らず、
着物に対してしてここまで過敏に反応するのも不思議なものです。


そんな着物ですが、いざ自分が着るという段となると、

かなりおっくうになってしまいます。


見ると着るとではえらい違うのです。


日舞のお稽古等で人よりは着る機会は多いはずですが、
それでも何となく緊張します。


男の着付けですから、帯ひとつにしてもさほど難しいテクもなく、
貝の口(代表的な男帯の結び方)さえ覚えてしまえばあとはなんとかなります。


めったに着る機会のない袴は多少難しいですが、これも他人の手を借りるほどでもなく、
腰になじめさえすればそれなりに格好はつきます。


それでも着物を纏う時緊張させてしまうのは…


襟元です。


襟合わせが、なかなか自分のものにならないのです。


基本的に着物は全部同じデザインです。


袖の長さや、身丈の違い、みやつ口の有無があるものの、

男女問わずデザインはすべて同じです。


柄だけが違うのですが、紋付きともなると、
色もデザインも完璧に同じ。


制服みたいなものです。


ところが

襟合わせ、つまり襟元のデザインだけは、

着る人に委ねられるのです。


これは男物、女物を問わず着物すべてに言えます。


同じ着物でも、

襟合わせによって、全く違った雰囲気に見えてしまいます。


半襟の見え方や面積、Vゾーンの微妙な角度、
襟足の抜き方、緩め方等々で、

行儀の良さ、品、官能性、悦楽性、頭の良さ、あるいは悪さまでもが、

見事に露呈してしまいます。


優秀な時代劇の映画やドラマを見ていると、
その役柄の身分や性格や教養などを、

なんと


襟合わせだけで表現してたりします。


これなんぞは、着付け師の高度なテクニックと教養の深さの表れです。


このように着物は

着る人の人格が要求される、世界でも類いまれな民族衣装

なのでございます。


それやこれやと考えると、
紋付きはおろか、お稽古着すら襟合わせはいつまでたっても恐いものです。


自然に着物が肩に乗るまで、あと30年はかかるでしょうか。


ところで、ワタクシ個人な意見ですが、
女物の着物の場合、


半襟は絶対にです。


しかも、できれば生地は塩瀬。

あらゆる着物に塩瀬の白が最も美しく映えます。


たとえ沈んだ地味な灰色の着物でも、白の半襟を顔のそばに置くことにより、

驚くほど清々しく華やぎます。


逆に、どんな派手な金蘭地の赤い着物でも、
生身の顔に合わせて、過剰な華美さをチャラにしてしまう力が

白の半襟にはあります。


最近、色襟や柄襟が流行っているようですが、

誤解を恐れず言うなら、とても俗っぽくなり、

頭までが悪く見えてしまうものです。


よほどの事がない限り色襟、柄襟はサイテーの選択でございます。


それほどまでに白い半襟には底知れぬ威力があるのです。


このように奥の深い半襟の世界ですが、
最高の水準まで格調高く着こなした日本女性がニ人いらっしゃいます。


一人は四世井上八千代。


京舞の宗家、井上流の先代家元です。


惜しくも98歳で2004年に天寿をまっとうされましたが、
亡くなる寸前まで舞われたその姿は、

言葉では言い尽くせぬほど毅然とした品がありました。


女史の襟の合わせ方は祇園花柳界独特の古典的なものです。


半襟を鈍角に詰上げ、着物は鋭角に合わせ、

白い半襟をたっぷりと見せます。


一般人が同じようにすると、完全に襟負けしてしまうほどの白面積です。


しかし、女史がなさるとそれは

芸術品!と呼べるほどの美しさです。


さて、もうお一人は


美智子皇后陛下です。


表面的には、一般にも通ずる極めてオーソドックスな襟の合わせ方ですが、
その微妙なバランスは、オーソドックスを超越して、


神の域まで達しているかのような品格です。


日本を代表する、

ナンバーワン半襟と言っても過言ではありません。


襟をじっと見ていると、その方の人格、人生観、豊かさまでが見えてきます。


お若い方々が、成人式で付け焼き刃で振り袖を着るため、
美容室に駆け込み着付けをしてもらってますが、


襟合わせだけは自分でできるように練習してください。


自分の格を決定するものですから、

決して人に委ねる部分ではありません。


それを感じ取れれば、

着物がもっともっと面白くなるはずです。

投稿者 tadashi : 16:22 | コメント (1) | トラックバック

2009年05月22日

ウソ発見眼

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先日、「中年しゃべり場」というテレビ番組を観てました。


以前NHKで、若い世代の心の悩み、心の格闘の思いの丈をしゃべりまくるという

「しゃべり場」という番組がありましたが、

それの中年版。


オヤジ、オバサンの思いの丈を聞く企画です。

それを周りで見ているイマドキ若年達が時々意見をはさむ、
ワインヤードミーティング形式。


内容と言えば、別に取り立てて説明をするほどではなく、
はっきり言って退屈なものでした。

人生経験豊富な中年勝ち組と、人生未経験の若年層とのディスカッションでは
内容の構成はおのずと見えてきます。


そんな内容はどうでもよく、ワタクシが注目したのは、

そのコメンテーターのオヤジ方々の

頭の方。


そこそこ有名な評論家や学者らオヤジ4名が出演してたのですが、


そのうち一名が地毛。

うち一名が禿げ隠しとおぼしきキャップ帽。

あと二名がカツラ御装着。


つまり4分の3のオヤジが、

現状の人生にウソをついてるか、誤魔化しているわけです。


ですから、若年層に対して意見を言っても、何ら説得力もなく、
空虚に聞こえたのです。


ところで、カツラ御装着の2名、
そうとうに上質の高級ウィッグであるのは一目瞭然でございました。

いかにも取ってつけた不自然さはなく、つむじも、地毛との境界線も、とてもナチュラル。
ヘアスタイルもイマドキで、ウン十万円コースであるのは確実。

取り敢えずはお似合いでございました。


にもかかわらず!


バレちゃうんですよね〜

カツラって。


どんなに精巧、巧妙に作られても、どんなに高級であっても、
瞬時にしてバレバレでございます。

高いも安いも関係なし。


道ですれ違う10秒前からバレてますし、
満員電車の超至近距離からでもバレてます。

遠目でも近目でもバレるんですから、
こんなに見破り易いウソも珍しゅうございます。


それにしても、何故にこんなにバレやすいのか…


まず生え際の不自然さがあります。


確かに以前にくらべ最近のカツラは巧妙なテクで自然ぽくできてます。

しかし、自然ぽく見えるという事は、あくまで「ぽく」であって、自然では絶対ないのです。


自然でない理由は、うぶ毛と切れ毛がないこと。


つまり曖昧な毛が一本もないのです。

きれい過ぎるのです。


人間の毛は曖昧だらけ。
一本づつ太さも弾力も微妙に違っています。


そして、もう一つ。眉とのバランスが悪い。


濃い眉の人はまだ誤魔化しがきくのですが、薄い眉の人の場合がどうもバレ易いのです。

眉が薄けりゃ、地毛も細いはず。


なのにカツラ毛はやたら太く健康的だから、
何とも言えぬ、不自然極まる人工臭さが漂うのでございます。


だいいち、細い毛の人は顔の毛穴も小さく肌のきめも細かそう。
なのに頭皮だけが大きな毛穴であろうはずがありません。


このあたり、カツラメーカーも肌との関係も考慮して製品開発をして頂きたいと思ってます。

それでもバレるのでしょうがねぇ…。


さて、偽物は本物を凌駕しようと、あらゆる手段を講じます。


その手段は、姑息、あざとさ、水増し、メッキ…と多種多様。


本物に近づこうとすればするほど、この小さなウソはどんどん拡大されます。

作り過ぎたイマドキスタイルや、しらじらしい白髪の割合等々。


つまり、

本物に近いカツラほど、ウソの技巧も高度で、パワーも強い分、
バレ易いのでございます。


完成度が高過ぎると、ほんの僅かな違和感が見ているうちに、どんどん拡大され、
ウソ臭くなるのです。

造花や食品サンプルと同じ。


もちろん、かつらだけの話ではありません。
それらは、この世のありとあらゆることに通じます。

バッグ、骨董、絵画、そして人、もちろんオトコも。


ウソを見破るには、ウソ発見眼を養わなければなりません。


まずは
対象物をじっと見つめるべし。


落ち着いて。偽物は人の焦りにつけこんできます。

ひと目で簡単に魅了されてしまう要素があれば要注意。


本物の魅力はそうは簡単には理解できません。


本物を知るには時間がかかるのです。


偽物は、あざとくも姑息な手段で人を眩まします。

それが魅力と見えれば、騙された方が悪いのです。

焦りがそうさせます。


カツラもオトコも同じ。


ですので、

カツラ装着のオトコは御用心!


いつも、バレバレの嘘を真面目顔でつかれているようで、滑稽ですらあります。


あっ、ことわっておきますが…

被りたいのに、今さら被れない嫉妬から申し上げてるのではごさいませんでしてよ、


念のため。

投稿者 tadashi : 16:29 | コメント (4) | トラックバック

2009年04月27日

保湿ケアの奥の手

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ワタクシ、50才を過ぎた頃から、お肌のある異変に気付きました。

カユイのでございます、足が。


ふくらはぎのちょっと下、

靴下のゴムがしめつけられる、その辺りが

異常にカユイのでございます。


若い頃はどうってこともなく、
ハイソックスのきついめゴムもへっちゃらでした。

それがこの数年、
ちょっとのしめつけに対しても敏感に反応し、

ついボリボリ掻いてしまうのです。


ひどい時は就寝中も無意識に掻いているようで、
朝には靴下ゴムのラインに沿って、

かさぶたがくっきり。


そもそもはワタクシの顔、体は
皮脂が出やすく新陳代謝も旺盛なタイプ。


なので、洗顔後も入浴後もクリームやローション要らずで、

何もケアしなくとも、数分後には
天然皮脂がジンワリ湧き出て潤うのです。


ともかく、「何もしてません、しっとり自慢」の

超安上がりスキン人生でございました。


しかし、ここに来て加齢には勝てません。


顔はまだしっとりが持続しているのですが、
足辺りから徐々に

乾燥化が忍び寄って参りました。


新陳代謝の鈍化でございます。


そうなると保湿クリームの力なしでは生きて行けません。


就寝前にクリームを塗るのですが、

数時間後には乾燥化がはじまり、
朝には元の砂漠足となっています。


原因は2つ。


一つは洗い過ぎ。

いくらボディーソープで泡立て洗浄しても、ゴムでしめつけたルートは血流も悪いので、
皮脂再生が遅く乾燥劣化も著しいのです。


なら、洗剤で洗わなければいいのですが、
やはり1日の仕事の汚れはサッパリ落としてリフレッシュしたいもの。

そこで先ほどの保湿クリームで補うわけですが、
その塗るタイミングが難しいのです。

それが2つ目の原因。


以前のエッセイでも述べましたが、

入浴後の乾燥化は僅か40秒後から始まるのです。


入浴中は表皮に水分がたっぷり含み、
潤ったしっとり肌となって見た目もまんざらでもありません。


しかし、

その潤いはあくまで仮住まい。


バスタオルで水分を拭き取った瞬間から、
水分は空中へと逃げてしまいます。

その間がデータによると僅か40秒というわけです。


なので、

保湿クリームは40秒以内で塗れるか塗れないかが勝負の分かれ目。


40秒以内で塗って、

仮住まい水分をコーティングして

角質層に閉じ込めよう

というわけです。


でもねぇ、
ワタクシも40秒以内のクリーム塗布は何回もトライしてるのですが、
やっぱり難しゅうございます。


体を拭き終えるだけでも軽く1分。

ほっとひと息つくと、もう3分。


そこでテレビなんぞ見ようものなら砂漠化は容赦なく進行いたします。

風呂上がりくらい、バタバタしないで優雅にしたいものでございます。


そこで、ない知恵を絞って考えたのが、

リンス保湿法であります。


お手持ちの保湿クリーム、
できればもう一つお買い求めくださいませ。


それをお風呂場にも一つ置いておきます。

脱衣場ではなくお風呂場に置くのです。


顔や体を洗浄し、すすぎ終えたら、

塗れたままで結構ですので、
保湿クリームを適当にぱぱっと塗っちゃいましょう。

できれば、
顔は顔専用の、体は体専用のクリームをご用意ください。


塗り終えると、また軽くすすぎます。
ほんの軽くで結構です。

これはクリームを流し落とすという意味ではなく、
体全体に行きわたらせるためです。


そして、いつものようにタオルで拭き取ってください。

ちょうどヘアシャンプーの後、リンス剤やトリートメント剤を塗った後に、
さっとゆすぐあの要領でございます。


つまり、これは仮住まい水分を仮コーティングしているのです。

あくまで仮ですので、本塗りはその後に必要です。


でも、とりあえず仮コーティングさえしていれば、
40秒以内なんていうのバタバタ保湿をしなくとも余裕綽々でございます。


5分後でも10分後でも、

テレビドラマやモーツァルトを聞きながらでも、

おもむろに本塗りする事ができます。


ワタクシの場合は、入浴直後は冷蔵庫に直行してC1000タケダを飲むのが日課。


この爽快感を味わうために生きているようなもので、
我が至福の時でございます。


C1000タケダの前に保湿ケアなんて考えられないのございます。


お陰様で、この保湿方法で今年の冬は、
入浴後も優雅なひとときを過ごせるようになりました。


そして、かさぶたラインも何処へやら。


砂漠肌でお悩みの方、しかも入浴後バタバタしたくない方、

是非ともお試しあれ。

投稿者 tadashi : 16:50 | コメント (0) | トラックバック

2009年03月23日

オトコはどこを見ているのか

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ちょっとばかり以前、タイトルはすっかり忘れてしまいましたが、
男と女について考えるドキュメント番組がNHKで放映されました。

なかなか面白く、ちょっと考えさせられた中身だったので
今回取り上げてみます。

今からの内容は、その番組からの受け売りが半分でございます。


まず、
オンナはオトコを選ぶ時、オトコのどこを見ているかです。


顔?…ノー

身長?…ノー

大胸筋?…ノー

大褪筋?…ノー


では、知性?


…半分ノー


オンナはオトコの姿なんか見ていず、

オツムの中味も覗いてません。


実はオンナはオトコの行動を見ているのだそうです。


その行動とは、
単なるよく動くとか、エネルギッシュとか力強いとかいった
単純なものではありません。


オンナをいかに助けてくれるか、あるいは救ってくれるか

行動によって見極めているのだそうです。


これには深〜いワケがあります。


ちょっと、ご説明しましょう。

人間は他の生物と異なるのは、2足歩行であること。

2足歩行は手を自在に操れ、道具を扱うことができ、高い知性が備わっています。


しかし、その反面大きなデメリットもあります。


二足歩行は体型上、あるいは体力上、下腹部に負担がかかるため
子宮内胎児が成熟し大きくなるのは不可能なのです。

なので、未熟児のまま出産せざるを得ないのです。


例えば、
馬なら産まれたての子馬でもスクッと立ち上がり、母馬の乳をすぐに探します。

鯨でも産まれた瞬間、素晴らしい泳ぎを見せ、母鯨と伴走します。


他の動物も同様で、
人間の赤子に比べ、はるかに成熟した状態で出産できます。


しかし、人間の赤子の歩行は出産後、なんと一年以上もかかります。


食事も授乳から離乳食と何段階も踏まなけれなりません。

母親には大変な負担がかかってしまいます。


現代なら何とかなるでしょうが、原始の時代では、
周りに恐竜や猛獣もいるでしょうし、
母親一人の育児では過剰な負担が強いられてしまいます。


そこで必要なのが、オトコの助けです。


きちんと食料を運んでくれるか、

きちんと敵から母子を守ってくれるか。

きちんと育児を手伝ってくれるか。


オトコと出会った瞬間に、

その行動から母子を守ってくれるか否か

を見極めようとしているのです。


人類ほど出産育児においてオスの助けがいる動物は他にいないのです。


では、では、

オトコがオンナを選ぶ時、どこを見ているか?


顔?…ノー

肌?…ノー

行動?…ノー

知性?…ノー

バスト?…ノー


実は

ウェストとヒップの比率を見ているというのです!


その比率も黄金比があるそうで、洋の東西問わず万国オトコ共通との比率。

ミロのビーナスなんぞはピッタリそれにはまっているそうでございます。


その黄金比ですが、4:6だか3:7だか数字に弱いワタクシはすっかり忘れました。
スイマセン…。


そのウェストヒップをオトコが見るのは、
ただ単純に性欲だけで見ているのではありません。


その視線の奥には、

多くの子孫を残せるだけの力強いヒップ(子宮)を持ちあわせてるか、

それを見ているというのです。


性欲とは単純にそういうもんです。


いずれにせよ、男女とも異性を見る時、
種の存続と繁栄という大命題があるわけです。


この世に生を受けた、すべての生物の課題です。


しかし、です。


ちょっと待てよ…。


男女とも種の存続という共通の大命題があるにせよ、

見ている所は明らかに異なるではありませんか。


オンナは行動、
つまりは、その向こうにあるオトコとしての技量、つまりは内面を見ようとしています。


しかし、オトコはヒップ
という外見のみを見ているではないですか。


内面と外見…


この男女のギャップは物凄いと思いませんか?


もちろん、
すべてのオトコが外見のみでオンナを選択しているわけではないでしょうが、

確かにオトコ3人よればオンナのボディ下ネタ話になりますし、
オンナ3人よれば、オトコの行動批評大会でかしましくなります。


そう言えば、なるほど納得とガッテンすることが多々あります。


オンナはオトコの行動をつい制約したがります。


どこへ行ってたの?

何してたの?

そんな事やめてよ!

早く決めてよ!

etc
と、オトコの行動を制約したがります。


一方オトコは、

髪長くしろよ。

化粧ぐらいしろよ。

そんな服着るなよ。


と、まあ外見を強引に自分好みにしたがります。

そうすることでオンナを視覚によって独占しようとします。


オトコとオンナの痴話喧嘩がいつまでたっても平行線なのはこのせいです。


いずれにせよ、明確な事…それは、

オトコは中身、オンナは外見!


オンナがおしゃれに、しこたまお金を費やすのもこのためであります。


冬空の下ミニスカートからのナマ足も、

補正下着でがんじがらめになるのも、

不自由な指の動きでラメネイルてんこ盛りするのも、

肌荒れしてもファンデーションがっちりガードも、


まさに身を削ってまでも外見を競うのは、オトコの視線を知っているため。


外見のみでオンナを判断してるなんて、そんなオトコ、サイテー!
なぁんて考えないように。


それが現実なんですから、潔く認めましょう。


ほ〜ら、今日もプリプリのリップグロスをたっぷり塗っているではないですか…。

投稿者 tadashi : 14:36 | コメント (1) | トラックバック

2009年02月25日

オバマ演説の2つの謎

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まぁ、それにしてもご立派な就任演説でございました。

20分間、ほとんど噛む事なく、
立て板に水の如くの流暢な演説は

過去の大統領での中でも屈指ではないでしょうか。


演説というより、
立身出世の典型的ハリウッド映画の

お涙ラストシーンを見ているようでございました。


ケニアから裸一貫で移民してきた父を持ち、
低所得層から這い上がり、

米国ナンバーワンの地位にまで登りつめた一世一代の大舞台。


27才の才智あるライターが書いた内容とは言え、
その一言一句をすべて自分自身の全身から発する言葉として変換できる能力は
まさに千両役者の風格。


ヨッ!ホンモノ大統領〜!


その昔、昔、ローマの元老院で民衆を前に感動を呼び起こした
ジュリアス・シーザーの名演説は
かくのごとくではなかったかと想像します。


文献によるとシーザーの演説は、

元老院の博識ある貴族達は勿論、教育を受けていない奴隷や娼婦達まで、
ありとあらゆる階層の人々の心に届く、
非常に分かりやすい言葉を駆使しながらも、迫力に満ちた語りっぷりだったようです。


そのは、広場の隅々まで朗々と響きわたる特別な声を持ち、
独特の韻律で民衆の心を捉えたと想像できます。


オバマ氏も同様、

黒人独特の響きのよいバスバリトンで4ビートの韻律をもって、
分かりやすい言葉で、

あらゆる人種の心に訴えかけ感動を呼び起こしました。


カリスマの演説で重要なのは、

この独特の韻律を持っていること。


韻律で立て板に水の如くまくし立てられると、
相手を煙に巻くことができます。


どんな名演説にも多少の矛盾はつきもの。
それをサラッとかわし、煙に巻くのが名韻律です。


オバマ氏の就任演説を聞いていると、
英語なんてチンプンカンプンなワタクシでも、

その韻律に聞き惚れ、妙に納得させられちゃいます。


姿よし、顔よし、オツムよし、声よし、大胸筋よし、歯並びよし、歯磨きよしの、

よしよしずくしのまさにホメ殺し大統領でございます。


が、


エレガンスの伝道師はとてもイジワル。

そうは問屋が卸しません。


テレビで何回か観ているうちに2つの謎に気付いたのです。


まず1つは首振り大統領である事。


視線と顔方向が一致して、流し目なんてお下品な手段を使わないのは
さすがに品格ある大統領でございます。


しかし、
その視線と顔は必ずと言っていいほど右端か左端!


つまり絶対に正面を見据えないのであります。


そのため一句ごとに右へ左へと、
せわしく首振り状況となります。


ご本人は視線を公平、平等に投げかけているつもりでしょうが、
大多数を占める真正面を一度も斬らないのは


何故…?


真正面のオベリスクのはるか果てまでには、
200万人の民衆が居並び、

その200万人の視線は大統領一点に注がれているのに、

手みじかな至近距離の右側と左側の隅にしか目線を返さないのは


何故…?


まさか、
大多数を無視して社会の隅のマイノリティの一部にしか
視点をおいてないんじゃございませんでしょうねー。


そしてもう一つの謎。


ワンフレーズ終えると口元をすぐに閉じてしまう事。


これもとても謎。


どんなに笑顔の時でも、
ワンフレーズごとにあの白い歯が肉感的な唇によって

ピシャリと閉ざされるのであります。


どうって事ないと思われましょうが、
これって考えてみるととても不可思議な行動なのです。


ワンフレーズ終えると次のワンフレーズのために息継ぎが必要なはず。

普通はそのために軽く口を開け、息を吸わなければなりません。


しかし、

彼の口は完全に閉じています。


彼の中に一種独特の冷やかさを感じるのはそのせいです。


日本の首相なんぞ、歪んだまま開けっぱなし口で

親近感丸出しでございます。


オバマ様が口から吸っていないとなれば
鼻から吸っているとしか考えられません。


でも、あのような立て板に水の如く流暢に喋っているとき、
とてもじゃないですが鼻からだけの息継ぎでは酸素容量が足りないはず。

あるいは、
鼻腔の広さが我々日本人とは桁外れに広いのか…。


それにしても、息継ぎの時、

あの美しき大胸筋が全く揺れないのも

これまた不可思議。


息を吸っている気配を全く感じないのでございます。


ひょっとして、息をしてないの?オバマ様。


こんな超人的な大統領に、
日本の小使い首相は太刀打ちできるのかしら。


ちょっとでいいから口から息をお吸いになれば、
もう少し親近感も湧き、

我が首相も怖じけつかないかと思われます、オバマ様。

投稿者 tadashi : 13:40 | コメント (2) | トラックバック

2009年01月27日

なぜオンナは年上のオトコを選ぶのか

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厚生労働省の統計によると、

平均初婚年齢は2006年度は男性が30.0才 女性は28.2才。
その差が1.8才

フーンそうか、と言う事はワタクシなんぞは、
うんと平均以下更新中となります。


で、ず〜とさかのぼって100年前
つまり1910年度の統計をみると、

男性は27.0才、女性は23.0才で、その差4.0才。

この100年ほどで、その男女差は3.2才縮まったわけです。


その背景には、女性の社会への進出や生活自立、
あるいは逆に男性の生活力の不甲斐なさか…。


いずれにせよ、収入に対して、衣食住や学費、
生活全般の経費の率が格段にかかる現代では、
女性の婚期が遅れるのは仕方ないかもしれません。


しかし、その差が年々僅差になったとは言えども、
男女が逆転した事は、
厚生省が統計を取り出して以来この100年、

一度もないのです。


つまり、オンナがオトコを初婚の対象として選ぶ時、
年上がほとんどと言うわけです。


夫が年上なんて当たり前のようですが、
よくよく考えてみると不思議です。

年功序列の社会が崩れつつあり、
実力社会になりつつある現代においても年上を選ぶのは、
今も昔も変わりありません。


もちろん年上女房甘え上手のオトコや、
若いオトコを可愛がるのが好きなアネさん女房もいるにはいますが、

やはりそれはごく一部。


圧倒的にオンナは年上のオトコを選びます。


当然、頼りがいがある、甘えたい、経済的問題等々があるでしょうが、
果たしてそれだけの理由だけでしょうか。


ここにひと組の実在のカップルがいます。

ワタクシの知り合いの知り合いで、早い話がアカの他人ですが、
オンナ25才、オトコ67才。

その差なんと42才で、あとひと息で半世紀!


とは、言ってもさほど珍しい事ではありません。


欧米でも日本でも50才以上離れているカップルはワンサカいて、
さほど奇異な光景でもなく、それなりに仲睦まじいようです。


しかし、その逆となるとかなり奇異。


いくら年上好き、熟女キラーのオトコでも、

50才も年上のオンナを好きになるなんて、
聞いたことも見た事もありません。


マザコンオトコはいても祖母コンオトコはいないのです。

それに反して、ファザコンオンナの中には、

祖父コンオンナも潜んでいるのです。


歌舞伎役者の中村富十郎様は33才年下の女性とご結婚なさり、
70才の時、初めてのお子さんを授かられました。

このあたりにヒントがありそう。


大きな理由のひとつに生殖能力の差かもしれません。


オンナが子供を産めるのはせいぜい40才
閉経と同時にハイ終了で御用済み。


しかし、オトコが子供を産ますのはエンドレス。


オス自身の寿命がなくなるまで、

なんぼでも、どこでも、いつでもでございます。


オトコは死ぬまで、多少劣ることはあっても、
生殖能力がなくなることはないそうです。

つまり、オスは己れの優秀なる遺伝子を後世に残すがため、
一生涯を費やすことが可能なのです。

幸いなことに、
精液の製造元に老いも若きも関係ございません。

創立100年の老朽化した工場
10年少々の新築工場も、

出来上がりの精子は全く同じ。


要はその遺伝子が優秀か否かであります。


だとすれば、若いオンナが50才も離れた、
加齢臭漂う年上のオトコに惚れ、
母性が揺れ動くのも納得できます。


オンナの多くが常に年上を求めてるのは、
長期間使用可能なそのオスの生殖能力にあると考えております。


世のオンナ達よ!
オトコには賞味期限があっても消費期限はございません!


なんぼでも、どこでも、いつでも!

投稿者 tadashi : 13:00 | コメント (1) | トラックバック

2008年12月29日

悲しみゴージャス効用

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今回はちょっとマジなお話でございます。

素敵なもの、感動するもの、カッコイイものを見たり聞いたりすると、
最近の若い世代は「スゲー!」とか「ヤバッ」とか呟きます。

ワタクシの場合は「ゴージャス!」と呟きます。

ゴージャスって言葉、直訳すれば豪華とか豪奢とかいう意味なん
でしょうが、ワタクシの場合はもう一歩踏み込んだ意味で使います。

それは「豊か」という意味。

豊かという言葉が大好きでございます。
ワタクシの人生において、最も大切にしている指針の言葉の一つです。


金八先生のようで恐縮でございますが、
意味を知るにはまずは字の解体から始めなければなりません。


…豆の上に曲がると書きます。

つまりは十分豆が実って重さで茎が曲がる
という意味であります。

様々な栄養、日光、水を含んで成長した豆は美しく、我々を魅了します。

豆だけの話ではありません。人も同じ。

勿論、お金や財産のような物質だけの豊かさの話ではありません。


心の話です。


知識、教養、健康、経験…
それらの栄養素をいっぱい含んでいる人を
豊かでゴージャスな人とワタクシは呼んでいます。


その栄養素の中でも、特に重要なのは経験。

様々な事象を経なければなりません。


楽しい事ばかりの経験が人生が、
人を豊かにしないのはご承知のとうり。


よく人は幸せな人生を送りたいと考えますが、
幸せな人生と豊かな人生とは全く別物で関係ない
と考えてます。


幸せ感とは豊かさの単なる一部、一要素であって、
すべてではありません。

不幸感も豊かさにおける重要な要素だからです。

阿鼻叫喚の地獄絵から狂喜乱舞の天国図まで、
あらゆるシチュエーションを人間は経験しなくてはなりません。

つまり泣いたり笑ったり、嘲たり嫉妬したり、
優越感や屈辱感、そんな様々な感情を呼び起こす出来事をより多く経験する事。

ただ、経験するだけでは豊かになりません。
それらの経験を栄養にし、身につけなければならないのです。
そして、あらゆる感情をコントロールできる力。


それが知識と教養です。


知識と教養によって、経験がはじめて栄養となり、
豊かな人生つまりゴージャス人生になるとワタクシは考えております。


そうは言っても悲しみは誰だって嫌です。

できることなら避けたいものです。

でも、大丈夫。


悲しみにも、ちゃんと効用というのがあるのです。
悲しみも人の心を豊かできるのです。

つらい事、悲しい事が起こると人は自分の心の奥底に入っていきます。

不幸は自分の心と真正面から向き合う絶好のチャンス
なのです。


例えば、失恋して悲しい時、
自分の性格を知らず知らずのうちに分析しています。
自分の心の狭さ、寛容の無さを見つめています。


最愛の人との別れが永遠に来た時、
自分の孤独感、寂寥感と懸命に戦ってます。


しかし楽しい時、嬉しい時、笑っているとき、
人は自分の心とは向き合わないのです。

自分の心を素通りして笑い転げているだけ。
楽しい事ばかりだと自分自身と対峙できません。

笑っているだけでは、アホな人生となるのでございます。


それと、もうひとつ。
悲しみは人と人との心の絆を深める事ができます。

悲しみは人の心の寄り添いを必要とするからです。

当然ながらそれによって他の人の心の痛みも理解できます。


悲しみはきちんと向き合いさえすれば、必ず栄養分となります。

豊かな人生の中には幸福栄養素
不幸栄養素も含まれるのでございます。

ワタクシは幸せ人生よりも、豊かな人生にしなくてはならない
と考えています。


さらに大事なことをもう一つ。


ゴージャスな人生になった暁には、
豊かさを必ず他の人に分け与えること。


豊かさは循環しなければならないのです。

自分の心の内で独り占めすれば、
豊かさは一瞬のうちに色褪せケチで貧しい心となります。


貧しさに人の心は動かされません。


人は勿論、命ある生るものすべては
豊かさを求めるのです。


とまぁ、今回も説教がましくなり、お坊さんのようになってしまいましたが、
ワタクシ自身がそういう人生だというわけではなく、
自分自身にそう言い聞かせてながらの人生修行中。


悲しい時、つらい時はゴージャス!ゴージャス!と呟きながら、
その場を乗り越えております。


それが悲しみを克服する時の秘訣でございます。


嬉しい時もゴージャス!悲しい時もゴージャス!
でございます。

投稿者 tadashi : 10:58 | コメント (3) | トラックバック

2008年11月29日

中華そば屋の男祭り

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我がマンションは繁華街から少し離れてはいますが、
休日となれば閑静な住宅街となります。

その我が家の細い通りをはさんで真向かいに、
突然赤い張りだしテントがついた小さな店できたのです。

間口一軒あるかないかのその店は、
カッコイイとかイマドキとかいった店ではなく、
どちらかと言えばダサイめ。

ともかく赤いテントさえ目立てばいいと言う、
昭和商店街風のお店であります。

そしてなんと、そのダサ昭和の店が、なんとオープンの日と同時に
ずらりと行列ができたのであります。

多い時で10人以上、少ない時でも2〜3人が、
雨の日も風の日も絶えず並んでいるのです。

我が家のベランダからよく見えるのですが、
その行列は住宅街には不似合いで不思議で不気味。


店の正体は「中華そば」


ラーメン屋さんではなく、中華そば屋さんでございます。


蕎麦は大好きでもラーメン系麺には全く興味がなく、
評判の店にも行った事もないワタクシにとって、
中華そばとラーメンの違いなんてどうでもよく
横目で通り過ぎておりました。

しかし、開店五分前にはすでにずらりと行列が形成されてますし、

その10分前には行列にいち早く並ぼうとする
ツワモノ達が駅から走ってくる様は、

まさに駅伝か神社の福男ダッシュのようで尋常ならざる光景。

フンッ、中華そばごときに…

と上から目線で眺めていたワタクシも、
こんな状況を毎日目の当たりにしてしまうと、
やはり人の子でございます。
並んでまでも食べたい中華そばはいかほどかと、
日ごとに好奇心はつのるばかり。


先日、小雨の降る夕暮れ時、
前を通ると店の前には誰も並んでなく、
空席もありそうな気配。


これは奇跡!


宝くじに当たったようで勢いに任せて
思わず暖簾をくぐり抜けました。

丸い時計が一個あるだけの店内は全く飾り気なしで、予想以上の狭さ。


なんとカウンター五席のみ!

そしてメニューは中華そば一品のみ!


他は何もナシ!


オーナー(意外とお若いオタク系)一人で
すべてをまかなっているためか、
自分のキャパを越えないようにしている
その真摯な姿勢に好感度は上がります。

普通、ラーメン屋さんの厨房というと、
鍋やお玉やザルの音でガチャガチャした騒々しさを
想像してたのですが、
さにあらんこの店はとても静寂。

何よりもオーナーがバタバタせず
ゆったりしてらっしゃるのがおよろしい。


これまた好感度アップ。


カウンター越しにみると、
チャーシューを切るにしても麺を椀に盛り付けるにしても、
焦らず泰然自若となさっておいでです。

客が貧乏ゆすりしてようが一切関係ナシで我関せず。

まるでお茶の作法を見ているようで、
丁寧そのものでございます。

しかるに、注文してからはゆうに
10分以上はかかります。

そりゃ〜行列できるわいナ〜…と独り呟いておりました。

さて、肝心のお味でこざいます。
ひと口スープを飲んだ時の感想は、


正直言ってフクザツビミョーなものでございました。


まずいかと言えばノー。

旨いかと言えば、う〜ん…。


何とも言えぬ複雑なだ汁でございます。

喉の奥にからんんでしまう独特のエグ味があるのです。


聞けばここのだし汁は鶏ガラ煮干しのミックスだそうで、
最近はこういったダブルスープが流行りとのこと。


あぁそうか、あの独特のエグ味の原因は
このダブルスープにあったのかぁ。

煮干し汁を混ぜると「ラーメン」ではなく
「中華そば」と呼ぶのかもしれません。

鶏ガラは鶏ガラ、煮干しは煮干し、
トンコツはトンコツと単純スープの方が、
ワタクシの舌の引き出しは整理しやすいので、
この複雑な味はワタクシにとって解読不能でございます。


ケチャップマヨネーズを混ぜた
ケチャマヨトーストを初めて食べた時ような、
あるいは生まれて初めてビールを飲んだ時のような感覚、

それを思い出します。


あの長い行列を日々見せつけられ、
期待のみが先行していたせいか、
ショックも大きゅうございました。


ワタクシが期待してたのは福臨門中国飯店のような
洗練されたスープ汁。


それを我が庶民の街で望んでいたワタクシが間違いございました。


それにしても、走って並んでまでの味かいナ…
とチャーシューを頬張りながら考ておりました。


スープも飲みほした頃、ふと顔を上げると店内は知らぬ間に満席。
外にもかなりの行列ができているではないですか。


驚いたのは、行列の長さではなく、その性別の方。


すべてがオトコ!


店の中も外もオトコ、オトコ、オトコ!


老若問わず、あらゆるジャンルのオトコのオンパレード。


まるで男子寮にまぎれ込んだような、
殿方厠待ちのような、野球部の合宿にいるような…


これは男祭りではござんせんかっ!


オンナ、子供、オカマなんぞは及びでないっ、と言わんが如し。


しかもグループ、友達同士は僅かで、ほとんどが単身。


カウンターにならんで黙々とどんぶりに向かってる姿は
厠の用足しのような風情でございます。

ズーズーと音をたて、犬食いのごとく脇目もふらず
必死になってエグ味中華そばに食らいついている姿は、
哀れというか、情けないというか、可愛いというか。


ひょっとしたら、オトコ共は
このエグ味が大好きなのかも知れません。


ビール臭さを筆頭にレバー、

塩辛、蟹味噌、スルメ等々のエグ味。


単純に苦いとか、しょっぱいとか判別できない
フクザツな味です。

舌の奥の方で感じとれ、ムッとする僅かな酸味。
腐敗臭とまではいかないですが、独特のケモノ臭さ。


息を吸い込む時よりも、吐き出す時の方がより感じ取れます。


このエグ味を捉えると、
唾液腺が刺激され食欲が増進するのかもしれません。


オンナがストレスを感ずるとスイーツを欲しがるように、

オトコはエグ味でストレス解消するのかも。

あるいは、このエグ味が
オトコの闘争本能を刺激するのかも。

そう考えて見ると、中華そばを食べ終わったオトコ共は、
実に爽快で血気はやる高揚顔ではありませんか。


オトコにとって、エグ味はオスの本能を刺激するものかも。


この中華そば屋さんはオンナ、子供、
オカマの立ち入れない神聖なる領域かもしれません。


男祭りをご覧になりたければ、この店へどうぞ!


血気はやるオトコ共の単純明快な思考の一面を知る事ができます。


それにしても、走ってまで、並んでまでの味かいナ…
と、ブツブツ言いながらも、すでに五回通っております。


ワタクシも一応オトコの端くれ、見事ハメられました。

投稿者 tadashi : 10:37 | コメント (1) | トラックバック

2008年10月31日

バリケードファンデーション

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女性達にファンデーションて何?と聞くと、

大抵は「シミを消すもの」とまずお答えなさいます。

もちろんこれは間違い。


「シミを隠すもの」が正解。


某国の某女史のお話。

彼女は容姿端麗にして鋭敏明晰。

才色兼備を自他ともに認める絵に書いたようなキャリアウーマンであります。

小さな池に咲く一輪の百合のようなお方でございます。

その才覚ゆえ、関西の大学中退後はエジプト留学なさり、
帰国してからはニュースキャスターを経て、政治家となり、
遂には大臣を二回もお務めなさった
出世街道まっしぐらのスーパーウーマン。

弁もなかなかお立ちで、関西生まれの関西育ちでありながら、
関西弁なぁんて田舎言葉は微塵も発せられないお上品さ。

たとえ辛辣な一言を発せられても、
その直後に艶然たる微笑みで毒気を浄化する術
お持ちでございます。


オトコ社会のおだてに弱いのか、
あるいはすぐ調子に乗ってしまうのか、
はたまた大いなる野望をお持ちなのか、
某保守政党の総裁にまで立候補なさいました。


キツネ顔がもてるか、タヌキ顔がもてるかといえば、

当然タヌキ顔でございます。


下マスカラを強調し目尻を下げ、
ついでに眉も下がった愛くるしいメイクをなされば

モテ顔タヌキメイクの出来上がりとなります。


しかし、キツネもタヌキも
化けてることには違いなし。


つり上がったキツネ目で化かすより、
愛嬌あるタヌキ顔で化ける方が人を騙しやすいと
よくご存知であらせられます。


女史はこのメイクで政界に勝負に出ました。


しかし、私クシが気になるのはそのタヌキメイクではなく、
基礎工事のファンデーションの方であります。


あののっぺりファンデーション
プロとしては気になって仕方ないのでございます。


ご自身によれば、ご使用のブランドはクレ・ド・ポーとか。


クレ・ド・ポーと言えば、世界屈指の 超高級ファンデーション。

一個12600円也!


ファンデーションの最高峰。

まさに金字塔ファンデーションであります。


私クシも仕事で使っておりますが、
まず大変にカバー力があるのが特徴。

そのわりには伸びもよく、
容器も複雑な構造極まりなく(百聞は一見にしかず、店頭でご覧ください)
ラグジュアリー感に溢れるファンデーションでございます。

大変に優れたファンデーションでありますが、
優れているからと言って扱い易いかどうかは
別問題。


フェラーリが免許証取り立ての初心者にとって扱いずらいのと同じこと。


どんなに伸びが良くても、カバー力が強ければ、
塗ったところと塗っていないところ(地肌)の差は歴然でありムラとなり、
その操作には高度な技術がいります。


女史ご本人の雑誌インタビューによれば、


目の付近に小さなシミがおありになるとか。


へぇー、そんなものがあったとは全く気付きませんでした。

高画質ハイビジョンの画面でも全く捉えることはできません。


あっばれ!クレドポー!


あらためてその威力を思い知ることがりできました。

と、同時に
その小さなシミが、女史にとっていかに気に障る問題か
も察せられます。

しかるに、数あるファンデーション中から、
カバー力に優れたクレドポーをお選びなのも納得いたします。

クレドポーは操作が難しいと申しましたが、
女史はこれを扱う高度な技術をお持ちでした。


それが却って裏目にでたのです。


小さなシミをカバーするため、
お顔全体までムラなくまんべんなく塗るテク
をお持ちなのです。


我々プロがメイクをする時、
雑誌やテレビの場合はしっかりとカバーして小さなシミも見逃しません。

洗練された非現実的な女性を作るのが仕事。

しかし、モデルでも女優でもない一般女性がこれをやると、どこかで本音を隠し嘘をつかれているような気になります。


のっぺりファンデーションで顔を覆うと、
バリケードを張られてるようで、
こちらまで本音で話ができません。


これは政治家にとって致命的なメイクでございます。


これは私クシの私見でございますが、大したシミでもないのに、
ファンデーションで顔全体をしっかりカバーしている人は、
心もどこか閉ざしています。


顔のシミも心のシミも同じ。


自分の心の奥底、見透かされたくない部分を消しているという、錯覚です。


そう、それは消してるのではなく、隠しているのです。


一般女性から見て、女史が人気がなく、
あるいは嫌いと言う意見が多いのは、
何となくこのあたりを見破られているのでしょう。


嘘をつかれている、シッポを隠してる、

猫被っている、可愛さでごまかされてる…


クールビズを声高に提唱なさっても、あの暑苦しく、
厚ぼったいファンデーションからは何の説得力もなく、
虚しく響いただけでございました。


そして今回の総裁選では、タヌキメイク
バリケードファンデーションの甲斐もなく見事落選なさいました。


女性陣だけでなく、政界オジサマ方も、
この胡散臭さを見破ってたのかもしれません。


もしも女史が当選なさってれば、

日本中は本音隠しのファンデーション国家となっていたでございましょう。


シミはいくら隠してもファンデーションの下にも、

心の底にもしっかりと存在しているのでございます。


ファンデーションは度が過ぎるとバリケードとなります。
いっそ開き直って、シミを解放してはいかがでございましょう
某女史サマ。


誰にも迷惑かかりませんでしてよ。


その方が政治家として見ていても安心いたします。

投稿者 tadashi : 14:59 | コメント (1) | トラックバック

2008年09月29日

デカ顔礼讚2

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今からざっと半世紀前のお話。

その頃、私クシ小学生一年生だったしょうか。

年の瀬も差し迫ったある日、
母の買い物に付き合って百貨店におりました。

すると一階の会場で催しがあるとのアナウンス。

母に強引に手をひかれて会場に向かうと、
足の踏み場もないほどの黒山の人だかり。

その黒山の間からスポットライトを浴び現れたのは、
それまで見た事もない見目麗しき異星人!


児島明子さまのご登場でございます。


児島明子さま…今のお若い方はご存知ないでしょうが、
1959年度ミスユニバース一位のお方でございます。

森理世さんの大先輩にあたる方で、
世界一のプロポーションと美しさを兼ねた世界一の女性でありました。


八頭身といえば児島明子さま。

児島明子さまといえば八頭身。


八頭身の代名詞のようなお方で、
居並ぶ欧米列挙の美女達を蹴落として世界一の座を勝ち取ったお方でございます。

当時の日本は鬼の首を取ったような勢いで、
上へ下への大騒ぎでございました。

真っ赤な振り袖の上からミスコン襷をかけたお姿は尋常ならざるお美しさ。

周りのずんどうニッポンジンや我が母とは月とスッボン。


はきだめに鶴。

まさに異性人。


その異性人に向かって母はこう呟いたのを、
今でもはっきり覚えております…


「ひゃ〜、ちっちゃい顔やこと!」


…以来約半世紀、
小顔は美女の絶対条件であると私クシは信じておりました。
私クシに限らず、世の日本人皆そう信じ込まされました。

児島明子さまが世界一の座を勝ち取って以来、
古代モンゴルより連緬と受け継がれてきた
我々日本人のずんどう体型とデカ顔は見事に覆され、

小顔でなければ美女ではない、となってしまったのです。


以来、世のデカ顔に悩むオンナ達は雑誌やメディアに煽られ、
マッサージで顔を絞ったり、髪の毛で覆ったり、
シェーディングシャドウで輪郭をぼかしたりと
懸命なる努力を強いられてきたのです。


現代ではオトコも同じ。

イケメンオトコの条件の一つに小顔が要求される時代となってまいりました。


オトコもオンナも猫も杓子も小顔ブーム。


小顔でなければ悪。

デカ顔は罪であるかのような言われかたの昨今でございます。


確かに、少々背がコンパクトでも、
顔さえ小さければバランスが取れてそれなりに洋服も似合います。

小顔の方がデカ顔よりは可愛いげもありそう。


しかし、それがどうしたっていうのでございましょう!


少々顔が小さくたって欧米人の3D小顔には太刀打ちできません。

洋服が似合ったところで欧米人に比べりゃ、これまた月とスッポン

狭い島国の中だけで競ってもたかが知れたもの。

小顔は可愛いげがあるかもしれませんが、

可愛いげは憐れさと表裏一体。


グレートデンよりチワワの方が憐れでございます。

可愛いげなんてその程度なものであります。


最近、私クシある事に気付きはじめました。
私クシの周辺の人達ににデカ顔がやけに多いのでございます。

類は類を呼ぶわけではないのでしょうが、
信頼する人達は決まって顔がデカめ。

特に顔がデカい人を選んでいるわけではありません。

信頼できる人が皆揃いに揃ってデカいのです。


この事象はただの偶然だけではなさそう。


小顔の方々に言いがかりをつけるよう恐縮でございますが、
デカ顔の方が立身出世の率が高そうなのは、
以前のエッセイ「デカ礼讚」でも述べた如く。


それともう一つ、性格的にも違いがありそう。

私クシの苦手な性格というのがあります。


せっかち、姑息、イラチ、ケチ、貧乏クサイ、肝っ玉が小さい…

これらの気質はとても苦手。


私クシ自身の性格は棚上げして、
これら気質が身近の人から垣間見えるとハイサヨナラでございます。

男女問わず
「おおらか」さや「ゆったり」さが、お友達の絶対条件であります。

私クシの周りの大好きなお仲間は、
みんなこの気質をお持ちでございます。

となると、デカ顔の人のほうが、
この「ゆったり・おおらか」の気質を備えていそう。


人相学的にはどうかわかりませんが、
私クシの人生経験データではどうもその確率が高いのは事実であります。


仕事でメイクする時も全く同じ。


モデルさんや女優さんでもデカ顔の方達のほうが、
ゆったり・おおらかで何事にも泰然自若となさっています。


逆に小顔の方達は少々神経質で何事にも過敏に反応し…

と判断するのは早計でございましょうか。


そして、何よりも
オツムお味噌の容積にダントツの差がありそう。


もちろんデカくてもカラカラと音がしそうなよりも、
小さく密度の濃いほうが優秀でございましょうが。


いずれにせよ、デカ顔の人のそばにいると、

こちらまで気持ちがゆったりいたします。


児島明子様以来の日本人の小顔願望にも、
そろそろ終止符を打ってはいかがでございましょうか。

投稿者 tadashi : 10:13 | コメント (0) | トラックバック

2008年08月29日

オスの旅路

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以前に比べ、最近はあまり外国への旅は行かなくなってきました。

もちろん出張は相変わらずですが、
プライベートな外国旅行となるとうんと数少なくなりました。

10年ほど前までは年に一度はコンサートや美術館巡りで、
長い時には一ヶ月近くはヨーロッパに滞在していたのですが、
最近は数年に一度の頻度。
しかも一週間以内の短期間集中型となってます。


旅の目的の一つは非日常を味わえることです。


同じオペラや美術を鑑賞するにしても、
超日常的な自宅から電車に乗って出かけるよりは、
24時間ヨーロッパの風景にかこまれ、
周囲も外国人だらけの方がほうが、
興奮度合いも余韻も増して数倍の非日常を味わえます。

いくらハウステンボスが頑張っても、あくまで西洋風。

風(フウ)がつく以上、正真正銘本物にはなり得ません。

つまみ食い程度の非日常でございます。

タイマイはたいて、長時間の飛行機に耐えても、
その徹頭徹尾の非日常性を味わいたく旅に出るのです。

外国への旅とは、私クシにとっては非日常日常化になる時空なのです…あくまで錯覚ですが。


それと同時にもう一つ大事なこと。

旅とは帰る場所が確保されている事を、

改めて認識できる機会でもあるのです。


たとえ、素晴らしい自然に出会ったり、
豪華ホテルに滞在して「帰りたくない〜!」と叫んでも、それはウソ。
帰れる場所が確実にあるからこそ「帰りたくない〜!」と叫べるのです。

誰も本気で帰りたくないなんて考えてません。
叫んで自分で高ぶりを盛り上げているだけのこと。

外国で酔いしれているその頭の隅では、
必ず日本の生活や自分自身の心の中を冷静に見つめているはず。

たとえ不満が残る日常であっても、
確実に日常が存在しているからこそ、
非日常(旅)に酔いしれることが可能なのです。

旅とは、出発と同時に必ずや帰還する宿命にあります。
帰れる保証があるからこそ元気よく出発できるのです。

帰る場所がなければ永住、もしくは放蕩です。


最近私クシの旅の頻度がめっきり減ったのは、
どうせ帰還するなら出発するのも面倒という怠惰ぐせか…
あるいは日常の中での非日常の占める割合が増したということなのか…。

そういえば益々日常のチャラチャラ度が増しているようでございます。


さて、コロッと話が変わって、オトコの浮気も旅に似ているかもしれません。

別に本命相手に不満があるわけでもありません。
むしろ逆で安心もすれば感謝もしている。だからこそ、浮気をするのです。
安心、安全、安定、それらが日常になるのをオトコは怖れているのです。


日常を確認したいがために浮気をする。


浮気することによって自分の心の奥底や日常生活を見つめているのです。
そして、オトコは必ずや帰還する宿命を知っています。


出会った瞬間、別れがあるのを熟知しているのです。
オトコの浮気は生理…とも言いますが、それだけではありません。
旅と同じく、安定した日常を認識できる機会でもあるのでございます…

ナァ〜んて、相当良識ある賢いオトコだけのお話!


ほとんどのオトコなんてナ〜ンにも考えてやしません。


本能、本能!


オスの浮気は本能でございます。

まして石田純一サマの仰るような文化なんて高尚なもんじゃございません。

アホなオトコは放蕩が大好きです。
日常を確実なものにできていないアホなオトコほど放蕩の旅に出るのが大好きです。


人間のオスも、犬も猫も猿のオスも一緒!


餌さえあれば、必ずや帰ってきます。


どうせメスに食い散らかされて、
行くとこなんてないんでございますから。


そして傷ついたオスほど可愛いものはありません。


放蕩するオスほど母性をくすぐるのですからタチが悪うございます。

それと、自分探しの旅に出たどこかの元サッカー選手が言ってましたが、
これは<>自意識過剰のナル放蕩です。


こういうオトコは関わらない方が無難。ほっときましょう。

投稿者 tadashi : 10:01 | コメント (0) | トラックバック

2008年07月25日

アート眉のオンナ達

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メイクに関する質問も年代別によって異なります。

20歳代は、いかに可愛く目を大きくするか、そして
大きくなった目力メイクをいかに長持ちさせるか。

いわゆるモテ顔アイメイク。

それが至上問題。

ですので、アイライン、マスカラに関する質問が圧倒的です。


一方、40歳代以降でダントツに多いのが眉。

自分に合う眉型を教えてほしい。そして描き方を教えてほしい、
という内容が一番多いのです。

4.50歳代の人達が最初にメイクを覚えたのが20年程前。
つまり1980年代です。

時代はバブルの真っ只中。

男女問わず肩パットをいからせ、
そこどけそこどけワタシが通るの戦闘ファッション。
向かう所敵なしで、この世のバブルを謳歌してました。

その頃のメイクは、アイシャドーはピンクやパープル系で、
リップはショッキングピンクと目立てばヨシの極彩色メイク。
チークも縦にシャープに骨格を強調するストロング系。


で、眉といえば…極太!


しかも綺麗に整理整頓された太さではなく、野放し状態のゲジゲジ眉。

強いオンナは眉も強い…が80年代の主流でありました。

当時の眉メイクは生えっぱしの眉毛の隙間をチョイチョイと埋め、
眉尻をひと筆たす程度でよかったのです。
お手入れらしいお手入れをせずとも良かったのです。

適当に(適度ではありません)太けりゃそれでナンボの
バブル眉でありました。


なので…この時代にメイクを始めた40歳代以降のマダムは、
眉メイクが今もって下手クソ。

どんな眉が似合うか、どう形を整えればよいのか、
どんな道具を使えばよいのか皆目検討がつかないのです。


90年代になって、突然細型シャープ眉が出現してきても、
流行について行けず時代に取り残されてしまったのです。

しかるに、いまだに4.50歳代は眉に関する質問が圧倒的です。
それに輪をかけ彼女達の年代独特の性癖があります。


邪魔くさい…


今、女盛りが過ぎて、ホルモンが安定しない時期なのか、
あるいは夫や子育てから解放され、急に緊張感がなくなったせいか、
自分自身について邪魔くさいなる時期なのです。


邪魔くさいけれど綺麗になりたい。

綺麗になりたいけれど邪魔くさい。


この矛盾する切なる願望を叶えるがために、
彼女達はとんでもないある行動に出ます。


アート眉!


アートと言っても芸術性とは何の関係もない眉です。


タトゥー…早い話が刺青。


刺青というと特殊職業のお兄様方を想像するのか、
芸術とは何の根拠もない、しらじらしいネーミングをつけました。

なるほど刺青眉は便利そう。

毎朝、眉と格闘しなくても左右対称に眉がそこに存在してます。


夏の汗でも取れません。

前髪が触れても取れません。


スイミングスクールで泳いでも眉だけは不気味なほど健在。

形はきれいワ、左右対称やワ、取れないワ、
朝もゆっくりできるワ、と何拍子も揃って最高!

いいことづくめで申し分なし!


しかし、です…

肝心な事を置き去りにしているのです。

それは、アート眉は他人によって描かれたという事実。

自分自身で考え抜かれた眉ではなく、本人の人生とは何の関わりも持たない、技術だけを持った赤の他人、つまりエステシャンに委ねた眉です。


しかも、半永久の消えることのない眉。


いいのでしょうかねぇ、こんなことで。


そもそもメイクなんて自分自身で悪戦苦闘して悩むもの。

たとえ、私達プロがメイクしても、
それはあくまで一つのアイデアであって、
一生涯の顔を決定するものではありません。

カッコよく若返り美人になっても、お風呂に入ればハイおしまい。

翌朝には元の顔にきちんと戻っています。


しかし、アート眉はそうはいきません。


先ほども申しましたように、
半永久的にお付き合いしなければならないのです。

それに、刺青で描かれた眉は何とも不自然な雰囲気を醸しだしています。

もともと左右アンバランスな眉筋肉を無視して、
強引に正対称な眉を刻印するわけですから、かえって顔がチグハグ。

しかも、ぼかしたグラデーションもクソない極めてペッタンとした平面眉。
その異様さは10メートル離れた所からでも識別できます。


眉だけが別人格が乗り移ったようで、とても不気味なのです。


眉なんて毎日違って当たり前。
自分の眉の正しいあり方なんて分からなくっていいのです。
メイクなんて自分の顔と格闘し一生涯悩むもんです。


アート眉を施すことで他人に委託してしまった悲劇!


委ねや依存は我々生きる物の専売特許ですが、
眉ぐらいは他人に任せず自分自身で闘って頂きたい。


依存心の強すぎるオンナはアート眉を好むのです。


誤解を恐れず申すなら…
私クシ、アート眉のオンナを信用しません…でございます。

投稿者 tadashi : 14:08 | コメント (0) | トラックバック

2008年06月18日

ピンクリップの正しい選び方

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最近、薄い色のリップカラーが流行っているようですけど、
ワタシの場合顔色が悪く見えて似合わないんですが…

なんて言う質問をよく受けます。

ワタシの場合でなくったって、
薄いリップは誰だって顔色が悪く見えます。

唇の色が薄くなるってことは血圧低下の典型的症状。


いわゆる貧血顔。


ですから、薄い色のリップを塗る場合は
他の部分で血圧を上げればなりません。


それは頬の色。


チークカラーが決め手となります。

頬が健康色でしかるべき位置にあれば、
唇が少々貧血色であっても頬で血圧を上げてくれるので
元気顔となり、口元が薄色でもほとんどの方は似合いになります。

なので、薄色リップ上手はチーク上手でもあるのです。


さて問題はそのリップの色目。


同じ薄い貧血色でもピンク系オレンジ系パープル系か、
あるいはオークル系か…

これも答えは簡単。

チークの色によります。

チークと同系色にすればよろしい。


チークがピンク系ならリップもピンク系。

オレンジ系ならリップもオレンジ系。

あいまい色ならリップもあいまい色にすれば、まあ間違いなし。


つまり、顔色を一つにまとめてしまうのが、王道の正統派メイク。

素顔の肌色段階で頬がオレンジで唇がピンクの人はいないからです。

基本的に人間の顔の赤みは同系色です。

それにしても、リップカラーはいつの時代においても
ピンク系がダントツに人気があります。

男性からの支持も圧倒的で、
特にパール入りピンクの人気は永遠不滅で
モテ顔必須アイテムでもあります。


ただ、ピンク系のリップ選びは意外と難しいのです。


ピンクとひと口に言ってもオレンジ寄りのサーモンピンク、

青色がほんの少し混ざったパープルピンク、

あるいは純正桃色に純白がほんのり混じるベビーピンク…と多種多様。


可愛いピンクもあれば官能的で大人ピンクもあります。


自分の顔色に合うピンク系リップを探しだすのは、
かなりの美的センスが問われます。

なぜならヘアカラーやファンデーション、
その時の服の色等々のバランスもあり、
ひとつ間違えるとかなりチープでお下品な
ピンクオンナの印象を与えてしまいがち。

(オトコはこのチープさがお好きなようですが…)


ものの本によると実は唇は、
人類の進化過程の段階で口内の粘膜が体外に露出したとのことらしい。

物を口に入れる時、その食物の触感や温度を
あらかじめ事前に予期するために発達したのでしょう。

つまり、唇の色は唇の厚い表皮を透して見える口内の色ということになります。

ならば、もともとの唇の正しい色は口内の色ということになります。

下唇を指でつまんで、ぐいと下に押し下げてみてください。


実に美しい口裏のピンク色が表れます。

サーモン系、パープル系、ベビー系が混ざって
渾然とした訳のわからぬ美しいピンク色。

これが貴方の正しいピンク色。


唇本来の色であります。


ピンクリップの選び方で迷えば、唇の裏側と全く同じ明度、彩度、
そして同じ色度のピンクを探しだして塗ってみてください。


つまり、唇裏と全く同じ色にしてしまうのです。


間違いなしの貴方だけのピンクが出来上がり!

間違いなくパ〜〜っと顔が明るくなり、高揚感の高まる顔となります!


これが正真正銘、正しいピンクリップの選び方でございます。

但し…正しいからと言って好きな色とは限らないとこがメイクの奥深いところ。

特に自己否定型メイクをする人—自分の顔かたちはもちろん、
自分の肌色も嫌う人—
は、この正しいピンク色を絶対好みません。

自立心の強いオンナほどこの傾向有り。


そういう方はオレンジ系、ヌード系、あるい燃える赤色をお塗りくださいませ。


でも、自分の正しいピンクを受け入れる事も大切。
自分自身を受け入れる事でもあります。


一度お試しあれ!


あぁ、メイクは奥深い!

投稿者 tadashi : 13:41 | コメント (0) | トラックバック

2008年05月30日

オスと男と種馬と

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オトコとオンナの関係はまことに難しゅうございます。

長年、恋愛期間中はあんなに仲良しだった二人が、
結婚したとたんに価値観の相違とかで即離婚。

逆にお付き合いの時はケンカばかりのヒヤヒヤの二人が、
結婚生活になると夫婦円満で死ぬまでオシドリ関係が続いたり。

不思議なのはお見合い結婚で、人生の価値観もお互いの性格も未知のまま結婚して、一生幸福な家庭を築きあげている夫婦もいます。

相性なんて、どういう法則によって成り立っているのか、
さっぱり分からないのでございます。


ところで、先日テレビのワイドショーを見ていると、
興味深いアンケートデータがありました。

オトコ側への質問で、
1日だけ恋人にしてみたい女性タレントは誰か?


その栄えある第1位が、なんと沢尻エリカ様。


意外と思われるでしょうが、質問の中に1日だけ…とあるのがミソ。
1日だけの恋人というのは、終日デートで、お食事、お酒、楽しい会話の前菜に始まって、メインディッシュのお床入りまでのフルコース。


実はオトコは、このお床入りがお目当てなのは明らかであります。


つまり、早い話がこの質問、
1回だけ寝てみたい女性タレントは誰か…でもあるのです。


あの、不遜な態度も、ベツに〜のシラケたお返事も、
そして日替わり派手メイクもお床の中では、
小憎たらしくもお床の中では官能的な可愛さに見えるかもしれません。

あるいはその女王然たる振る舞いを床の中でギャフンと言わせてみたいのがオトコの性のメンツでしょうか。


でも、やはり2日以上のデイトとなると、やはりアノテはうっとうしい…。


数日以上の恋人にするなら、人生を楽しくしてくれそうなタレントがいいでしょうし、まして共同生活を強いられる結婚なんてまっぴらご免。

結婚するには、オトコのポジションを優位にできる(ウソでもいいのです)能力、そして何があってもオトコをトコトン追い詰めない寛容さが必要なのです。

彼女にはそれらが根本的欠けていると思われているのです。


つまり、世のオトコ達は
お床入り用恋人用、
そして結婚用のオンナを微妙に嗅ぎ分け、
きちんと分類仕分けしているのです。


その証拠に、絶対に結婚したくない女性タレントの、
栄えある第1位もこれまた沢尻エリカ様!
(…あたり前と言えばあたり前。)


オンナに同様の質問をしてみると面白いかもしれません。


1日だけ恋人にしてみたい男性タレントは誰か?


例えば仮にキムタクだったとしましょう。


恋人=お床入り、恋人=結婚となり、

みんなイコールで一緒クタにしてしまうのです。


お床入りの最中、結婚生活も頭によぎり、
キムタクの優秀なDNAまで
ちゃっかり頂きたいと願ってしまうのは
オンナのサガでございましょう。


有能な種馬の遺伝子をゲットして子孫繁栄したいのは、
オンナの本能として理解できます。
しかし、ここをきちんと仕分けしなくてはなりません。


お床入り用オス、恋人用男、結婚用種馬。


これらは全く別の目的で、
用途別にオトコを仕分ける冷静な判断力
がオンナに求められるのでございます。

日本で最もセクシーなオトコと云われるキムタクも、
この3つを網羅できてるとは限りません。


ところで、お見合い結婚や政略結婚が意外とうまく行くのはこのせいで、目的はあくまでも子孫繁栄のための共同生活。

お床入りの行為も子孫繁栄が目的であって、
快楽プレイが目当てではないのですから極めてシンプル。

ですから、床入りの相性が少々悪かろうが、
性格の不一致で亀裂が入ろうが、
目的が明確なだけに結婚共同生活はゆるぎがないわけです。


そして、離婚の問題。


恋愛結婚なら自分たちが惚れたはれたで選んだ相手ですから、己の責任において離婚も容易。

しかし、お見合い結婚は運命あるいは神様が引き合わせてくれたお相手!


なので離婚も運命や神様に背くようで、
ちょっとやそっとで別れるというわけにもいかず…というのはあくまで建て前で、

お互いの相性についてもあまり真剣に考えないのかもしれません。

なにせ、もともと恋愛感情なんてなかったのですから。


なので時代錯誤と思われるもしれませんが、お見合い結婚はオススメします。


要は、お床上手は体をトキメかすオス。


恋愛は乙女心をトキメかす男。


結婚は子孫繁栄と人生をトキメかす種馬。


オンナはそれらをきちんと識別すべし。

この3つを同時に満足させるオトコなんてこの世に存在しないと認識すべし。

床上手なオトコが乙女心や人生をトキメかせてくれるなんて錯覚に過ぎないのです。

ちなみに、お床用オスは体育会系、恋愛用男は王子系、結婚用種馬は文化系をオススメします。


それともう一つ、オトコ側自身のこの認識度も大事。

自分はお床向きか恋愛向きか、あるいは結婚向きか…?


たいていのオトコはこの3つを網羅できていると自負しています。

しかし、それは危険な思い過ごし。

オトコの愚かさでございます。


自分自身の得意分野を認識していないと己の人生はおろか、

オンナの人生も破滅させてしまいます。

有能なオスは有能な種馬とは限らず、オンナのメスとしてのプライドを傷つけます。

そして、その火の粉は、必ずや自分に降りかかってくるのでございます。


お〜コワッ!

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投稿者 tadashi : 13:47 | コメント (1) | トラックバック

2008年04月11日

欧米人に勝てるか

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数年前、私クシが出演したの或メイクアップイベントでの事。
ひと通りのメイクショーが終わった後、最後はお決まりの質問コーナー。

いつもはお客様からの質問なのですが、
その日は500人規模のお客様だったので、
混乱を招かないように、まずは主催者側の女性司会者からの質問。

「あの〜海外に行って、フィフスアヴェニューやサントノーレとか歩いていると、
外国の方々がすごくカッコいいでしょ。
なのに日本人はとても地味で太刀打ちできないでしょ。
パーティーとかになると、もう惨め…これって何とかならないんでしょうか?」

んっ、どえらい質問です。

日本人にとって、触れてはならない問題。

特にこういった軽いノリのメイクイベントにはタブー。

なぜなら、あまりに大きな問題提議であって、
どちらかというとシンポジウム向き。

そのタブーに真っ正面から質問したこの司会者の女性、
本業は執筆家で、世界中を飛び回っているなかなかのキャリアウーマン。
頭脳明晰、容姿端麗、ファッションセンスも良く長い黒髪をたなびかせて闊歩する姿は、ミナミの繁華街においてはかなり目立つほう。

にもかかわらず、パリジェンヌやニューヨーカーに混じった時の
ウィンドウに映る己れの姿を見ると、あまりの地味さ、
影の薄さにがく然とするのだそうです。

そこで、先のような質問となったであります。


ハイ、とてもよく分かります。


私クシなんぞもヨーロッパでの音楽祭やオペラ、
特に初日やガラの日に当たると、それはえらい事です。

ご婦人方は豊かなデコルテをしっかり開け、
長い裾を引きずってもバランスのとれたボディ!
迫力あるイブニング姿です。

殿方のタキシード姿はみんな
T・クルーズやR・クロウのようで、
正真正銘の本物チョイワル。


まさに欧米列強!


そんな中にふやけた温泉卵みたいな顔で短足胴長、
かろうじて170センチの東洋人
がロビーでウロウロしても、
摩天楼の下でチワワがよたついているようで情けない限りです。
太刀打ちできるわけがありません。

で、先ほどのイベントの質問、私クシが答えたのはこう、


「そもそも、比べようとするのがおかしいんです。
比べた時点で我々の負け。日本人は日本人らしくしてればいいです。」


なんと模範的な解答でございましょう。

分かったような分からないような、キツネにつままれたようなお答え。

イベントにおいて、こういった難題をぶつけられた時は
禅問答のような答えではぐらかすに限ります。

とっさの質問に我ながらも上出来じゃわいと悦に入っておりました。

しかし、ホントにそうなの?
それで答えになってるの?
何が勝って何が負けてるの?
日本人らしくて、
いったいどういう事?

と、悦に入った模範的解答に自問し、
その夜は深く考え込んでしまいました。


前述したように外国の地における日本人の冴えない姿は、触れてはならない問題。

こと我が民族の美醜にかかわる問題。

それは解決不能と誰しもが察しているからではないでしょうか。
しかし、あえてタブーに踏み込みます。


結論を言うなら

洋服は西洋人を美しく見せるための衣服であって
どんなにがんばっても…!
我々には似合わないのです。


もともと張った肩をより豊かに見せ、厚い胸板をよりセクシーに、
くびれたウェストをより絞りヒップを強調する。

長い手足をさらに優雅に見せる衣服であって、
平面的な身体に立体的な衣服を着せても辻褄があわず、
ますます地味に見えるだけ。

アチラは服も構築的なら身体も顔も構築的なのです。
つまり、洋服社会での見映えにおいて日本人はボロ負け。


そこで負けじと闘志まる出しの日本人は
外国のオペラハウスや高級レストランに行くと、
己の影の薄さを上っ面の華美さで勝負に及ぼうとし、
着なれない派手な一張羅で一世一代の晴れ姿を試みます。

しかし、もがけばもがくほど、あがけばあがくほど泥沼にはまり、
欧米人の嘲笑を買います。

こうなる事を恐れる日本人はいつもの奥の手を使うのです。


着物!


「やっぱり日本人は着物よねえ。
着物は外国では日本人が一番よく映えて綺麗に見えるわぁ。
外人にも評判いいもの」


ほんとにそう?


評判がいいって、外人から見れば単に物珍しいと思って見てるだけで、綺麗で似合ってるなんて思ってもいないじゃないの?と私クシは申し上げたい。


普段着なれない着物を付け焼き刃で急にはおっても薄汚いだけ。


芯地がほとんどない着物は、
ひとつ間違えるとダラッとなり
小汚ないく見えるのです。


着物は着付けにキャリアや人格、
センスが顕著に表れてしまう、世界でも類を見ない難しい衣類です。


それに、西洋人が紬や友禅の奥深い美しさを、
とうてい理解しているとは思えないのです。
(日本人でも理解できてません)


顔が大きく胴長短小、樽型日本人には着物が最も似合うと私クシも信じてました。

しかし、過去の日本人が理想とした体型は
必ずしもずんぐり樽型ではないのです。

浮世絵や大和絵の美人画を見ると頭が異常に小さい西洋型。
有名な上村松園に登場する気品ある少女達も手足が長い。

法隆寺の観音様も文楽人形、博多人形もデフォルメされているとはいえ、
そこにあるのは、我々日本人がひそかに理想としていたのは何を隠そう八頭身!
いやそれ以上の西洋人的体系!

最近では玉三郎や小雪の生身の人間が証明するように手足が長い方が、
袂模様も裾模様もバランスよく、はるかに美しく見えるのです。

着物であろうが、洋服であろうが、
衣類は頭が小さく、手足が長い方が
美しく見えるのです。
洋服もダメ、着物もダメ…
我々日本人は、いったいどうすればいいの…

西洋人には、どうしても太刀打ちできないのか…


ハイ、諦めてもらいましょう。


パリやニューヨークに行ってもウィンドウに映る己の姿に目をやらない事。
無い物ねだりはやめましょう。

救いようがないのです。

しかし、ちょっと視座を変えてみると心が安らぐかも知れません。
これまで述べたのは、あくまで背丈や手足、頭の大小の物理的サイズでの話。

タッパもあり足が長い方がかっこ良く見えるのは、洋の東西問わずあたり前の話。

しかし、はなやかで美しいかといえば、これは次元の違う話です。

人の持つはなやかさとは、
肉眼でとらえられる身体の大小、長短、
そして美醜とは全く異なる次元にあるのです。


身体の内から発する美しい生命のエネルギー。


つまり、オーラ。


オーラに勝るものは ありません。


たとえ背が高く、手足が長く、整った顔であってもオーラのない人は地味。
逆に小さな身体でのっぺり顔であってオーラのある人は目立ちます。

人種の違い、そして衣類の華美とは関係ないところでオーラは存在しているのです。

華より花!


では、花のあるオーラはどのようにして身につけるか…
これは今日や明日では身につけれる簡単なものではありません。

私クシなりの考えがあります。が、あまりに長くなるのでまたそのうちに…

とにもかくにも、チワワでもオーラを纏えば摩天楼より
花やかな存在となると信じております。

生命の持つ美しい力と智力…オーラを纏う民族でいましょう!


て、それができれば苦労はない。


やはりキツネにつままれたような解答でございます。


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投稿者 tadashi : 15:06 | コメント (0) | トラックバック

2008年03月19日

オトコの不在

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「ねぇー、最近きれいになってきたわね〜」

「そう〜お?」

「新しいカレでもできたんじゃない?」

「えっー、どうして分かるの〜?すっごい!」

「やっぱりねー、だって急ににきれいになってきたんだもん!」

「きゃ〜っ」


よく耳にするオンナ同士の他愛ない会話であります。

恋をするとオンナはきれいになるのか…


はい、なります。


オンナは恋をすると、必ずきれいになるのです。


職業がら、周囲に女性は大勢います。
その中でもモデルはメイクをする関係上、最も近い距離にあります。

下地クリームやファンデーションを塗る時は直接肌に触れるのですから、
彼女達の心の動きは、文字通り手に取るように分かるのです。

一点を見つめる虚ろな眼差し。力の抜けた口角。

高揚感からくる、うっすらとした肌の赤み。

寡黙になるかと思えば、不意打ちにくる饒舌さ。

そして、常に携帯を握りしめ、受信メールを確認する頻度の多さ。


まあ、これだけ条件がそろってれば、ほぼアタリ。

恋をしているのは間違いなし。


きれいに見えてるのは、先のうつろな眼差し、
力の抜けた口角、肌の赤み
のせいです。


早い話が、ボ〜として上の空。心ここに在らずのお顔。

この表情が、恋をしてるオンナをきれいに見せるのです。

オンナの表情の中でも最も優しげで、儚く無防備な状態です。


例えば、竹久夢ニの絵に登場するようなオンナ達。

彼女達の顔はもちろん、四肢に至るまで無防備。
ただいま完全に恋に陥っております、という顔と体つき。


しかし、そんなうつろな表情も、恋するオトコと会う時、
つまり、カレが目前に現れるとすべてが一変します。


視線はオトコ一点に注がれ、口角には意志が出はじめ、

突然、フツーの顔に引き戻されるのであります。


恋するオトコが傍らにいるよりは、不在な方が明らかにきれい。

オトコの不在がオンナをきれいに見せる…のでございます。


傍らにオトコがいない分、いいにつけ悪いにつけ妄想は好き放題、
勝手放題、やりたい放題にどんどん増殖します。

心の中に起こるフツフツとした恋心は暴走するとコントロール不能となります。

それらは幸福という言葉では単純に片付けられない複雑なもの。

嬉しい、楽しいという感情に、さらに不安感も伴うからたまりません。

妄想の中での甘美の吐息と不穏な息苦しさが同居する
妙なシチュエーションに自ら酔いしれ、
胸が押し潰されそうになるのです。


早い話が、恋に恋する乙女。


だから、遠距離恋愛、単身赴任、出張中は心が燃えます。

恋する乙女はオトコが不在な方が燃え上がるのです。

オトコはただの恋心の触媒であって、
対象物があろうがなかろうが関係なく乙女は恋に恋します。


〜話はそれますが、だからオンナは芝居が好き、映画が好き、芝居が好き、バレエが好き、冬ソナが好き、バーチャル世界に没入しやすいのです。〜


話は戻って、申しますが、

オンナにとって切ない恋心は格別で居心地よく、
周囲に不思議な桃色のフェロモンまで撒き散らすのです。

さて、このオトコがいながら恋に恋するシチュエーションって、
よくよく考えるに結局は自分自身に恋してるに過ぎないのではないでしょうか。

恋する不安定な心にはまっていく自分自身がいとおしく、
可愛くって、あるいは可哀想で仕方ないのです。


哀れな自分が何よりいちばん可愛いい…


自分自身に恋してるからこそオンナはきれいになる。

そうでもしなけれゃオンナはきれいに生きられないのかも…。

とは、乙女オヤジの戯言としてお許しくださいませ。


さてさて一方、逆にオンナの不在が
オトコを格好良く見せるのか
という疑問も起こります。


残念ながらそれはあり得ません。


基本的にオトコは現実の社会と対峙する生き物ですから、
妄想や虚構の世界に恋することはオンナほどはないのです。

恋に恋することはオトコはほとんど起こり得ません。

たとえあったとしても現実の社会の繁忙さで
重症に陥ることなくすぐリセットできます。

この男女の想いのギャップがオンナをさらに不安に掻き立てられ、
言い知れぬ不安な快感に陥るです。

オトコの不在は恋するオンナをきれいします。

でも、美しく輝いているかといえば、それは話は別。

きれいでも輝いているとは限りません。

オンナを美しく輝かせるには、

オトコの存在と恋を愛にまでアップグレードさせる覚悟と
忍耐が不可欠なのでございます。


つまり、

〈恋〉は自分への思い。

〈愛〉は相手への思い。


オトコ不在の恋するきれいさは、一過性の自己満足ってこと。

でもねぇ…ないよりマシ、恋の過ちはオンナを進化させます。


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投稿者 tadashi : 10:03 | コメント (0) | トラックバック

2008年02月22日

紺の怖さ

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私クシのクローゼット、ご覧になるとさぞやびっくり仰天なさるかと思います。

端から端まで、
紺、紺、紺…紺色ジャケットだけがハンガーにおさまって紺ズラリ。
紺一色の世界。

そして、タンスの中はといえば、
白のシャツのオンパレードで真っ白け。
白一色の世界。

ジャケットもシャツも異なるのはビミョーなデザイン違い、生地違い、
お値段違いで基本的には全く同じ風情。

よくもまぁ、ここまで紺と白ばかり買ったもんだと我ながら感心しております。

ところが、そんなに紺と白がお好き?と聞かれれば返答に窮します。


消去法でいくと、白と紺しか残らないというのが本音。


を着ると、もっとエンジン吹かして!、と強引に強精剤を飲まされているようで焦ってしまいます。

黄色も同じく、元気の押し売りで、無理やり作り笑顔をだしているようで却って疲れます。

ピンク系は見るぶんにはいいけれど、心に潜む乙女心を露呈しているようで気恥ずかしい色。

茶系はその落ち着きはらった甘さで癒され過ぎて、心も体もダラけます。

かといっては肌色が迫力負けして、非常に難しい別格の色。


というワケでが残ってしまった次第であります。

色ごときに私クシの心や生活リズムを支配されたくはないのです。

紺と白の組み合わせなら、
色にイニシアティブを取られる心配もなく自由な行動ができそう。

カラーリストのお姉さんにあれが似合う、
これが似合わないと言われても一切関係なし。


春夏秋冬、毎日、毎日紺ジャケに白シャツ。

冠婚葬祭も限りなく黒に近い濃紺のスーツに白シャツ。なんでもかんでも紺白。


これにはまってはや15年、
アホのひとつ覚えの紺白人生でございます。


厭きないの?と聞かれます。


はい、飽きません。


ところで、紺と白の組み合わといえば、制服がよく使うテであります。

制服フェチな私クシとしては紺白コンビの制服はたまりません。


ひと昔前のスチュワーデスのお姉さんや海軍のセーラー服のお兄さん、
パイロットのオジサマ、…皆様揃いに揃って清潔感があり
ストイックに見えてIQも高そう…。


心の中を最も見透かされにくく、
清潔でストイックな組み合わせが
紺と白なのでございます。


紺ジャケの袖口からほんの僅かのシャツの白を覗かせるだけで、
その人の手首はもちろん人格まで緊張感を漂わせ、
ストイックでしかも清廉潔白な人生を送ってるように見えるから不思議です。


私クシのような享楽主義で欺瞞的な人生観を持った人間は、
取り敢えず紺ジャケ白シャツでカモフラージュしていれば、
でそれなりに見えます。
ついでに、IQも多少はupしたようにも見え、アホさ加減もごまかせます。

この辺りが厭きない理由でありましょう。


話は戻りますが、
クローゼットの中のずらりと並んだ紺ジャケットはほとんど同じデザイン。

男物ジャケットなんであたりまえですが、襟があって、
3つボタンでポケットがある…デザイナーズブランドは絶対着ない主義ですから、
基本スタイルばかりの同じジャケットがズラリ並んでいます。


しかも全て紺。


と、なると異なるのはクオリティの差となります。

一口に紺と言ってもピンからキリまで。

ここがおもしろいところ。

ハンガーに掛けられてるのですから、見えるのは横一列に並んだ紺色の袖だけ。
にも拘わらずそのジャケットのクオリティの差は一目瞭然に分かってしまいます。

微妙な紺の染料の差、微妙な布地の差、
微妙な仕立て具合の差は袖の紺ひとつで全体の品質の差まで見渡せてしまい、
微妙どころではない大きな品質隔差となって表れるから怖いのです。

朝、その日の気分で選ぶ一着も、袖だけ見てほぼ一回でアタリ。

全く同じ条件のモトでは、物事の本質が却って明瞭に見えてきます。


これは人間が紺の制服を着たときの関係も同じ。

同じ紺色、同じデザインの制服を着せると
人間そのものの人格の差までもが露呈してしまうから紺の制服は恐ろしい。

これは黒や白の制服を着せるよりも顕著です。


糸ヘンに甘いと書いて紺。しかし決して甘く見てはなりません。


一見誰にでも似合う色に見られがちですが、一筋縄ではいかない色で、
着る人をバッサリと拒む色でもあるのです。

これを胆に命じて、私クシは紺を着るようにしておりますが…まだまだ…。


まあ、あと30年は紺修行を積み、
90歳過ぎれば、ヤケクソでピンク爺さんになってやろうかと思案中でございます。

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投稿者 tadashi : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

2008年01月31日

悩める食事の会話

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忘年会に新年会、ディナー、披露宴、パーティー、宴会、お食事会…
なんと楽しそうな響きでございましょうか!と言いたいとこですが、
実は私クシこれらが大の苦手。

晴れがましい場所がイヤな訳ではありません。
むしろドンチャン宴会や業界パーティーはオスキで、
人と話したりするのも決してオキライなほうではございません。
時事評論から人の陰口、悪口、噂話に自虐ネタに至るまで話題は豊富なほう。

では、何が苦手なのかというと、

食べながら喋るという単純な行為が苦手なのでございます。

というか、口の中に物を入れた状態でお喋りができないのでございます。

これがお悩み。

幼い頃、親にうるさく言われたのが、
お箸の持ち方と静寂なる食事。
私クシに限らず、我が世代の人間は子供の頃からこの二つの事をうるさく言われたのです。

お箸の持ち方がわるいと祖母に手首をパシッと叩かれたもんです。
そして、ご飯を食べる時は、
お茶碗の底を見ながら静かに食べなさいっ、と。


つまり、テレビはおろか、よそ見厳禁、

食事中の私語も厳禁。


従って、幼い頃の我が家の夕食はテレビはつけず、音をたてず、
家族の会話もなく、ただひたすら食べ物を口に運んでいるだけの、
お通夜のよう食事風景でありました。


小学校の給食でも同じ。

規律うるさい私学に行ってたせいもあるでしょうが、

お昼ご飯の時のお喋りはご法度。

おまけに背中に定規を突っ込まれ姿勢正しく食べなさい、
と厳しくしつけられたもんでございます。

そんな昼ご飯なんて楽しくないじゃない、と思われるかもしれませんが、
これが決して窮屈とも思わず、
むしろ私クシにとっては快感でした。

昭和30年代の歴史に残る悪名高き学校給食…
雑巾臭い脱脂粉乳も発泡スチロールのようなコッペパンも、
静かに食べるとマズくは感じなかったから不思議なもんでございます。


要は楽しく会話しながらの食事なんて必要なし。


食べるという行為にひたすら集中し、
食物を与えてもらった神仏に感謝しがら食べましょう、
食事中の会話は不浄であり、お喋りは食事が終えてから思う存分どうぞ…
食べる時は食べ物に集中、喋る時は会話に集中、
という訳です。


それが世の常識であり絶対的価値観であると
親からも学校からも、これでもかと叩き込まれたのであります。


ところが、どう…!

東京オリンピックあたりから事情が徐々にジワジワと変わりはじめました。


そして、西洋の文化や食事マナーが生活の中に浸透し出し、
70年代万博の頃になると、
『食事は会話を楽しみながらしましょー!』と、
なってしまったのです。


そりゃあ、ないでしょーよ!

そりゃあ、あんまりでしょーよ!


よそ見をしたら叱られ、ただひたすらお茶碗の底を見つめ、
親兄弟や友達と会話する事も許されず、
禅僧のような食し方をやっとのことで身につけた頃になって、
今までのはぜーんぶウソ、と言われるようなもんで、
これは文化大革命並みのショック
さでございました。


雀百まで踊り忘れず、と申すがごとく幼い時に仕込まれた習慣は、
半世紀以上生き延びても、ちょっとやそっとで変更できるもんではございません。


食事中に喋れと言っても、何を喋ったらよいのやら。


食べる事に全神経を集中してたら他の事は考えられず、
会話なんてできようはずもございません。


だいいち、食べ物を口のどこの位置に定めて舌を動かし、
喋ればいいのでしょうか。


動物だって食べながら会話してるなんて見た事もございません。
当家の猫だって食べる時は必死。呼んでも振り向きも致しません。


食べる行為と喋る行為を同時にできる
世間の皆々様の器用な脳ミソと舌の構造を是非とも拝見しとうございます。


喋りながら食べる、食べながら喋る…そんな複雑な行為を、
エレガンスな食事マナーと呼べるのでしょうか?


私クシには理解の及ばぬところでございます。


然るに、複数の人との食事はいまだ苦手。
お食事会に誘われると、とても気分が憂鬱。

箸を手に持ったとたん、
急に黙りこくってもご機嫌ナナメでも疲れてるわけでもないので
ご心配には及びません。

食べ物に集中し、食べる幸福感を噛みしめているだけで、会話は上の空。

たとえ格好つけて喋っても、
トリュフやご飯ツブが口から飛び出すこと間違いナシ。
箸を置いたと瞬間に、急にチャラチャラと喋り出しますのでご安心くださいませ。


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投稿者 tadashi : 11:06 | コメント (1) | トラックバック

2007年12月06日

オトコはなぜ化粧しないのか

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よく聞かれる質問に、

どうして男性って化粧しないんですか?

あるいは、男性の化粧はどうするんですか?

…があります。

ここで、着目しなければならない点が一つ。
この質問をするのは、決まって女性側。
つまり、普段化粧をしている側からの質問なのです。

この質問、裏を返せばどうして女性は化粧をするのか、
あるいはこんな楽しい事をどうしてオトコはしないのか、でもあります。

我々の仕事では男性モデルやタレントにも必ずメイクをします。

だいたいは、目立つシミをコンシーラーで消して、肌色を少し整え、
ライトによる乱反射を抑えるためお粉をポンポン。
あとは必要ならば眉をチョンチョンと足すぐらい。

シンプルで単純なように思えますが意外と難しく、
要はメイクをしているのがバレないようにするのがポイント。

バレないように…
つまりはオトコはメイクをしてはならないという
不文律が洋の東西を問わず存在しているのです。

過去にはあるにはありました。

ロココの貴族達の夜の白塗り。

豪奢な服やヘアスタイルとバランスを取るために、
また薄暗く光るシャンデリアの下で自らの存在を、
まっ白の顔で誇示していたのです。

日本においては戦国時代に武士達が出陣前には
やはり白塗りをしていたという事実もあります。

美しい死に顔も武士道の身だしなみ。

しかし、これらは一部の特権階級独特の耽美的な発想で、
歴史的に見ても一般にはオトコは化粧は浸透したことがありませんでした。


オトコは何故に化粧をしないのか…

オンナは何故に化粧をするのか…


これらは、とても難しい問題で
メイクの仕事に携わっている私クシにもなかなか結論が出ません。

そこで考えてみます…。
オンナは華やかな存在でオトコは剛健で地味な存在。

一般社会ではそのような概念となっておりますますが、
果たしてそうなんでしょうか。

確かにオトコは紺か黒のスーツにネクタイ締めて
七三分けの髪型が一般サラリーマン。

一方オンナはスプレーで盛り上げたヘアにミニスカート、
ピンクのリップにピンクのネイルにパールやビーズ、ラインストーン、
そしてマスカラのてんこ盛り。これが一般的OL。

こうなるとどう見てもオンナの方が目立ち、
オトコに勝ち目はなし。

しかしです、それは人工的に装おった上っ面だけの話であって、
肉体的にはオトコの方が派手な存在です。

仮にです、仮に人間が生まれたままの状態で、つまり化粧は勿論、
服も着ずヘアカットも髭も剃らずに生活していたとしましょう。
ならば、オトコの方が肉体的には明らかに目立つ存在です。

体格も顔もデカく、髪の毛も体毛も豊富、
ちょうどオスのライオンのようであります。

動物界ではメスよりオスの方が派手だけど、
人間界は逆なんていわれてますけど、そんなのウソ。

生まれたままならやはりオトコの方が派手で、ライオンも猫や犬、
孔雀も鯨も鯉もカブトムシもみんなみんな同じ事でございます。

獲物を獲得し、敵を倒すには、強靭な筋肉とで大きな躰が必要、
威嚇するにはデカイ顔やたて髪が物を言わします。

動物界において、種を存続させ繁栄させるには、
そのようなオスの肉体が絶対不可欠であります。

そして、戦い生き残りができるオスは
そんな派手な肉体をメスに誇示しようとします。

当然、メスは子孫繁栄を願うわけですから、
力強い立派なオスのDNAを獲得しよう躍起になります。

なので、力強くデカく派手な肉体を持つオスはもてるのです。
人間界も全く同じ。

文化系より体育会系がもてるのは、このせい。
(但し、若い世代のみ。中年期以降は教養ある文化系がもてます。)

では、動物界のメスは何をしているかといえば、特別何もしてません。

自然に出るフェロモンを適当にまき散らしてるだけで、特別な誇示は何もしていません。
あくまで受け身。

これは、動物界だけに許されることであって、人間界ではこうはなりません。

知性ある人間のメスは、先ほど述べたように己れの地味な肉体を知っています。

優秀なオトコの遺伝子を獲得するには、
じっとして何も起こらず、取り残されるだけです。

ですので知性ある人間のオンナは地味な顔にメイクをして目鼻立ちを目立たせようとなり、
ファッションという手段で己れの肉体を誇示しようとします。

大奥やハーレムのオンナ達が華美を競ったのもこのためで、
その美容法やファッションは現代まで影響を及んでいます。

メイクはオンナのたしなみといわれますが、
そんなの上っ面のキレイごと。


優秀なオトコを獲得したいがための、肉体の誇示であります。

パール入りピンクのグロスで可愛くみせたいのは、オスへのアピール。

他人の迷惑顧みず、ラメてんこ盛りネイルを塗るのも
オスへのアピールと、そして
自己愛。

まずは自分のことが可愛くて可愛くて仕方ない…と思わないと、誰が思う…!

自己愛の強いオンナは、オトコからいとおしく思われるのを
メスの本能で知っているのです。

〜地味な肉体を悟り、オスにもてようとする自己愛がオンナにメイクをさせる。〜

私クシは斯様に考えます。


若い世代はそれでいいのですが、ではオバサマ世代のメイクは何の為か?

〜オスにもてようとする〜の部分だけ削除するとおよろしい。


さて、話しをうんと戻して最初の質問です。
オトコはどうして化粧をしないのか?…です。

もうお分かりかと思います。

オトコにはすでに派手で目立つ肉体があり、己れの肉体をかさ上げしたり、
華美な装いをしてまでも誇示してようとする自己愛がオンナに比べ欠如しているのです。

上っ面の華美さで勝負するより、頭が良く、力があり、
仕事ができ、いっぱいお金を持って帰るオトコの方が
結局もてるというのをオトコ自身は悟っています。

オトコはメイクをしたって
何も楽しくありません。

大きなシミがあっても全く気になりません。
唇がくすんでても、ウソをついてまでピンクグロスを塗りたいとは思いません。

美しい肌だと思ってたオトコが、朝おきるとシーツにファンデーションがついてたら百年の恋も一瞬で吹っ飛ぶでしょ。

動物界のオスも人間界オトコも全く同じ。


違うのは、身をやつす知性があるかないかの違いだけで何の大差ございません。

社会を生き抜いていけ、家族を守る強靭な肉体と知力があればそれでヨシ!

化粧の力を借りずともオトコは充分もてるのであります。

これが、オトコが化粧をしない理由の現段階における私クシなりの結論でございます。


如何?…地味だからメイクしているといわれたオンナ諸君、御反論ありましょうか?

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投稿者 tadashi : 09:57 | コメント (0) | トラックバック

2007年11月21日

オヤジの三種の神器

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薔薇に囲まれ、ピンクの花柄トイレットペーパーを使用し、
フリルのパラソル大好きな乙女オヤジ…しかし戸籍上は普通のオヤジ。

所詮はただのオッサンでございます。


その証が私クシのオヤジの三種の神器。
どうしても手放せ無い、切っても切れない
3つのオヤジアイテムがございます。

それは、

床屋

ナイロンタオル

缶コーヒー


この3つだけはどうしても諦め切れません。

こんな仕事をしているので、さぞかし今どきでファッショナブルなヘアサロンで
カットをしているかとご想像かと思われますが、さにあらん。
家のお向かいの、いたってフツーの床屋さんに何十年も通っております。

オヤジさんと手伝いの奥さんの二人だけでやっている、
古典的風情の散髪屋さんであります。

美容院がなぜ嫌かと言うと理由は一つ…雰囲気がダルいから。

穴だらけの汚ない私服で、茶髪のシャギリまくったアホのホストみたいな美容師に「いらっしゃいませ〜今日いかがなさいますかァ〜〜」と貧乏臭い作り笑いで接客されると、

そのツラをハッタァしたくなるのでございます。


意味もなくハサミを振り回しながら、「何の仕事してるんですかァ〜?」なんて初対面で聞かれりすると、ほっといてくれ!黙って切りなさい!と叫びなくなります。

アホはアホらしくおとなしくしてればいいのでございます。


その点散髪屋さんはよろしゅうございます。今の通っている散髪屋さんは、
何十年も私クシの仕事すら聞いた事もございません。

その店での私クシのデータファイルは
向かいのマンションに住んでいる事と猫好き。

知ってるのはそれだけですから、会話も何十年もそれのみ。

あとは寡黙にシャキシャキとリズミカルにハサミを動かして刈り上げているのみ。
首筋にあたる快速金属触感が何より気持ちイイ〜のです。

髪の毛を切り刻んでいるという実感があり、
清涼感に向かってまっしぐらに突き進むような快感がたまりません。


この感触だけは、いくら頑張っても美容院は太刀打ちできません。

美容院は接客もカットもまことにダルい。


入浴のボディー洗いもダルいのは嫌いでございます。


乳液入りのハーブソープで泡をたっぷりたてて、
スポンジでソフトに洗う「乙女洗い」はダルくていやでございます。

昔ながらの洗浄力勝負の固形石鹸をたっぷりナイロンタオルにこすりつけ、
ゴシゴシ洗い。

多少赤くなるのは覚悟のうえ。
こうでもしないと一日の疲れがとれずシャッキといたしません。
ナイロンタオルの鋭利な感触がないと洗った気になれないのでございます。
(勿論、お顔だけはソフトに)


で、問題は缶コーヒー。

仕事を初める時、あるいはひと仕事終えてホッとした時、
手放せないのがこの缶コーヒー。

ドリップで煎れた香り高きカップコーヒーではございません、缶コーヒーが好きなのでございます。

シアトル系のストロー付きではございません、缶コーヒーでないと駄目でございます。


香りもなく、前頭葉を刺激するマズさ!


一日に二缶が限界でそれ以上飲むと吐き気をもようす下品な甘さとエグさ…!


それが、たまらなく好きでございます。

しかもそのマズさは缶入りでないと話になりません。

陶器カップでなく、ストローちゅうちゅうでもなく、
あの安っぽい金属の鋭利な感触が口唇に触れるからこそ魅惑倍増。


このマズさと感触はオンナ、コドモにはとうてい理解の及ばぬところ。

考えてみるに缶コーヒーのCMはすべて男向けに作られて、
まことにオス臭く汗臭い宣伝が多い。

缶パケージにしてもピンクの花柄やレース模様は皆無で、
黒色、茶色、金色、銀色がメインカラー。たとえ赤でも、くすんだ海老茶色。

コンビニに行くと、缶コーヒーが陳列しているその一画だけは
男子寮のような佇まいを呈してまことに男臭い。


しかも、そろいにそろって120円均一。


とても選択肢が狭く選び易いところも大変結構。


すべてにおいて下品で安っぽいところあるからこそ、
不思議と身体が奮い起ち、
やる気が出るのでございます。

このあたりがオトコにお気に召される所以。
陶器カップで煎れられた薫り高き美味しいコーヒーは癒されこそすれ、
身体に刺激がなくやる気が出ません。

たとえシアトル系が益々美味しくなろうとも、
容器やストローがプラスチックであるかぎり気分はダルい。

缶の安っぽい金属が口に触れるからこその命。

缶コーヒーは、コーヒーの分類に入れてはならないのです。
これは全くの別の飲み物。


戦いに挑むオトコの必須アイテム…戦闘体制甘味料とでも申しましょうか。


どんなに世の中が高級志向なろうが癒し系志向なろうが、
缶コーヒーだけは永久不滅でございます。


考えてみるに、私クシのオヤジ三種の神器に共通しているのが、
「鋭利感」。

床屋のハサミにしても、ナイロンタオルにしても、缶コーヒーにしても、

この鋭利な感触があります。


もともと、オスは戦うのがお好き。


他者より勝り、獲物やメスを捕らえ、領土を拡げて己の種の存続と繁栄を企む事。

それが、オトコ達の野望であり本性。

それには鋭利な武器という友が必要。槍や刀、甲冑、銃、戦闘機…
オトコ達はこれらが大好きであります。

戦争反対!と叫ぼうが、人命最優先!と唱えようが、

この殺人凶器をオトコ達はこよなく愛しております。

日本刀の研ぎ澄まされたエッジを見て

ムラムラと興奮するのはオトコぐらいなもんであります。

銃も刀も全く興味がない私クシでございますが、
これらの鋭利な物に触れると、我が体内に潜むオトコのDNAがメラメラ目覚め、
生きる覇気が出るのかもしれません。


普段はフリルや薔薇の花々、宝石に心は癒されていようとも、いざオトコの出陣はやはり鋭利な感触で奮い起ち。


所詮はただのオッサン。

この3つの神器なくしては生きていけない、我がオヤジのサガでございます。


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投稿者 tadashi : 13:35 | コメント (0) | トラックバック

2007年10月23日

日傘オンナの栄光

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秋の気配が日毎に深まってますが、
今年の夏も執念深い紫外線の下では、
UV完全武装オンナ隊をどっさり拝見いたしました。

日焼け止めクリームにサンバイザー付き黒帽子、
黒覆面に肘まである黒ロンググローブ、そして…憧れのレース日傘。

あぁ、何と勇ましい出で立ちでございましょう!
天敵の紫外線と果敢に闘う女戦士の如きでございます。

私クシも日傘を持ちたい!

あの優雅極まる他人迷惑な日傘を持ちたい!


羨ましゅうございます。


しかし、いくら乙女オヤジを自認してようが、
オヤジが日傘を持つ事は、現代ニッポンにおいて
後ろ指を差されるであろう事ぐらいは承知しております。
世間の後ろ指、世間の嘲笑が怖くって日傘は未だ持つ勇気がございません。


その思いが強過ぎるのか、テレビ番組「別人マダム」の屋外ロケでは
フリルてんこ盛りのおフランス製日傘を持っております。

が、これはあくまでもテレビ用。視聴率UP用。

世間の目を気にする度胸なしの私クシが、
普段そんな格好をして巷を歩いているわけがございません。

しかしです、オヤジだっていつ何どき出てくるか予測し難いシミを恐れており、
その発症は可能な限り遅らせたいと切に願っているのであります。

私クシは、日傘オンナを羨望の眼差しで眺めております。


ところで先日、興味深いNHKの番組を見ました。

日本語ペラペラの在日外国人達が、
日本人や日本の社会について奇異に見える事象を、
言いたい放題言いがかりをつける、日本人にとっては
自虐的ナルシズムの快感をくすぐられる番組です。

風鈴の音を聞いても涼しく感じないとか、
なぜ日本の街には自動販売機がやたら多いのか…とか、

褒めたり、こき落としたりと散々言い放った後、
ある若いフランス女性がご発言。


「日本人オンナの日傘ってとてもヘン!オカシイ!
世界中探しても日傘を差してる女はイナイ!
あんなのはヨーロッパでは前世紀の遺物。今、誰もイナイ!」


まわりの外国人達も「ソウソウ、カッコワリィー!」と。


へえ、そうかァ…そうだったんだ、とため息まじりに感心。


私クシここで2つの事実にやたら驚いたのでございます。

一つは、世界中のオンナはみんな日傘を差してると思ってなのに、
今は日本だけなんだァ…という事実。

そう言えば、夏にヨーロッパでもアメリカに行っても
日傘西洋オンナを見たことがございませんでした。

カリフォルニアの青い空の下でヒルトン姉妹がレース傘を
差したところを見た事ございません。

それどころかガンガンに強い日差の下でも、
おベンツの屋根全開で走ってらっしゃいます。

私クシ、目からウロコでございました。

日本の日傘は世界から見れば時代錯誤も甚だしかったのです。
これは衝撃の事実でございました。


そして、もう一つの衝撃。

紫外線を気にする日本のオンナの姿は外国人からみればカッコワルかったのです。

彼女達の言い分。

「なんで黒くなっちゃイケナイの?
なんでそんなにシミやソバカス気ニスルの?
日焼けはカッコイイジャナイ…もっと大事なコトアルッ!」


なるほどごもっともなご意見です。

シミよりもっと大事な問題は人生においては山積している筈。

自分の肌よりも守らならなければいけない事は世の中にいっぱいある筈。


美白、美肌至上主義の日本の日傘オンナは外国人から見れば滑稽で能天気なだけに映るのでしょう。


でもねぇ…と私クシは敢えて申し上げたい。

そもそも、我々東洋人の肌って何色だとお思いで?

黄色人種って言うぐらいだから当然に黄色!

と、考えている事がそもそもの間違いでございます。

いろんな人種のモデル達をメイクしてきましたが、
日本人の肌はぜんぜん黄色くありません。

白人の方達がちょっと日焼けした方がはるかに黄色ぽく見えます。

白人独特の僅かにピンクがかった肌色が紫外線を浴びる事により
オレンジ色がかった健康的な黄色に見えるのでしょう。


では、我々の肌は何色か?

くすみ色でございます。


残念ながら、ただくすんでいるだけでございます。


日本人の肌は表皮が厚いためか、肌色の中に僅かながら緑の色素が潜んでいるのです。


実は、その緑色がくすみの原因。


もともとくすんでる肌が日焼けすると、当然ながらくすみがエスカレートします。

ひと昔前のガングロくらい真っ黒なら、
くすみも黄色も言ってられない迫力がありますが、
日本人の中途半端な日焼けはドス黒く淀んだ肌色で、
かえって不健康に見えるだけでございます。

日焼けは健康的でカッコイイというのは、
そんな事情を露も知らぬ西洋白人のご発想。

いにしえの平安の昔から、御簾の中から浮かぶ白い肌は
高貴で奥ゆかしく女らしさの象徴とされてきました。

それ以来一千年以上の長きにわたり、
日焼けオンナが美しいなんていう美意識は日本文化にはないのです。

戦後の日焼けブームは西洋かぶれの一時的な気紛れでございます。
オレンジ色に輝く日焼けした白人オンナと、
ドス黒くくすむ日焼けした日本人オンナとでは、存在自体が月とスッポン。


根本的に日本人の肌には日焼けは向いていないのです。


そして、紫外線から守られた白く陶器のような肌…
そんなシミひとつなく透き通り壊れてしまいそうな美白オンナを、
日本男子は確かにお好きなのです。

緑の色素を含んだドス黒いオンナはオトコにもてないのを
日傘オンナは本能的によーく承知しているのです。


どんなに外国人から蔑まされようが、
どんな言い掛かりをつけられようが、日傘でお肌をお守りくださいませ。


もてる事はオンナとしては最重要課題。


美肌美白至上主義で何が悪い。


滑稽でカッコ悪くて何が悪い。


この少子化の世の中、人類存続のためには、実にまっとうな考えでございます。


オンナとして最後に栄光を勝ち取るのは日傘オンナでなのでございます。


そして、そして、世の乙女オヤジ達も日傘を持とうではありませか!


オヤジだってシミがあるより、
無い方が良いのに決まっております!美白オヤジで何が悪い!


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投稿者 tadashi : 09:46 | コメント (1) | トラックバック

2007年09月21日

心のグラデーション

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教えられるよりも、教える方が、より学ぶ事が多いようでございます。

プロを育成する講習をするようになってから十数年になりますが、
様々な事を生徒達より教わったり、気付かされたりしました。
なーんて言えば、きれいごとで体裁を取り繕っているように
聞こえるかもしれませんが、

ホントにそうです。

自分では何の努力もせずとも簡単にできるテクニックも、
実は生徒達にとってはかなり至難の技であったり、
逆に何年も費やして得たテクニックが、
いとも容易くやってのけるツワモノ生徒がいたりと…

そんな日には落ち込んで眠れず自暴自棄に陥ります。

そのなかでも、線とグラデーションの関係には考えさせられました。

メイクにおいて描くという行為には、
たった2つのテクニックしかありません。

それは、線を明晰に描くことと、
グラデーションを柔らかく施すこと。

基本的にはこの2つのテクニックしかないのです。

例えば、線テクはリップラインや眉尻、
そしてアイライン等。

最近のリップグロスてんこ盛りなどは線が明確ではないですが、
濃いリップカラーとなると、やはり線が明晰な方が
清潔感があってきれいです。

そして、暗い部分から明るい部分に向かって
徐々にボケて消えて行くのがグラデーション。

アイシャドーやチークカラー、
そして柔らかな眉頭がそれにあたります。

この2つのテクの複雑な組み合わせによって、
同じ色を使っても顔の印象は随分変わります。

グラデーションの場合、
明暗の幅が広くなればなるほど、情感が深く、
さらに広くなると退廃色の濃い印象になります。

線がシャープになればなるほど、
緊張感のある顔となり、時には挑戦的、
攻撃的な雰囲気までなります。

さて、その線とグラデーションのテク、
生徒達の実習を見ていると、どんなに優秀で器用でも、
最初からこの2つともが上手い生徒がいないのです。


必ずどちらかが上手でどちらかが苦手。


つまり、線をきちんと描ける生徒は柔らかく煙り立つような
グラデーションが苦手。

グラデーションが上手な生徒は切れるような線が描けず四苦八苦。

線派とグラデーション派にはっきりと二分割されてしまうのです。

この2つのテクをそれなりに習得するにはかなりの努力が必要。

努力のかいあって会得したとしても、
必ずどちらかが微妙に不得手で、この問題は一生つきまといます。


生まれながらに線とグラデーションの2つが超絶的までに美しいのは、
ダ・ビンチぐらいではないでしょうか…それでも彼は最期は
グラデーションの人でした。

さて、自分の技量を棚上げしながらも生徒達に指導していると
面白い事実を発見しました。

それは、線派とグラデーション派はただテクだけの問題ではなく、
心の問題でもあると。


テクと心はシンクロしているという事実です。


まあ、当たり前と言えば当たり前なんですが、
これが実に興味深い。

線が苦手な生徒は、心が絶えず揺れ動いて、
焦り、動揺が見え隠れしてヨレヨレの線となってしまいます。

しかし、そんな生徒でもグラデーションを描かせば、
何も教えなくとも幅広いボカシができ、かなり上手な場合もあるのです。

そんな生徒は心のグラデーションの幅も広い。


心のグラデーション…例えば、真っ黒の部分が心の闇としましょう。
悲しい、辛い、苦しい、あるいは痛い。

そして、最も白い部分が心の明るさとしましょう。
楽しい、嬉しい、愉快、気持ちがいい、というような。


その幅が広いということは、感情の幅も広いのです。


生まれたての赤ちゃんの感情は2つだけ。
笑うと泣く、この2つのみ。

つまり、黒と白の感情しかなく、きわめてに近い幅です。

しかし、大人になるにしたがって様々な感情や情感が入り交じり
複雑化して、黒から白に向う幅がどんどん広がっていきます。

これが、心のグラデーション。

様々な種類の感情が豊富に心に存在していること。

悲しみから喜びまで沢山の段階の感情を持っている事。

そうすると物事や人の心をキャッチする能力にも長けます。

総じて、線の上手な生徒に比べ、
グラデーションが上手い生徒の方が感受性が強いように
思われます。


ただ、若い場合は心の揺れが安定せず、ブレも起こります。
ですから、線を描くと同じようにブレます。

反対に線のきれいな生徒は心も安定してブレません。

黒と白の、つまり悲しみと喜びの感情の境界が明確です。


複雑な情感もなく悪く言えば単細胞。


しかし、単細胞にも利点があります。
細胞が単純ですから迷いがありません。

迷いがないので、結論も早く仕事もテキパキ。

そして何よりも、線が伸びやかで大らか!


かくも心とテクはシンクロしているのであります。


そこで教える側としては、線派には心の幅を広げるように。

グラデーション派には心のブレをなくすように指導しています。

が、短期間でそれらを習得するにはおのずと限界があります。

少なくとも、それらに気付いてもらえば、その内いつかは線も
グラデーションも自在に操れるかと思ってます。

グラデーションの幅が広く、伸びやかな線を描ける事。

感性豊かな心を持ちながらも、大らかである事。

これが生徒達から学んだ事であり、
私クシ自身のこれからの目標でもあります。

人生も仕事もまだまだ修行が足りません。

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投稿者 tadashi : 09:59 | コメント (0) | トラックバック

2007年08月08日

したたか肌、攻めの洗顔 守りの洗顔

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今回は美容のお話でございます。

美容についての直接的なお話をするのは、
ひょっとして今回が初めてかもしれません。

本業の話となると、何だか専門的データばかりになって、
読む側はもちろん、書く側も退屈してしまいそうなので、
敢えて避けておりました。

そこで、今回は私クシ自身の経験に基づいた洗顔法についての
お話でございます。

自分自身の事となると、少なくとも書く側は退屈いたしません。

さて、いきなり自慢気に聞こえ、恐縮でございますが、
「お肌きれいですねぇ、ツルツルッ!」とよく言われます。
「いえいえーそんなことはないですよ」と平静顔で答えますが、
内心は、一瞬フゥーと立ちくらみする程に全身喜びで満ち溢れます。

男前ね、カッコイイね、なんて嘘八百のお世辞を言われるより、
よほど嬉しゅうございます。

確かに、この年代のオヤジにしては
シミもシワも少ない方かもしれません。

ゴルフもテニスもアウトドア活動も全く興味のない、
日陰大好きな乙女オヤジですから、比較的色も白い方。

しかし、新陳代謝は若い頃からかなり旺盛で、
表皮の上は常に油分でコーティングされ、
世間のオヤジ並みにテラテラと自然発光しております。

ツルツルとした肌に見えるのはそのせいで、
特に滑らかというわけではありません。

テラテラとツルツルは全く別物。


テラテラは視覚的な擬態語で、

ツルツルは触感的な擬態語でございます。

従って、テラテラしていてもツルツルしているとは限りません。


テラ肌とツル肌は似て非なるもの。


一見ツル肌に見える私クシも至近距離で見れば、
シワもシミもタルミもオヤジ相応にあり、
トラブルも人並みに起こっております。

それを、油分のテラ光りの反射で誤魔化しているだけの事でございます。


そのテラ光りのお陰で決まったように質問されるのが、

「どんなお手入れしているの?」です。
「いーえ、ほんとに何もしてないですよ」と、
これまた決まったようにお答えしますが、

もちろん大ウソ。

ビタミンC、B群、E、田七人参、コラーゲン等のサプリは、
毎日欠かさず、大腸強化のヨーグルトもたっぷり。

内側から美しく…の経口美容には特に気をつけております。

しかし、外側からのスキンケアは極めてシンプル。
洗顔後は化粧水をごく微量チョンチョンと塗るだけで、
ハイ終了。

パックもマッサージもせず、クリームも塗りません。

冬のお手入れもこれですべてでございます。


極めて単純、安上がり。


まあ、これは新陳代謝旺盛な脂性肌だからなせる技で、
乾燥肌の方が同じようにしたら、
日照り焼きの早明浦ダムとなりますから要注意です。

とは言え、洗顔にはかなり気を使っております。


我が家のお風呂には2つの洗顔石鹸がございます。

1つはコンビニ御用達の
男の洗顔料OXYパーフェクトウォッシュで380円也。

ああ!何とお安いこと!

もう1つは
敏感肌用のスーパーソフトタイプで、ちょっとお高い目の3500円也。

この2つの洗顔料を適時に使い分けております。

つまり、男の洗顔料は攻めの時、
敏感肌用洗顔料は守りの時。


まずは攻めの洗顔法。

洗い方にも、ちょっと裏ワザがございます。


湯船に入り、熱い目のお湯に顔を浸して角質層を蒸らし
充分にふやかしておきます。

その後洗顔。

手のひらで泡立てた泡をつけますが、
すぐに洗うのではなく、顔の上に泡をしばらく放置するのです。

時間にして30秒から1分位が目安。

その後、マッサージをする要領で汚れを落とします。


洗濯物の浸け洗いと同じ理屈でございます。

ふやかしているので、ゴシゴシしなくても
簡単に汚れも垢も落とせます。

これは一種のソフトピーリング手段。

表皮の上汚れや皮脂はもちろん、
毛穴の中の黒ずみまで根こそぎ落とします。

ついでに不必要な角質も剥ぎ取り、
新たな角質層の誕生を促します。

ゆすぎの時にキュッキュッと音がすれば大成功!

下から新品角質層がガンガン押し上げてきますので、
出来たてホヤホヤの日焼けのシミは数週間で薄まります。

要は肌を強引に活性させ奮い起たせるのです。

脱皮、ヘビの脱皮と同じでございます。

しかし、この攻めの洗顔法、気を付けなければなりません。

下からの角質が再生でき力のある時のみに可能。

体力がなく肌が弱っている時や季節の変わり目、
乾燥肌の方は御法度です。

逆効果でトラブルのもと。

その目安は肌のかゆみと赤味です。
かゆみが出た時や、いつもより赤味が多いと感じた時は、
攻めの洗顔は絶対厳禁。

死の砂漠肌となってしまいます。

肌に関しては、攻撃は最大の防御とはなりません。


こうなると、完全防御、守りの体制をとらなくてはなりません。

そこで登場するのが、お高い目の敏感肌用洗顔料。


泡立てネットで作り出したホイップクリームのようなきめ細やかな泡。

この弾力性のある泡でそろりそろりと洗顔。

角質層には触れず、上っ面の汚れだけを簡単に短時間で洗います。

少々の皮脂は残しておきましょう。

そして、かなりのぬるま湯でよーくゆすぎます。


この時、キュッキュッと音がすれば大失敗。

洗い過ぎでございます。


ともかく、守りの洗顔はあたらず、さわらずです。

たとえ健康な絶好調な時でも、攻めの洗顔は3日続きが限度。

それ以上続けると、健康な肌でも下からの角質層押し上げが
間に合わなくなりトラブル発生となります。

新品角質層が定着するまで、守りの体制でじっと我慢。


攻めたら守る。

活性させたら沈静させる。

休ませたら働かせる。

叱ったり誉めたり、飴とムチ。


要は自分の肌や体調を知ること。

体が弱った時や熱のある時、ジムに行ったり
ジョギングする人はいません。

健康な時にこそ身体を鍛え上げます。


肌も全く同じこと。

その繰り返しでツル肌風のテラ肌を維持しております。

そして薄い角質層ながらも強靱な肌を目指しております。

繊細に見えて、強くて丈夫で長持ち。

そんなしたたかな肌が私クシの理想肌でございます。

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2007年07月25日

ティアラとシャンプーリンス

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先日、百貨店で、「ヴァンクリーフ&アーペル展」の催しがありました。

関西風に略して「バンクリ」。

ご存知、パリの老舗超高級宝石店でございます。

vancli.jpg

そのバンクリの創業時から今日までの宝飾の歴史の変遷を、
華麗なる数々の代表作を通して見れる催しでございます。

私クシ、宝石は三度のメシより好きですので、
待ってました!とばかりに馳せ参じました。


さすがでございます。


宝石の質の高さもさることながら、そのセッティング技術の見事さ、
洗練された品格あるデザインや赴きは、
世界の王室の載冠式用クラウン、ティアラを手掛けただけに、
昨日や今日にブームに乗った即席ブランドとは、
根本的にが違います。


工芸品というより、もはや芸術品の域。


特に20世紀初頭のエドワーディアンスタイルやアールヌーボー
緻密でデリケートな仕上がりは絶品。

もう、よだれタラタラでウィンドウにしがみついて見ておりました。

さて、今回の呼び物の目玉展示品の一つが、
グレース・ケリー公妃のティアラでございます。

ハリウッド女優からモナコ公国に嫁ぎ、世の女性の羨望の的になった、
あの美貌の公妃が実際に着御したティアラでございます。

こういうイベントの時、目玉展示品はありがた味を持たせるために、
たいてい最後から一つ手前のあたりのコーナーにあります。
(一番最後でないところがニクい)

その目玉ティアラを目指して、奥へ奥へとまっしぐら。


ございました!


強面の警備員に守られ、360度から見透せる分厚いガラス張りの
ウィンドウの中に、まさに王妃の如く鎮座おわしました。


ティアラ、大好きです!


前から横から後ろから、下から上から、そのウィンドウをぐるぐる周り、
警備員のお兄さんの不審者を見る目付にもめげず、
まさに穴が空くほど凝視いたしました。


嗚呼、憧れのグレース公妃のティアラ!


…と、言いたいところですが、なんかヘンです。

とてもヘンです。


もちろん、そこいらのブライダルサロンでリースしている
ガラス玉えせティアラよりは、比べ物にならないくらいにご立派。

ダイヤモンドも強烈に煌めき、やはり本物の輝きと存在感です。


しかし、やっぱり何だかヘンです。

それは、形のようで…形がどうも歪でヘンなんです。

その得体の知れぬ、ヘンを解明すべく、真後ろにまわって観察すると、明すべく、真後ろにまわって観察すると、
奇妙な留め金を発見。

最後部にティアラの馬蹄型の端と端を繋ぐように留め金が付いているのです。


そこで解説プレートを読むと
「このティアラはネックレスとしても使え、
 娘のキャロライン公女はネックレスとして着用していた。」

というような内容の事が書かれていました。

つまり、あの留め金はネックレス用の留め金で
ティアラを上下ぐるっとひっくり返すとネックレスに変身するのです。


とてもお便利!

一粒で二度楽しめるご発想。

なんと合理性に富んでるではございませんか。

もし、新語をつくるなら
「ティアネック」とでも名付けましょうか。
(パンストみたいで素敵なネーミングです。)


でも、両方楽しめるということは、
片方の目的の本質は十分に果たせないとも言えるのです。

異なる2つの目的を一つにまとめると、必ず無理が生じ、
美しさに欠けた半端なシロモノが出来上がります。

ネックレスは女優の首やデコルテを華やかせ、顔を美しく見せるアクセサリー。

しかしティアラは単純に女性頭部を飾るアクセサリーという意味だけでは
ありません。

後光、光輪、オーラとかいった、肉眼ではとらえにくい輝きを
人工的に具現させた、頭頂部光輝髪飾りなのでございます。


つまりは、特別な人が、特別な時に威光を放つ、
特別なもの。


ネックレスはネックレス、ティアラはティアラで、
一緒くたにすると決して美しくはならないのです。


くるっと逆さまにしても美しいのは富士山と天橋立くらいなもんです。


この中途半端な機能性が、この目玉ティアネックのヘンさの原因だったのです。

これを見て、ふと思い出した物がありました。

ふた昔前に流行りかけたシャンプーリンス。

シャンプーとリンスを一つにまとめたシロモノ。
汚れを落としと、髪の保護とは全く別の正反対と言ってもよいくらいの目的。

2つを使いわけるのは邪魔くさいからと言って、一つにしてしまうと、
汚れ保護もどちらも中途半端に終わってしまいます。

おかげで、この商品もすぐにすたれてしまいました。

パウダーファンデーション。

肌をカバーする目的のファンデーションと、その油分を固定するパウダー。

当然目的は別。

ですからパウダーファンデーションだけで強引にカバーした女性は
粉吹き顔でぜんぜん美しくございません。

シャンプーリンスやパウダーファンデーションのように日常に使うアイテムならまだしも、ティアネックはいけません。

一国の元首夫人が着御なさる物ではございません。

ティアラには合理性や利便性、とかの俗っぽいものは、
ことごとく排除しなくてはならないのです。

ティアラにおいて機能美を追求すると、
とてもお下品なアクセサリーとなってしまいます。


やはり、ヨーロッパの大国ではなく、小さな公国ゆえの宮廷費不足からかと、私クシのようなゲスな人間はつい勘ぐってしまいます。

あるいは、利便性と経済的を追求した、
大国アメリカから輿入を果たしたハリウッド女優のこれが限界とも…


恐れ多くも賢くも御無礼いたしました。


シャンプーリンスは消耗品で、すぐに消え去りましたが、
ティアネックは消去するわけにはいけません。

ゆえに、とても高額厄介品。


いずれにせよ、今回のバンクリ展の最悪目玉展示品が、
このティアネックでございました。

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投稿者 tadashi : 09:57 | コメント (0) | トラックバック

2007年06月27日

卑しきカーテンコール。

卑しきカーテンコール。


お上手、お上手! ヤッタァ〜!
気分イイッ! あんたは天才!
よくお勉強しました! 努力は買いましょう!

とまぁ、クラシックコンサートにおける拍手の意味合いって、
こんなとこでしょうか。

でも、もうひとつの意味合いもございます。

もう一回顔見せてぇ! お願い、もう一曲!
同じ料金払うならお得感が欲しいの!
ホラ、ホラ、おだてに乗って、ホラ、ホラ!

という意味合い。

むしろこちらのほうが本音かもしれません。

それまでお上品を装っていた聴衆も、本プロが終えるやいなや、
本性ムキ出しになって急にオネダリしちゃうのです。

演奏家は演奏家で、この拍手もまんざらでもないようで、
じらすだけじらして拍手が鳴り止む寸前にアンコール曲をおもむろに演奏。

またもや万雷の拍手を受けて、
拍手とアンコールのエンドレス攻防となります。

このおだての拍手についつい調子に乗ってしまうのが若手の演奏家達。

knp.jpg
ピアニストのフレディ・ケンプ
なんぞは、

本プロにおけるベートーベンの「ハンマークラヴィル」のあとに、
こともあろうかムソルグスキーの「展覧会の絵」の後半を
エンジン全開でぶっ飛ばし、本プロの厳粛で深淵なる世界を
むちゃくちゃにしてしまった記憶がございました。

「アホ〜…」と思わず呟いてしまいました。


素晴らしい演奏ならまだしも、極めて平凡な演奏への拍手となると、
演奏家が舞台の袖から出たり入ったりを繰り返すだけの、
儀礼化、様式化されたダラダラ拍手となり、
こちらの手が痛いだけ。演奏家も痛々しい。

特にオペラのカーテンコールは退屈極まりなく、
一旦閉じた緞帳から、もっと拍手ちょうだいとばかりに、
いそいそ出てくるプリマなんぞ見てしまうと、
オヒネリ欲しさの役者根性丸出しで興醒めしてしまいます。

ですから、オペラの緞帳が下りると、私クシはとっとと家路につきます。

歌手達の「素」の姿なんぞは見とうもございません。

まぁ、このようにカーテンコールやその後に続くアンコールの回数は、
客と演奏家の「卑しさ」を計る尺度のようなもので、
その演奏自体の良し悪しとは全く関係ございません。

つまり、卑しい演奏家と卑しい観客が揃うと
アンコールは延々と続くのでございます。


その点、日本の伝統芸能は素晴らしい。
お能や狂言なんぞは緞帳すらなく、
シテ(主役)が引っ込んだ時点でハイおしまい。

歌舞伎も、役者がどんなに力演しても、一旦定式幕が下りると、
どんなにオネダリしても役者の顔を二度と拝む事はできません。

その方が、演目自体も役者そのものもかえって印象深く、
しかも長く記憶に残せ、お互い潔い別れとなるのです。

なんと芸術の本質をついた
エレガントな文化でございましょうか。

日本文化嫌いのサルコジ様にも是非とも理解していただきとうございます。

と、日本の伝統文化はさすがじゃわいと、自讃していた矢先、
とんでもないものを目撃してしまいました。

それは、市川団十郎率いる歌舞伎パリオペラ座公演の
テレビ中継。

歌舞伎はヨーロッパから見れば東の果ての極めて閉鎖的な芸術ですから、
オペラハウスで公演するには当然様々な無理が生じてしまいます。

例えば、歌舞伎の花道。

平面的な舞台に三次元的空間を作り出す
世界でもまれに見る特異な舞台機構です。

これがカットされた事については、
まあ、仕方がないとして目をつぶりましょう。

白塗り裃、かつらをつけた出で立ちで、フランス語で口上をした
みっともなさ、滑稽さ、これもご愛嬌ということで目をつぶりましょう。


しかし、絶対許せないのが、
日本が誇るノンカーテンコールの掟を破った事でございます!


一旦下りた定式幕が盛大な拍手で再び開いた時には、
私くしの口までポカンと開いてしまいました。

そして、白塗り隈取りの俳優達が、パリッ子のおだての拍手に
ついノッて、不気味な「素」の媚びた笑顔を見た時には、
まことに情けない思いをいたしました。


おかげで、演目の「勧進帳」や「紅葉狩」よりも
盛大なる拍手に応えてしまった媚びた役者の顔の方が印象強く残ってしまい、
卑しく貧しい舞台となったのは、まことに残念。


何ということをしでかしたのですか、団十郎サマ!海老サマ!


品格のある俳優のなさることではございません。

潔い幕切れと拍手は日本の誇りなのです。


日本の伝統芸能が、ヨーロッパ文化に迎合するなんて、とても恥ずかしい!


そのうち、白星関取も拍手で呼びだされ、
土俵の上でガッツポーズを取るのでは、
とヒヤヒヤしております。

もう一度申します。

カーテンコールは演者と客の「卑しさ」を計る尺度
いうことをお忘れなく。

そんなものは、西洋芸術にまかせておけばよいのです。


東の果ての閉鎖的芸術は閉鎖的な幕切れの方が品がよろしゅうございます。

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投稿者 tadashi : 09:54 | コメント (0) | トラックバック

2007年05月15日

パソコンとイチロー。

パソコンとイチロー。


白状致します。

私クシはパソコンは扱えません。

当然、当方事務所にはパソコンはございます。

ホームページも専門家に制作して頂いて、業界では一番最初と言ってよいくらい
早くに立ち上げました。

しかしながら、いまだかつて我がホームページもブログもメールも自力で見る事ができません。

それどころか、電源すらさわったことがございません。

やむを得ずどうしてもパソコンを見なければならない事態が起これば、
当スタッフ達の力を借ります。


とはいえ、そんな事態になるのは、一年に一度あるかないか。

従って、このエッセイもいまだに400字詰め原稿用紙に手書きしたものを
編集部にファックスするという、前世紀の古典的手法で行っているのです。

機械オンチかと思われるでしょうが、意外にそうでもなく、
携帯も家のデジタル機器も人並みに使ってますので、
まあまあ平均的能力かと思われます。

しかし、パソコンに限っては、どうしてもさわる気にも、
見る気にもなれず10数年。

数年前のIT革命から完全に取り残された革命孤児でございます。

みんなからは「便利よー、ぜひ使いなさい」と勧められても、
何をもって便利と言うのか、さっぱり分かりません。

「調べたい事があるとき、すぐに分かるから」と言われても、
家には百科辞典広辞苑もあるし、電子辞書も常に持っております。


調べたい時にマウスをあっちこっち徘徊させガチャガチャして、
肉眼や感触で捉えられないページにどんどん侵入していく行程が
妙な不安感に襲われ、煩わしく、とうていクリエイティヴな行為とは思えないのでございます。


そもそもですね、そんなに情報が必要なのでしょうか?


人は情報を山ほど得ても、
それを知識にしなくてはなりません。

知識は教養にしなくてはなりません。

そしてその教養は人格を高めるものでございます。


情報を山ほど持っていても、それを知識や教養に変換できる能力が必要なのです。

変換できないと、単なる情報バカとなってしまい、
安っぽい週刊誌みたいな人間となり、とてもみすぼらしい。

私くしの脳ミソには、この変換能力に限界があるのを悟っておりますので、
過剰な情報は必要ございません。

しかるに、パソコンには全く興味がわかず、さわる気にもなれないのでございます。

とまあ、少々理屈をこねて説教がましくなりましたが、
もっと本音のところを申しますと…


このパソコンってやつ、ほんまにカワイくない!


あまりにスキがなく、何もかもが完璧すぎて、
おのれの愚かさかげん、能力のなさが露呈してしまい、何とも情けなくなってしまうのがクヤシイ!

カワイげ、あるいは情感みたいな、人が入り込める余地みたいなものが
あれば良いのでしょうが、当然ながらそんなものは一切ナシ。


頭脳明晰、冷静沈着でクール。

そして、絶えず我々を上から見下しているようなゴーマンさ!

そりゃ〜貴方サマはお偉いでしょうよっ!

と言いたくなります。


ところで、このパソコンの姿を見ていると、
ふと私クシはイチローを思い浮かべてしまうのでございます。

いや、イチローがパソコンに似ているのかもしれません。


あの左右対称で情感もカワイげも無いご面相は、
パソコンそっくりではございませんか。

ご発言にしても、絶えず上からものを言っている昂然とした物言い。

その割に中身が無味乾燥。


ほんとにカワイくございません。


私クシ、野球のルールも知らない野球オンチのせいもあって、
テレビにあの怜悧でクールな左右対称の顔が映ると、
劣等感にどんどん陥ってしまい、チャンネルをパチンと変えてしまいます。

取り扱いが難しそうなところもパソコンそっくり。


パソコンとイチロー、
意地でも一生シカトしてやる!


と誓っている今日この頃でございます。


とまぁ、これはデキの悪い人間の嫉妬からくる言いがかり。

パソコンとイチローのファンの方々、お許しくださいませ。

投稿者 tadashi : 14:25 | コメント (1) | トラックバック

2007年04月11日

闇のエロ桜。

闇のエロ桜。


桜の花はお好き?
と問われると返答に窮します。

好きと答えるには、あまりに俗っぽい美しさだし、
嫌いと答えるには、あまりに狂おしいほどに魅力的。

俗っぽい美しさで魅惑する…うーん、これはとてもエロい。

20世紀初頭にヨーロッパでファム・ファタルという言葉がありました。

直訳すれば「運命の女」

広義的には、オトコを魅了するフェロモンを捲き散らし、
仕留めたオトコはみんな地獄行きになるスーパー下げマンオンナ。

バカオトコを養分にして生き延びる魔性のオンナの事でございます。


例えば、格調高いとこではサロメクレオパトラ。

身近でベタなとこでは、石原M子様林葉N子様でございましょうか。


このファム・ファタルという言葉を聞くと、
私クシは桜の花を連想してしまうのでございます


けなげを装おうような貧血気味の薄ら寒いピンク色。

小柄ながらも技を覆い尽くす様に咲き誇るその姿は、
まさにこの世の春をひとり謳歌する厚かましさ!

春になると決まったように自慢たらしくその姿を見せつけられると、
この世の春を未だ知らぬ私クシなんぞは、嫉妬のあまり吐き気が致します。

花の命は短くて、なんて言って散り際を惜しみますが、
ご安心あれ、一年経てば性懲りもなく確実に咲き誇っています。


なんと小憎たらしいこと!


とくに夜の桜。


白昼はピンクの可憐な顔でごまかしても、闇の匂いを身に纏うやいなや、
本性をむき出し豹変するのです。


闇の中から浮かぶ桜は、尋常ならざる色香を漂わせ、
ぞっとするほどの凄艶なエロさでオスどもを狂わします。

満開の闇の桜を見て、オンナがきれいと言うのと
オトコがきれいと言うのは、意味が違うのかもしれません。

普段、花には無関心で名前すら覚えようとしない、我がニッポンのオトコ共が、
この闇の桜の下では狂喜乱舞して泥酔するワケが分かるような気が致します。

西行様なんぞは満月の夜にこの花の下で死にたーい!
とまで願って歌に詠んだのですから、まさにファム・ファタル。


俗っぽい魅惑に惑わされると、オトコはみんな地獄にまいります。


桜の下を掘り起こせば、バカオトコの屍がわんさか出てきそう。

是非とも見てみたいものでございます。


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投稿者 tadashi : 12:36 | コメント (1) | トラックバック

2007年03月14日

「洗練」ーオトコはナマがお好き。

「洗練」ーオトコはナマがお好き。


オシャレの基本は洗練から、
洗練されたお化粧、洗練された絵画、洗練された物腰、
なんて、よく洗練という言葉を使いますが、
その洗練っていったいナンなんだろうとよく考えます。

こういう時、日本語はとても便利なんですよね。
漢字の字並びをじーっと見つめると、答えがおのずと出ます。

練ったものを洗う事でございます。

練るとは辞書で調べると、
こねる、ねばらせる、精製する、なめす、鍛える、みがく、推敲する
等であります。

つまりは、手間暇かけて腕によりをかけたり、
熟慮したり、努力して作り上げたものを
サラッと洗い流しちゃうという行為でございます。

例えば、洗練されたオシャレというのは、
いかにブランド品を着ようが、
いかに流行を知り尽していようが、
いかに立派な身分であろうが、
あるいは逆に貧しい生活であろうが、

それをサラッと洗い流して、
年令や身分や教養の表現を抑制した身なりです。

洗練された絵画とは、努力して磨きに磨きをかけた技術も、
一旦洗い落して技巧を感じさせないように見せるセンスでございます。

努力したり、頑張ったり、考えたりしすぎたりすると
汗をかき、ナマ臭くなってしまいます。

そのナマっぽさ洗い流すこと。
垢を流すこと、それを洗練という訳であります。

とは言え、頑張って努力して培ってやっと手に入れた技術や知識を一旦洗い流すというのは、相当に勇気がいること。
できれば、見せびらかしたい、誉めてもらいたいと思うのは当然。

しかし、そこががまんのしどころ。
コントロールできる知性なり余裕が必要となります。

私クシ達、ファッションにおけるメイクの仕事で最も重要なのが
この洗練であります。
いかにモデル達から老いを消すか、
いかにオンナのナマ臭さを取り除くか、
いかにシンプルに見せるか。

コンシーラーひとつにしても、クマを隠し、
オンナの哀れを消し、顔をエレガントに見せるという行為です。

ファッションメイクにおいては洗練さが最も要求される訳です。


ところがです。

この洗練が、全く意味をなさないという場合もあるのです。


ご存知かと思いますが、
私クシはTVの情報ワイド番組の中で「別人マダム」という
小さなコーナーをさせて頂いています。

ごく一般の家庭の主婦の家に伺って、私クシがヘアとメイクをして、
フツーのオバチャンを別人のマダムのように仕立てるという番組です。

私クシが言うのもなんですが、
ほんとうに皆様方お美しく変身なさいます。

お好み焼き屋のオバチャンも
日夜家事と育児に追われるオバチャンも、
皆様セレブマダムのように華麗なる変身をなさるのです。

それは、彼女達からオンナとしてのナマ臭さ
メイクによって排除しているからです。

加齢からくるシミやクマ、
所帯っぽくなった手入れ不足の眉ヘア-スタイル、
野放し状態となった肌
それらを少しファッションぽく丁寧にプロが手をかければ、
誰だって見違えるように美しくなれます。
視聴者からもスタッフからも大反響
私クシまでが美しくなったようでまんざらでもなく嬉しくなってしまいます。

番組は後半、その華麗に変身を遂げた姿を家族や友人に見せるという
流れになります。
これは隠しカメラで撮るので、その家族や友人は状況が事前に知らず
イキナリドッキリというシチュエーション。

まさに番組のヤマで、視聴者は彼らの反応を固唾をのんで見ることになります。

困ってしまうのはここから。

オバサンの友人や娘達だったら問題はないのです。
彼らは美しくなったマダムの姿を見てキャッキャと手を叩いて喜びます。

困るのが、夫や息子の場合です。
パッと見た瞬間、夫や息子は何とも言えない
戸惑いの表情を浮かべてしまうのです。
誰が見ても美しく変身した妻あるいは母を見て、
彼らは素直に喜べないのであります。


何故?どうして? こんなにきれいになったのに…
そこで私クシはハタと気がついたのです。


「洗練」がわざわいしていると。


ナマのオンナ、ナマの女房、ナマの母の姿
私クシは洗い流してしまったのです。

オトコはたとえそれが老いていようが、
シミだらけの肌であろうが、野放しの眉であろうが、
ナマのオンナ、ナマの母がいいのです。


オトコはナマがお好きなのです。


考えてみるに洗練されすぎるとナマどころか、
人間味まで取り去ってしまう危険性があります。
オンナ自身はそれでいいかもしれません。
オンナはいつだってお人形になりたいのですから。
しかし、オトコから見ると
そういうお人形のようなオンナは要りません。


洗練された女優というと、まっ先に頭に浮かぶのが、

オードリー・ヘップバーン。

しかし、彼女からはナマのオンナ、ナマの母、ナマの妻の姿は皆無です。

女性からは憧憬の的であっても、男性からは人気がイマイチだったり、
一生大根と言われたのも
その上質の洗練さを身につけてしまっているからです。

最近の車のTVコマーシャルで気になるキャッチフレーズがありました。


「母は美しくなって僕から離れていく…」


これがオトコの本音かもしれません。

モテるオンナはナマオンナでございます。


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投稿者 tadashi : 12:49 | コメント (0) | トラックバック

2007年02月14日

眠れる森の美女

眠れる森の美女


あくまで、私クシ個人の見解ではありますが、
ディズニーアニメの最高峰は「眠れる森の美女」であると
確信しております。

bijyo.jpg

初めて見たのが、今から数えること40数年前。
小学校3〜4年生の頃だったと記憶しております。

その目眩く浪漫の世界に、小学生だった私クシは酔いしれ、
家に帰るやいなや、押し入れからシーツを取り出し、体に巻きつけ、
家の小さな階段を昇ったり降りたりしておりました。

シーツはある時はオーロラ姫のスカートに、
ある時はフィリップ王子や魔女のマントにと。

おとぎの国願望、お姫様願望、王子様願望が人一倍強い私クシは、
それ以来この「眠れる森の美女」を我が聖書とし
人生の指針として崇めております。

白雪姫、シンデレラ、そして眠れる森の美女のオーロラ姫。
この三人をディズニーの三姫と申しますが、
その中でもオーロラ姫がダントツの美しさを誇っております。

太陽の如く光輝く金髪の髪。
量もタップリ、ダメージへアもなくいつもしっとりと揺れております。
唇もバラの花も恥じらうようなピンク色。
グロスなしでもツヤツヤの触感であります。
そして、長いまつ毛と深く均衡のとれたアイホール。

白雪姫もシンデレラもどことなく田舎クサくていけません。
やはりお育ちのせいでしょうか。
生まれも育ちも三姫の中でオーロラ姫がピカイチでございます。

すそ拡がりのお姫様ドレスにしても、
オーロラ姫のデザインがダントツでセンスがよろしい。


そして、何よりも王子様!


ルックスとキャラが抜群でございます。
信じ難いほどのカモシカのような長い長い脚。
長さもさることながら、ふくらはぎの筋肉のもつカーブが絶妙で
かなり運動神経も良さそう。
首も太く長く、なで肩でありながら背筋もしっかりついた
ゴージャスな肩。

意外かと思われますが、現代のようなTシャツならともかく、
クラシックなコスチュームには実は洋の東西問わず
なで肩の方がはるかに良く似合うのです。

王子のキャラといえば、まっすぐで向こう見ず。
少々ドジで甘えん坊。

しかし、愛がすべてに勝り、
必ずや悪を滅ぼすと親からも教育されてるらしく、
自分よりはるかに強い魔女の化身の怪獣もなんのその。

白馬にまたがって立ち向かっていくその無垢なお姿は
お姫様願望の強い全世界の女性達の憧憬の的でございます。


これぞ王子様!


一旦サカリのついたオスは斬くも向こう見ずで王女救出に向うのです。
そして初めて発情したメス姫は、何もせずただひたすら眠り続け、
果敢に戦禍をくぐりぬけてやってきたオスの接吻を待ち続けるのです。


そう、お姫様は何もいたしません。


なんと素晴らしい男と女の理想とする普遍的構図でございましょうか。

現実ではあり得ないこの男女の理想をおとぎ話は適えてくれるのです。
おとぎ話はこうでなくてはなりません。


アニメの技術も当時の事です、一枚一枚の手描き。
実際の俳優達使ってデッサンを起こし、
改めてアニメに書き直すのですから、
時間も手間もお金もしっかりかかっております。

オーロラ姫のスカートのドレープや魔女のマントの揺れ方なんぞは、
優雅そのもの。
今ドキのCGアニメなんかはチープ過ぎてチャンチャラおかしゅうございます。

さて、この現実離れした完成度のかなり高いおとぎ話ですが、
その完成度の高さに反して、
私クシ気になるナマナマしい場面が一点あるのです。

オーロラ姫が森の奥深くで妖精達に育てられ、
森の中で島や動物とたわむれ踊り歌うシーンがあります。
あまりの甘いメルヘンさで見落としてしまいそうですが、
なんと彼女の足はずっと裸足なのです。


なんで?


普通森の中と言えば落ち葉はもちろん枯れ枝やトゲのある植物もあって、
とても裸足で歩ける状態ではありません。
しかも、彼女は王族の血を引き、教養高き妖精達に育てられたのですから
裸足で外を歩くなんて考えられないはずです。

何もかもが虚構のメルヘンの世界で塗りかたまれたアニメだけに、
このシーンがとてもお下品で、ふしだらなオンナに見えてしまうのです。
しかも、彼女のヘアーは登場シーンからラストシーンまで
ずっと髪をおろしたダウンヘアー。

この物語は中世のヨーロッパのお話、
当時、女性の髪はセックスのシンボルでもあったのですから、
ダウンヘアーにしているのは娼婦ぐらいのもので
このダウンヘアーは歴史的に見れば間違い。

当時は長い毛は結い上げるか布で隠すかのいずれかです。
だからこそ、裸足で、しかもダウンヘアーで
森の中で踊っているシーンが子供向けアニメとは
信じられないぐらいに淫靡に見えるのです。


やはりオーロラ姫は発情中です。


そして、あの若きフィリップ王子は、
この森のシーンで初めて彼女に出会い、一目惚れするのです。
 

ごもっともです。


うす暗い森の中であんなあられもない姿を
サカリのついたカモシカが見落とすわけがありません。

とは言え、ふしだらに見えるオーロラ姫自身には罪はなく、
あくまで、制作側のスタッフの問題。

彼らはオール男性陣で制作しているのです。
オトコ達が創り上げたオーロラ姫像なのです。

だから、じっくり見れば見る程に、
彼女の立ち居ふる舞い、目の動き、口の動きはとても官能的で
猥雑すらあります。

このアニメは完全にオトナ向けのアニメでございます。

しかも、オトコが創った理想のアニメ。

そう言えば、オーロラ姫の顔をよくよく見れば
叶恭子様に似ているようで…。

ただの夢物語で終えない、ディズニースタッフの奥深さを感じております。
オトナのオトコの夢物語でもございます。


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投稿者 tadashi : 12:59 | コメント (0) | トラックバック

2007年01月19日

ワルの艶男2

ワルの艶男2


先日、BSチャンネルでヴィスコンティ特集を放映していました。
今年は私クシのご尊敬申し上げるルキノ・ヴィスコンティ監督様の
御生誕百年というまことにお目出たい年に当たり、
数々の名作を一挙放映していたのです。

下々で暮らす貧民を描かせても、雲の上の官能生活を描かせても、
そこから醸し出す映像はともかく
「豊か」「豪華」「耽美的」「頽廃的」でございます。

オツムの出来がダントツで、経済的にもケタはずれに恵まれ、貴族のDNAが存在するお生まれで、人並み外れた美意識で、その上ゲイで、とくれば、
とんでもない芸術作品を創っちゃうのは、当然と言えば当然。

ただ、彼の場合、耽美主義に溺れそうで溺れない
ギリギリの冷静さを持っているのがすごいところでございます。


それは人間洞察。


映像は、とほうもない絢爛さと洗練さで
観る人を非日常的な世界に誘い、酔いしれさすのですが、
登場する人物達の切り込み方は深く、生々しさを表現して現実を直視しています。

この一見相反する二つの世界を見事に融合させてしまうのが、
彼の天才たる所以です。

そこで今回は、私クシの好きな二つの作品の
二人の生々しい艶男達のお話でございます。


彼の名を世に知らしめたデビュー作
「郵便配達は二度ベルを鳴らす」ジーノという艶男クン。

そしてまことにオペラティックなゴージャスな作品
「夏の嵐」フランツという艶男クン。


これらのストーリーについては完全省略。
是非とも映画の方をご覧いただきとうございます。

ただ、この二人の艶男に共通しているのが、
人妻に取り入り、浮気し、最後は破滅してしまうところ。

ジーノは夫を殺してまで手に入れた人妻を
自らが運転する自動車事故で亡くします。

一方、フランツも一旦手に入れた人妻も
浮気と裏切りで逆鱗に触れたオンナの密告で処刑されるという破滅。


ニ作品とも死というとんでもない破滅で終えてしまうのであります。


まず、人の妻を奪うという手段はワルの艶男の専売特許。
独身ならどうってことないオンナも、人のものとなると、
突然に所有欲が沸いてくるのです。

しかも、相手のオトコが自分より年も上で、
社会的地位も上なら所有欲だけでなく、
闘争心も沸くから始末が悪うございます。


要するに自分よりエライ人間のものを欲しがる、
とっても卑しい根性。

そう考えると、これはただオンナを欲しいというだけではなく、
相手のオトコとの闘いでもあるのです。


野生のオスの本能でございます。

彼らの容姿は端麗とは言えず、
どちらかとオツムの出来が弱そうでいつも優柔不断な眼差し。

ジーノなんぞは背中にもたっぷり毛が生えた、
類人猿ぽい体つき
で、汗の臭いがプンプンして、
タンクトップはいつも垢でうす汚い。
食べることとセックスしか頭の中に存在しないような、オスの典型。
そんな野卑な彼が、時折見せる優柔不断で負い目を感じる時の
悲しげな目元の表情がオンナにとってはくすぐられ、
胸キュンでたまりません。

一方、フランツは、もう少し教養もありそうな顔立ちですが、
いつも自分の事にしか興味のない自意識過剰型。
何をするにも自分中心からの発想しかない薄っぺらい二枚目。
その割には、否だからこそ、
時折口にする言葉が詩文的で、これまた胸キュン。

そしてお二人とも獲得したアカツキには
必ず浮気をしている部分もオスの本能。
他人からいったん手中に収めた獲物は、
何の魅力もなくなってしまうのでございます。

そして、自分のワルの部分を自覚しているのか
滑稽なほどオドオドしているのも魅力。


オンナの方も面白いもので、最初は猜疑心と恐怖で二の足を踏んでいても、
自分が数ある中から選ばれた獲物であると確信したとたん燃え上がり、
メスとして発情してしまうのです。

しかも、獲得される手段が卑しければ卑しいほど火がつき易いのでございます。
卑しい行動を取るほど、オスの肉体は輝かしく見えてしまうのです。

行動だけではございません。心も同じ。
卑しい心を持ったオスは、正直言って官能的!

官能なんてショセンそんなもの。
卑しさなしで、セクシーさは語れません。


そうそう、「夏の嵐」の原題って「SENSO」
日本語に訳すと「官能」でしたっけ。

ヴィスコンティの絢爛たる背景があってこそ、
却ってその卑しさが浮き彫りになるのです。

ただ、オスの本能とメスの本能がぶつかり合ってマルく収まるのは
動物界だけのお話。

人間界では必ず破戒するのはこのニ本の映画が証明してくれます。

ワルの艶男にはオンナの冷静な知性で太刀打ちするしか方法はございません。
でも…そんな知性って発情したオンナにありましたっけ…。

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投稿者 tadashi : 14:21 | コメント (0) | トラックバック

2006年12月13日

ハの字眉オンナの陰謀

ハの字眉オンナの陰謀。


眉の形といえば、山型と世間の相場が決まっています。
眉頭からスタートした毛流れは、眉山の頂点を目指して上昇し、
昇りつめた所で眉尻に向って下降して細くなり自然消滅する。
これがごく一般的というか、常識的というか、
世の女性のほとんどがこの山型眉であります。

ところが、現代では一般的と思われているこの山型眉の歴史、
実は意外と浅いのはご存知でございましょうか。

この世に誕生したのは、戦後。
たかだか50年程度の歴史でございます。

それまでは、オンナの眉には山型眉なんて存在しなかったのです。
それまではというのは、ローマ時代、エジプト時代よりずっと前、
おそらくオンナが化粧を始めた太古の昔からずっとです。

では太古から戦後までの長い間、オンナの眉の形はというと、
まっすぐの棒型か、柔らかな弧を描くアーチ型か、
眉頭からいきなり下降するハの字型か、
このいずれかでありました。

眉頭から上昇し、角度をもってカクンと下降するなんて眉は、
女性のウン千年、否、ウン万年の歴史の中でも
ごくごく最近の出来事なのです。

それは、大英博物館のやルーブル、日本や中国の古墳などの
絵画や彫刻が証明してくれます。
それらの女性像の中に山型眉なんて皆無でございます。
全く見当たりません。

ビーナスモナリザ高句麗の美人画にしても、
皆様そろいにそろって
アーチ型眉。


なぜなら山型眉ってとても恐くって女っぽくございませんもの。


戦前まで女性の顔に求められていたのは、
柔らかく、優美で、曲線的で、意志の持たない顔だったのでございます。
家の中で家事と育児に専念し、夫の帰りをひたすら待ち、夫の意見にに従う、
男の添え物的な従順な女性像が求められていた訳です。

それが、この前の大戦を境にして、
女性美の基準がコロッと変わってしまいました。

つまりは女性の社会への進出。


ご承知のように戦後女性は家事や育児だけに留まらず、
職業を持ち、政治に参加し、権利を主張することができるようになってきたのです。
そうなると、メイクも変わり眉も主張と意志を持ちはじめたのでございます。


直線的で、シャープで、力強い眉。
はっきり 言って獰猛で挑戦的。


戦前の女優でいうなら、ベティ・デイヴィスや、
マルレーネ・ディートリッヒのような丸く下がり気味のアーチ型眉。
しかし、戦後になるとエリザベス・テーラーの究極の山型眉や
オードリ−・ヘップバーンのようなシャープで意志の明確そうな眉へと
変わるのです。

たかだか10年の間に斯くも変化が起ったのでございます。

女性美の基準が180度ひっくり返った衝撃の10年です。

と、言うワケで、現代の女性の眉の90%は山型眉。
残の10%は直線棒型眉や、アーチ型眉ハの字型たれ眉があり、
まれに、お手入れ放棄の野放し眉がございます。

ところが、一般的に90%を占めるこの山型眉、
政界の中ではビミョーに比率が変わっているのがお気付きでしょうか。

女性政治家達の眉をじっくりご覧くださいませ。

勿論、山型眉は女性政治家達にも大人気。


しかも、一般女性よりもかなり強靱で迫力があります。

特に眉尻なんぞは自分では描きにくい位置だけに、
自然に消滅するどころか、永遠に続きそうな
力強い意志強固な線が多く見られます。

朝の化粧台で、鏡を覗きながら、世にも恐ろしい形相で
「今日もオトコに負けらへん!」とばかりに
眉尻をアイブローペンシルで書きなぐっている姿が
目に浮かびそうでございます。

しかし、その山型眉の次に多い率が意外にもハの字眉。
リフティング効果がないこの眉は、現代では全く人気のない骨董的眉ですが、
政界の中においては逆に未だ人気があるようでございます。

少子化対策のお大臣様。
滋賀県のお知事様…etc

彼女らは、その今にも泣きそうなハの字型眉のせいか、
柔らかく、優美に見えます。
ご性格も温厚でお優しそう。
この眉ならオヤジ議員からも有権者のオバサンからもウケが良さそうで
大変結構なことでございます。

千景眉や蓮舫眉とはえらい違いがございます。
ところが、ハの字眉議員はあくまでご温厚でお優しそうに見える…
ということであって、ご温厚であるとは限りません。

彼女達のねばりあるご性格や気骨のあるご人格は、ご承知の通り。

ハの字型とはウラハラでそのお顔のイメージどうりに接すると
思わぬしっぺ返しがやってまいります。


これは陰謀です。
ハの字眉オンナの陰謀でございます。


外柔内剛と言えば聞こえはよさそうですが、
虫も殺さぬその眉で相手に油断させ、
忍びよる敵にトドメを刺しそうに見えて仕方ございません。

するどい山型で直接威圧するよりも、余程仕末に悪いテであります。

そのように見えてしまう私クシって
やはりとてもイジワルなんでしょうか…ホホッ。

あっそうそう、もうお一人肝心な方がいらっしゃいましたっけ。
 
 
田中真紀子様。
 
 
ご人格とは正反対のハの字下り眉。


そして、ご性格からも遠く及ばぬ
乙女チックなパール入りピンクのリップ。


これも陰謀のおつもりでしょうか。
もっとも彼女の場合、一声吠えればバレバレでございます。

兎にも角にも、政界に限らず、山を丁寧に削り取ったハの字眉オンナには
くれぐれもご用心なさいますように。


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投稿者 tadashi : 10:30 | コメント (0) | トラックバック

2006年11月22日

王子様の下瞼。

王子様の下瞼。


私クシ、ちょっと変わったヘキがございまして、
人の下瞼(したまぶた)をじっと見るのが好きなのでございます。

上瞼は、起きている間はパチパチと1日中まばたきして
動いているのですが、下瞼は常に静止状態。
ですので見易い分、ついつい人の下瞼をじっくり見てしまいます。

すっきりと、シワも淀みもない下瞼は、これはこれでお美しいのですが、
むしろ私クシは、ぷっくりとふくれて、
シワも多少ある下瞼の方が好きでございます。

たっぷりとふくれ、淀みがある方が、感情の幅も広く、
感受性もたっぷり豊かなような気がするのでございます。

上瞼に較べて、下瞼は顔の持つ情感がより表わしているのです。

そして、妙に色っぽい…!
人相学ではこのぷっくり下瞼のことをホルモンタンクという
素敵な名が付けられ、男女とも性ホルモンの貯蔵庫だそうです。

つまり、ぷっくりふくらめばふくらむほどに性ホルモンもたっぷりで、
フェロモン度も高く見えるというわけでございます。


話は変わって


ご自分の顔をメイクをする時、この下瞼を黒や茶色のアイライン等で塗り、
目を強調するか、あるいは逆に白っぽくハイライトでクリーンな下瞼にするか
迷ったことがございません?

この違い、早い話が、上瞼も下瞼もしっかりラインで固めれば、
目力がギラギラで大人っぽい印象に。

逆に下瞼を白っぽくすれば、ピュアで幼く若い印象になります。

目力が強まれば、攻撃的になり、大人っぽい印象になるのはおわかりになったとしても、下瞼が白っぽくなればどうして幼く見えるのか疑問かと思います。

それは、生まれたての赤ちゃんをご覧になれば明白です。
赤ちゃんのつぶらな目の下瞼は、みんな白くクリーンで清らか。

くすんだ下瞼の赤ちゃんなんて、古今東西ありえません。

そして、下瞼が白くなると不思議と黒い瞳がより大きく、
より丸く見えるのです。

大きな瞳は穢れがない純粋な心の内を表現しているようで、
何かを訴えかけられたとしても、受け手が無条件で応えてしまいそうなチカラを持っています。

マンガやアニメの赤ちゃんや幼児の下瞼を見ても、
線らしいものは全く見当たらず空白のままで、
瞳は上瞼をはみ出さんばかりに大きくまん丸く描かれています。

チビまるこもクレヨンシンちゃんも下瞼は空白。

だから子供とは思えないコマッシャクれた不気味な言動も
つい許してしまうのです。


要するに、白く清らかな下瞼は瞳をより大きく見せ、
見る側の守ってあげたいという母性本能を強烈に促してしまうのです。

オンナはオトコの白い下瞼を見ると、
胸がキュンと鳴ってしまいます。

と、同時に妙な安心感も与えられてしまうのです。

母性本能とはそういうモンです。


題名からもそろそろ、お察知かと思います。


そうです。
最近の王子系イケメンの共通項はこの白い下瞼!


ヨン様筆頭とする韓流王子系の皆々様方。

そして、我らが日本を代表するハンカチ王子の斎藤クン。


王子方の下瞼は、みんなそろいにそろって淀みも曇りもなく
ピュアそのもの。

彼らの大きな瞳は、ウソも偽りもないように見えます。


たとえ偽りがあってもこんな王子ならだまされても本望
思ってしまうのですから、下瞼の白さのチカラも大したものでございます。

その白い上になおぷっくりふくれてホルモンタンク満載なもんなら、
ピュアでエロく、母性本能とオンナの本能がせめぎ合い、
複雑な恋心となるのでございます。


ヨン様、貴殿に世のオバサマ方が浮き世を忘れて夢中になってしまうのは、
そのぷっくり下瞼かと私クシは拝察いたす次第でございます。


貴殿の御尊顔はホントにピュアでエロい!


斎藤クン、貴殿の下瞼はクリーンなだけ。

エロ王子の修業はまだまだ足りませんことよっ。


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投稿者 tadashi : 12:40 | コメント (0) | トラックバック

2006年10月25日

伝道師流、宝石の身につけ方

伝道師流、宝石の身につけ方。


私クシ宝石が大好きでございます。

どれぐらい好きかと申し上げますと、薔薇よりも
好物の柿の種よりも、親兄弟よりもずっと好きでございます。

人生をかけて好きなのです。

この宝石狂いは今に始まったわけではございません。
物心ついた幼き頃からの心の病でございます。

まだ三つ四つの頃、幼稚園に行く時、
手をつないでいた祖母のシワだらけの指にはめられた
小さなダイヤの指輪に目がくぎづけになっていたのが最初の記憶。

近所に遊びに行くのも、
公園やオモチャ屋さんなんぞは目もくれず通り過ぎ、
向かうのは商店街の小さな宝石屋さん。

今から思えばガーネットやトパーズだったでしょうが、
その強烈な赤や黄の色を放つ不思議な生き物に
幼児の心は完全に餌食になっていたのを覚えています。


小学校に上がると、家にはまっすぐ帰らず、
市電やバスを乗り継いで心斎橋筋へ直行。

目的地は、今でも立派に存在する「芝翫香」という老舗宝石店。

そこが私クシの小学校時代の放課後の遊び場でございました。
今でも、はっきり目に焼きついているのが二つの宝石。
神秘的な高貴なブルーを放つアメ玉の大きさを誇るサファイア。
そして、突き刺すような閃光で子供の目をくらます、
数カラットのダイアモンド
この二つの指輪の光に溺れた小学生の心は完全に奪われてしまい、
雨の日も、風の日も、雪の日も心斎橋に通っていたのでございました。

日が暮れて、帰りが遅くなっても大丈夫。
芝翫香の店員さんが「お宅のぼん、また来てはりまっせ。早よ迎えにきておくれやす。」と家に電話をしてくれるのです。

常習犯ですから、家の者も店員さんも大して騒がず、驚かず
馴れたもんで自宅強制連行されておりました。


あれから半世紀近く。
今でも心斎橋を歩くと、必ず芝翫香のウィンドーに立ち寄っております。

半世紀の間、私クシなーんにも変わっておりません…。

ともかく、宝石を見ていると、心が安らかに癒され、
穏やかな息ができるのでございます。

そして、何よりも豊かな気分に満たされ、
体中に力がみなぎり、幸福感でいっぱいになり、
現実から解放され虚構の優雅さ、典雅さ、
高雅さの世界に耽溺して…
ああ、分りません!!


宝石をじっと見つめてると頭がヘンになりそう!


ともかく宝石大好きなのでございます。そんな訳でございますので、
オッサンのわりには、宝石は少なからず持っております。

車にも、不動産にも、株にも全く興味のない私くしでございますから、

余った持ち金はすべて宝石に化けてしまうのでございます。

(あの小学生の頃の心斎橋の遊び場で見た強烈なダイアモンドと
サファイアのせいか私クシの宝石はこの二種類限定。)

細木様美輪様には遠く及びませんが、自慢たらしそうな、
身分不相応のダイアモンドとサファイアの指輪を所持しております。

この指輪達は、私クシのすべて、
人生そのもの、命でございます。

ところが、この指輪達、あまり人目にさらされるチャンスがございません。
外出先で身につけることは殆どないのです。

私クシとて、清水の舞台からころげ落ちて大枚はたいたのですから、
世間に見せびらかしたいのはヤマヤマ。

でも、それができない理由は二つ。

一つは、宝石が似合わない手であること。

私クシの指は異常に短く、ピアノで言えばオクターヴぎりぎりの長さ。
おまけに皮膚が薄く、とっても軟弱。
こんな手は、完全に宝石に負けてしまい、
身体そのものまでが惨じめたらしく見えてしまいます。


もう一つは、アクセサリーを身につけるのが嫌いなこと。

えっ?と思われるかもしれませんが、
私クシ、腕時計すら身につけるのが嫌なのでございます。
勿論、ピアスの穴はございません。
ですので、耳輪も首輪も腕輪もしたことはございません。
この一見デコラティヴで耽美的趣味を持つ人間が、
アクセサリー嫌いとは意外でございましょ。
では、何んで宝石の指輪を持っているかと思われるかもしれません。

私クシ、宝石は宝石であって、
アクセサリーとは考えていないのでございます。

私クシにとっては、護符、お守り、観賞用の恋人、

美のエネルギー源みたいなもんで、


決して我が身を飾りたてるものではないのでございます。


ですから、いつでも自分の視界に入る指輪という形態にして眺めているわけです。

では、その指輪達はいつはめるかと言うと…家ではめます。

外出先から戻って、帰宅するやいなやダイアモンドとサファイアを
身につけるのです。

そうすると、ほっとして何かに守られたような気分になり、
とても落ちつくのです。

家の掃除をする時、お茶碗を洗う時、洗濯をする時も必ず身につけます。
そういった所帯っぽい家事の仕事をする時は特にダイアモンドは有効で、

指先のキラキラを感じながらのベランダ洗濯干しなんぞは、
それはもう、至福の時でございます。

そしてもう一つ、忘れてならない重要なのが、就寝時。

眠りにつく時サファイアの指輪をしていると、
安らかに深い眠りに誘われるのです。

朝の目覚めは東日を受けて燦然と光り輝くダイアモンドとサファイアが、
私クシのアラームでございます。

彼らの朝の美しきオーラは必ずや華麗なる一日を約束してくれるのです。

如何でございましょうか。

これが伝道師流宝石の身につけ方でございます。
とてもゴージャスでエレガントな宝石の身につけ方でござあ〜ましょ。


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投稿者 tadashi : 12:36 | コメント (1) | トラックバック

2006年09月27日

乙女の清め紙。

乙女の清め紙。


〜ローズの香り、5種類のレースプリント入り、ニューピーチ、レースプリント〜
これは一体何の商品コピーかお分かりでございましょうか。

正解は清め紙、言い換えるなら落とし紙、分かり易く言うならティッシュロール、
早い話がトイレットペーパーでございます。

私くしの行きつけのニ流スーパーの家庭用品売場で、
安っぽいピンク色のビニールパッケージに12コセットで包まれて、
いともおしとやかな風情で陳列されております。

new_peach.jpg

ニューピーチと言いながら、なぜだかプリント紙は薔薇。
つぼみと花弁や葉、縁にはピンクのレースプリントが丹念に施され、
おまけにローズからはまことにほど遠いフェイクな香りに包まれております。

見るのも恥ずかしいほどのチープロココの清め紙でございます。

勿論、私くしは買いません。

この安っぽいレースのニューピーチの山を見て
いつもフンと嘲笑ってしまいます
−こんなん、誰が買いはんねん−と。

心とシャツとトイレットペーパーは白の無地に限ると
私くしは信じております。

そもそも、誤解があるかもしれませんが、私くしの部屋は、
皆様が想像してらっしゃるより、思いの外フツウであります。

インテリアは茶を基本にした、シック系ですが、意外と男の館っぽくて、
ロココもフリルもレースもピンクも全くございません。

トイレも極めてシンプルで、マットもタオルもトイレットペーパーも白、白、白。

白がこの世で最も美しいと信じております。

ですから、あのニューピーチの清め紙を買う人の気が知れません。

ところがです。
この見るも恥ずかしい、誰が買いはんねん、と思っていた
トイレットペーパーが実によく売れているのです。

当然買っていくのは乙女オバサン達。

乙女オバサン達のお手洗い必須アイテムのようでございます。


シンプル イズ ベスト


私はこの言葉を信じておりました。
全人類の「趣味の良さ」を計る基準はシンプルにあると。

ところが、乙女オバサン達は違うのです。

シンプルでは物足りない…というより、
むしろ不安になってしまうのです。


シンプル イズ 不安です。


台所のトースターには、必ずフリル付花柄の
お洋服を着せます。

トイレのノブや便座は、夏はパイル地の
冬は毛糸の柄物でくるみます。

ティッシュの箱にも純白のレースの装いをさせ、
ティッシュの婚礼かと見紛うばかりでございます。

台所も洗面所もバスもトイレも、
乙女オバサンの管轄下におかれる場所は必ず
フリル、花柄、レース
のお花畑の装いとなります。

察するに、冷たいもの、鋭利なもの、生々しいものを
直視したり、直接触れるのがお嫌なのです。
不安になるのです。

これは、なかなかフツウのオジサン方には理解しがたい事かもしれません。

得体の知れない、訳の分からぬ、うねったフリルよりも、
シャープなステンレスの方が余程美しい清潔ではないのか。

嫁入りティッシュよりも、箱むき出しティッシュの方が、
取り易いし、分かり易いのではないのか。

フツウのオジサンはこう考えるのです。

これもフツウに正しい。


でも、乙女オバサンは「生」は絶対に許せないのです。

「生」は見たくない、聞きたくない、匂いたくない。

ですから、何かで隠したい、覆いたいのです。

臭いものにはフタをしろーです。

だから、オンナは化粧をするーと、これは論理の飛躍でしょうか。
これは、失礼ごめんあそばせ。

話は戻って

人間が排する最も生々しく、穢らわしいもの、それをレース、花柄の
パステルプリントのペーパーで清め払うなんて、
考えば、当然と言えば当然。
勿体無いと言えば勿体無い、
アホらしいと言えばアホらしいかもしれません。

そんな事を考えていた先月或る日、
当家のトイレ棚のトイレットペーパーの在庫がゼロであるのを気付き、
いつものスーパー買いに走ると、
私くし御用達の三枚重ねの純白トイレットペーパーがなんと売り切れ。

あらぬことか、あのチャラけたニューピーチしかないではありませんか!

こりゃあえらいこっちゃでございます。

トイレットペーパーなしの生活なんて考えられません。

背に腹は替られません。

止むを得ません、無いよりマシなニューピーチでございます。

ついに買ってしまいました。

そして取り付けました。

我が家のトイレに

案の上…なんと所帯染みたこと!

あのチープなピンク色のレースプリントのせいか、
トイレだけではなく、部屋全体までもが、
たった一個のロールでぐーんと品格が落ちたようでございます。

そして、あのフェイクな安っぽい香りも
部屋中を充満し、息もできぬほどでございます。

「生」を消すはずのニューピーチが
もっと安っぽい「生々しさ」を醸し出してしまったのです。

これはオンナの下手な化粧と同じ。
「ニューピーチ」を化粧に置き替えてみてください。
おっと、これまた失礼、ごめんあそばせ。

さて、

そんな見るも恥ずかしいトイレットペーパーを使い始めて
早や一ヵ月が経過いたしました。

馴れとは恐ろしいものでございます。

あんなに馬鹿にしていたレース柄も香りもさほど気にならならなくなり…
というか、むしろ楽しみながら、毎朝ガラガラと回している自分に気がつき始めました。

恐ろしや

また在庫がなくなり、スーパーで純白三枚重ねのトイレットペーパーではなく、
あのニューピーチを手にしている自分が恐い。

人間の最も穢れた排出物を完全に対極の世界にある、
レース、花柄、ローズの香りで清めるという行為、

これって、実は正しい行為じゃございません?

この一ヵ月の間に、自分の清め紙の価値観がガラっと180度転換いたしました。

シャツはともかく、
心と清め紙は花柄に限ります。

オバサマ達の不安さを身にしみて感じている、今日この頃でございます。

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投稿者 tadashi : 10:24 | コメント (0) | トラックバック

2006年08月17日

嗚呼、乙女の薔薇生活。

嗚呼、乙女の薔薇生活。


乙女の必須アイテムといえば、トーゼン薔薇。
薔薇がなければ乙女は生きていけないのでございます。

たった一輪だけ活けても醸しだすそのゴージャスさは
他の花の比ではございません。

幾重にも重なり合う花弁

誘い込むような芳しい香り

でも近付づき過ぎると牙をむくトゲ。

誘惑しているのか拒絶しているのか、
こちらを惑わすとこなんぞは乙女の専売特許と同じ。

おまけに、チョットお高いめのプライスも
乙女ゴコロをそそります。


薔薇、ばら、バラ…
うーん、漢字で書いても、ひらがな、カタカナで書いてもゴウカ!


声に発してみて濁音で初まり、巻舌で終える響きも、
まことにゴウカでございます。

その二つの音を発したとたん、
その場は華やかな場の空気に一変するようでございます。

さて、私くしの好きな薔薇の銘柄をいくつか揚げますと、

純粋このうえもないまっ白な無垢の色ながら、
いかにも気位が高そうな端麗さを見せる、アバランシェ。

芍薬かと見紛う如くの大きさと豊潤な香りを誇る
ドンナピアツア。

クリアながら決して甘すぎない
淡彩なピンクで魅了さすスイートアキト等々。

薔薇の美しき姿を思い浮かべただけでも乙女ゴコロは時めきます。

でも、別格断然乙女そのものの薔薇がございます。


それは ジュリア…さま

(私くしは名花ジュリアには敬意を表わし、さまをつけます。)

julia.jpg

色は、薔薇と言うには、かなりの地味さ。

一見淡い赤味の少ないベージュ色で、お花屋さんでも必ず見過ごします。

はっきり言って、低血圧の貧困気味で血糖値も低そうな
病み上がりのようなお姿でございます。

しかし、地味ながらもそのジュリアさまの花弁をよーく見ると
尋常ならざる美しさに気付きます。


淡いベージュ系の色調といっても、
あくまでそれは「系」。

ベージュ一辺倒ではなく、
その中には甘いピンク、
健やかさをギリギリ保っているような僅なオレンジ。
そして、人の心に安らぎを与えるようなブラウン…。

淡い色ながらも実にグラデーションの幅が広いのが、
ジュリアさまのお色の特徴でございます。

それらの色調が微妙にからみ合うお姿は、
複雑な乙女ゴコロと見事にシンクロするのです。

そもそも乙女ゴコロの情感もグラデーションの幅が広うございます。


「泣く」から「笑う」、

「悲しみ」から「楽しみ」

「憧憬」から「嫉妬」


はっきりと現れない、輪郭のあいまいな情感ながらも
乙女のココロは幅の広い過程、
つまり「心」のグラデーションを持ち合わせております。

ジュリアさまの花弁の如く…。

そのうえ、ジュリアさまの花弁一枚一枚の
アウトラインも、これまた乙女ゴコロと同じでございます。

ヨレヨレとゆらめくようなドレープの
縁取りが花弁の周りに存在しているのでございます。


ドレープ…つまりは襞(ひだ)。

心の襞でございます。


乙女のココロは未だ幼く、容量も小さく、脆くデリケート。

でも、様々な情感の幅と数だけは人一倍。

ですから幼く小さなココロの中に入りきれない情感は、
当然ながらヨレができ襞を作ってしまいます。


病み上がりのような貧困気味なお姿といい、
情感の深さ、幅広さ、それらが収まりきれない花弁の襞といい、
ジュリア様は乙女そのもの。

しかも直射日光に弱く、日持ちも悪く、
その割にはかなりのお値段というところも、私くしは大好きでございます。

嗚呼、ジュリアさま、
乙女ゴコロの切なさが滲みだすような其方のお姿を拝見していると、
我が心を映し出されているようでございます。

私くしは決めております。

其方のお姿を目標にして

美しくはかなげに生きていこうと…。

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投稿者 tadashi : 15:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年07月11日

オヤジの乙女ゴコロ。

オヤジの乙女ゴコロ。


「乙女の祈り」というB級クラシック曲をご存知でしょうか?
お若い世代はご存知ないかもしれませんが、私くしの幼い頃、
化粧品会社のTVコマーシャルによく使われていた、
幸せいっぱい、清く正しく美しく、
誠に脳天気な響きのピアノ曲でございます。

40年前に習った、うす汚れたこの譜面を取り出し、
久々にピアノに向いながら、私くしはある事を考えております。

50才を過ぎ、自他共に認めるオヤジ属に加わった頃から、
我が心の異変に気付きだしたのでございます。

初期の頃は、心の奥深くジンワリと。
近頃は、はっきり行動、言動に顕著に現れるようになってまいりました。
それは、


乙女ゴコロの芽生え


でございます。

50を過ぎて遅蒔きながら、
やっと芽生え出したオヤジの乙女の心の動きでございます。

しかし、これが思いの外、実に楽しいのでございます。

それまで、月に2〜3度活けていた家の花は、ほぼ毎週に増え、
しかも大輪系薔薇限定。
玄関先には10本、お台所には3本。

薔薇のない生活なんて考えられません。

たとえ出張先の安ホテルでも、必ず一本は活けており、
朝起きれば、ゴージャスな花に向かって「おはよう」と声を殺してそっとご挨拶。
花に癒され、花びらの艶やかさを享受したいのでございます。

そして…誓うのです。

次に生まれてくる時は、きっと薔薇になって見せるぞと。

以前使っていた黒塗りのカルティエのボールペンは何処へやら。
今はアビステの総ラメ、キラキラボールペンに変わっております。

キラキラといえば、スタジオ用スリッパも名刺入れも、
フリスクのケースも、キーホルダーも、

いつの間にやらすべてキラキラのラインストーン系。

光モノを毛嫌いしていた30代の頃には信じ難い行動であります。
衣服はマットでシックに、小物はキラリと光モノのケバさで
心の辻褄を合わせております。

以前はナイロンタオルで角質をゴシゴシ洗い落としてた洗顔法も
最近はきめ細やかな泡をネットで作り出し、
表皮を傷つけることなくソフト洗顔。

乙女の天敵はもちろん太陽。


乙女は太陽に当ると溶けるのです。

乙女オヤジの柔肌を守るべくパナマ帽とSPFで紫外線を完全阻止。

うなじや手は言うに及ばず、シャツの間から見えるデコルテも忘れず厚塗りガード。
後半生もできるだけ美白を保って長生きしたいと願っております。


三度の飯より好きなのが宝石。


これもダイヤとサファイア限定でございます。

なけなしのお金をはたいて買った宝石は、
アクセサリーとして身を飾るためではありません。

あくまでも我が心を豪奢な輝きで満たしたいため。
ですからおやすみ前には必ず身につけます。

眠りを安らかにいざなう睡眠導入剤でもあり、
きらびやかな朝の目覚めを約束する覚醒剤のようなものであります。

朝の光をとらえ、七色に反射させるダイヤの輝きは、
生きる勇気を必ずや与えてくれるのでございます。


40代半ばの頃、おのれのオトコとしての度量に気づき、
カッコイイ系のチョイワルオヤジになることをさっさと諦めました。

そして、厚かましくパワーアップするがため知らず知らずの間に
オバサン化していたのです。

しかし、50を過ぎた頃からは、御多分に洩れず、
人生に対する、言い知れぬ寂寥感と焦燥感がやってまいりました。
人生の折り返し点を過ぎれば、自分の周りの人生景色も見極めがつき、
諦観すらしてしまいがち。

厚かましくパワーアップしてオバサン化だけしても、
周りからうっとうしがられるだけでございます。

この年になって周りの人間から見放されとうはございません。

そこで、思いきってギア−チェンジ。

パワーアップせずパワーダウンさせ、人間にスキを作り始めました。

有り難いことにスキがあると、人はその隙にやってきてくれます。
寂しかったら寂しいと口に出し、人に素直に甘えればよろしい。
焦っているなら焦っていると憚らず口に出せばよろしい。

何かに守られたい、何かに依存したい、可愛いがられたい、
自分をこれ以上壊されたくない、穢されたくない、
できることなら清く美しいままで死にたい。

こう願い、祈るのは乙女ゴコロと同じでございます。
そしてそれを躊躇なく行動に移します。

私くしの場合は、美しくゴージャスな物に心を依存しております。

薔薇、宝石、光モノグッズ…。
そして、SPFという白馬に乗った騎士に、お肌を守られております。

オバサンだけでなく、オヤジの心の中にも
乙女ゴコロは必ず密んでいるのです。


オバサン化したオジサン達はオヤジ乙女へ進化するのでございます。


団塊の世代のオヤジ様方、どうぞ悩んでいる場合ではございません。
さっさと心を切り替え、乙女ゴコロを身につける事を進言いたします。
乙女ゴコロは人生を脳天気にさせ、
とてもとてもラクチンな余生を約束してくれるのでございます。

団塊乙女世代と呼ばれようではございませんか!


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2006年06月15日

サッカーなんて大嫌い

サッカーなんて大嫌い


4年に一度と言えば、うるう年にオリンピック、そしてワールドカップでございます。
うるう年はともかく、スポーツに全く興味のない私くしにとっては、
オリンピックやワールドカップなんぞは、どうでもええお話でございます。

とくに今年はワールドカップの当り年とかで、
巷ではサッカー、サッカーとうるさいこと此の上もございません。

サッカーについては、ほとんど無知な私くしとしては、
今回の出陣チームメンバーでも、顔を知っているのは、
イケメン霊長類みたいな面立ちの中田ナントカ氏ぐらいなもんで、
あとはみんなひと括りであります。

だいたい「W杯」と書いて、ワールドカップと読むなんて知ったのはごく最近。
「指宿」と書いてイブスキと読むより、はるかに難解であります。

もっとも、「WC」と書く方が、もっと混乱を招きそうで、
なるほどよく考えたものじゃわいと日本人の知恵にあらためて感心しております。

では、なぜにスポーツの中でも、特にサッカーに興味がない、
と言うよりむしろ嫌いかというと、それは


お下品だから。


あらゆるスポーツの中でも最も野卑な部類に属していると
考えております。

その理由は三つ。

足で物(ボール)をケルという行為。
ケッた物(ボール)を敵陣に入れるという行為。

そして、ゴールした時や勝った時の選手達の感極まった野蛮な行動。


幼い頃、襖やドアを足で開けたり、物を足で動かしたりしたら
よく叱られたものです。

日本では、足は手よりも不浄とし、足蹴りにするのは、
人であれ物であれ、以ての外。

では、日本古来から「蹴鞠」があったあったではないかと
仰るかもしれませんが、
あれは鞠を地に落とさないように、蹴りあげるという行為であって、
決して地面をゴロゴロさせて敵と競うものでありません。

八人が輪になって何回鞠を上げることができるか、
そのために装束を簡略することもなく、形式も流派もある、
まことに典雅なお遊戯なのでございます。

輪になってバレーボールを突き合う足ヴァ−ジョンのようなもので、
みんなで仲良く遊びましょう的スポーツなのでございます。

バスケットボールや野球、アメフトのように敵味方別れて
点を争い合うような野蛮なスポーツではございません。

そもそも、日本には敵陣を作り、敵陣に追い込むような
戦う団体スポーツなんてなかったのです。

流鏑馬にしても弓術にしても、柔道、剣道、すべては、
人間形成を運動によって造り上げる、心と体の競技。

相撲も、一対一の個人の技量を争うもので、神道にのっとり、
いかに潔く、美しく勝負を決めるかであって、

勝てばすべてヨシというような

お下品な西洋的スポーツではないのです。


日本の競技はすべてエレガント。


長い歴史の中で、国土を侵略されたことも
侵略して成功したためしもない我々は、
こういった何が何でも敵陣に追い込み、やっつけるスポーツは苦手なのです。

敵と戦うという下品なDNAが根本的に欠如しているのです。

ですから、負けてモトモト、勝てば棚ボタでございます。


私くしは、テレビにサッカーが写し出されると、ガチャンと電源OFFにいたします。

勝ったからといって、走りまくって、
あげくの果て神聖なるユニホームを脱ぎ捨て、
雄叫びをあげる勝者の姿なんて、見とうもございません。

獲物を奪い取ったサル山のボスのような形相であります。

とは言え…

スポーツ競技はお下品な方が面白そうだし、
闘志むき出しの野蛮なオトコ達の方が鞠を優雅に蹴ってるお公家さんより、
よほどセクシーに見えるのも事実でございます。

<閑話蛇足>

どうか、日本チーム様、優勝して竹島も油田もついでに取り返してくださいませ。
奪い返すには、蹴鞠民族の奥床しい知恵だけでとうてい無理でございます。

あなた達のサッカー根性まる出しの戦いっぷりが何としても必要でございます。

と、これは叶わぬ望みでしょうか。

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投稿者 tadashi : 10:54 | コメント (0) | トラックバック

2006年05月17日

ノーブレスオブリジェ

ノーブレスオブリジェ。


先日、オーストリアはザルツブルグのイースター音楽祭に行ってまいりました。
この音楽祭は今回が二度目。
昨年、あまりのコンサートのレヴェルの高さに味をしめて、
今年もあの異次元世界を求めて行ってきたのです。

やはりスゴイ!のです。

何がスゴイって、ラトルを初めとする世界超一流アーティスト達を
ずらりと揃え、四日間ぶっ続ける内容の濃さもありますが、
それにもまして、聴衆側、つまりお客のレヴェルが
これまた物スゴイのでございます。

今回はそのお客達の話です。

その前に、このイースター音楽祭なるものをちょっとご説明申し上げます。

元々は、あの帝王カラヤン様がご自分率いるベルリンフィルは世界一だよーっ
生まれ故郷ザルツブルグで見せびらかせたかったのが事の始まり。
夏のかの有名なザルツブルグ音楽祭のウィーンフィルに負けじと対抗して
イースターの時期に国際的な音楽祭を催したのです。

まぁ、言わば独裁者カラヤンの故郷に錦のリサイタルみたいなもんです。

で、彼の死後、その遺志をついで、
現在はサー・サイモン・ラトル氏が音楽総監督に着任し、
この音楽祭を仕切っておられます。

そこで、問題はそのチケット入手法でございます。

夏のザルツブルグ音楽祭は先着優先、顧客平等、極めて公明盛大であります。

ところが、このイースター音楽祭なるものは、
100%すべてが会員制。

ここが他の音楽祭やコンサートと決定的に異なっている点です。

この音楽祭、別名カラヤン同窓会とも言われており、
ホールの中央には今もなお、カラヤン未亡人がカラヤン信者の会員を従え
女王蜂の如く鎮座まします光景が見られます。

信者といえどその会員になるのは至難の技で、
現在の正会員達があの世に旅立たれ空きが出るのを
ひたすら我慢強く待たなければなりません。

たとえ、あの世に旅立たれても、会員の権利を子や孫に譲られる事は
十分考えられますので、まあはっきり言って私が生きている間は
正会員になるなんて大それた考えは止めた方がよさそうでございます。

では、なぜ正会員でも、カラヤン信者でもない、
東洋の果てからやってきたお前如きがチケットを入手できるかって?

そこは、それ、ヤミルートというか、

お金のチカラというか、

日本の代理店を通じて…です。


話は戻って、その会員達ですが、当然オーストリアだけに留まらず、
フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、アメリカの世界各国から
この日の為に押し寄せる、超ド級のお金持ち。

しかもただのお金持ちではありません。

お金も暇ももちろんですが、

知識も見識も鑑識も常識も博識も

あり余る程「識」をお持ちな、

世界トップハイクラスな人達でございます。


その面立ちは、昨日や今日のITであぶく銭を濡れ手で粟で掴んだような
卑しき成り金顔などではなく、

由緒正しき家柄のDNAが、はっきりと顔に刻み込まれ、
ノーブルな香りがプンプンと漂う、
ルネサンスの肖像画に出てきそうな

スーパーエレガントフェィスであります。

コンサート会場でのご婦人方のしっかり大きく開けたデコルテには、
巨大な宝石がまばゆく居すわり、

ダイヤモンドは手の親指大、

サファイア、エメラルドは足の親指大で、

ゴロゴロ、ギラギラと音をたてて輝いています。

その宝石のセッティングも、現代的なセッティングではなく前世紀初頭の
エドワーディアンスタイルや、アール・デコであることからしても、
代々続く、元貴族クラスであろうと拝察できます。


そういった日本では絶対見る事のできない人達ですから、
立ち居振る舞いも実にお見事。

休憩時間となっても我れ先にとバーやブッフェやトイレに向かって
全力疾走する人
なんて誰もいません。(歌舞伎座とエライ違います)


ロビーは何となく人が集まり、ざわめきがあっても、
実にゆったりと、大らかな空間となり、
そこには目には見えない高貴な秩序が生まれているのです。

それはまさにヴィスコンティの映画のワンシーンです。


そして演奏中もすごい。

初日は、ドビュッシーの「ペリアスとメリザンド」。

芸術性は高いのですが、少々のオペラ好きでも敬遠してしまう
難易度の高いオペラです。

何せ、フランス語の抑揚のないお経を
延々四時間以上も続けているようなもんですから、
オペラに興味のない人なら、30秒で熟睡間違いなしです。

にもかかわらず、この会員達は身じろぎ一つせず、誰ひとり船を漕ぐこともなく、
異常とも言える高い集中力でもってこのオペラを鑑賞しているのです。

ちなみに、時差ボケだった私くしは、最後の一時間は、
完全に意識がぶっ飛んで昏睡状態でございました。

コンサート会場だけではございません。

ホテルでも彼らはスーパーエレガント。

夜の一分の隙もないフォーマルな出で立ちは当然ですが、
感動的なのは朝食の風景。

ノーメイクで、朝だから適当な服で…なんて絶対なさいません。

殿方は朝食といえど、きちんとジャケットオン。

御婦人もニット姿ではなく、ツイードやライディングジャケットをお召しです。

ヘア−スタイルも、朝から手をかけてブローしたり、
一巻きニ巻きして自分達の髪質髪色を最大限生かした
ヘアースタイルでお出ましなさいます。

こういう時、日本人の茶髪、黒髪のシャギー切りっぱなし、
パーマかけっぱなしのヘア−スタイルはほんとうに薄汚く見えるのです。


ここで断じて申し上げますが、
日本人のカジュアルやラフの履き違えは

単なる怠慢、不潔、汚れで

アチラのホームレスの人達の方が余程エレガント
に見える事を肝に命じていただきとうございます。

顔も体系も西洋人に劣る我々は同等のカジュアルは貧相になるだけです。


そして、私くしが泊まったホテルの朝食は
ブリティッシュブッフェスタイルだったのですが、
食べ物の周囲に人が集まっているのを見た事がありませんでした。

そこだけは、いつもガラガラ。

つまり、人が食べ物を取っている間は、
彼らはいつも遠慮してテーブルで待機し、タムロを避けているのです。

ですから満席の朝食にもかかわらず、朝刊のめくる音だけが時折する
ゆったりとした静謐なダイニングとなるのです。

ああ、なんと美しい朝食風景だったことでしょう。


「ノーブレス・オブリジェ」という重要な言葉が西洋にあります。

高貴な人間は、それなりの責任と義務を負わなければならないという意味です。

では、戦争が起これば、まっ先に武器を持ち、戦場に向かわなければならない。

天変地異が起れば、まっ先に被災地に向かい、人々を救わなければならない、

という事です。

では戦争も災害もない、平穏な時には優雅に遊んでたらいいのかというと、
そうではありません。

勿論義務があります。


それは、エレガントである事。


先人達が創った、芸術、文化を継承し、それを育て上げ、後世に残し伝える事。
それは、何も音楽や絵画に限った事ではありません。

立ち居振舞、服装、言葉…つまりは「生きる行儀」を示さなければいけないのです。

たとえ濡れ手に粟でもお金を握ったなら、
それに比例して「生きる行儀」も持たなければいけません。

今回の旅行で私くしはそれを再認識いたしました。

お分かり? ホリエモン殿。

投稿者 tadashi : 12:59 | コメント (0) | トラックバック

2006年04月19日

美しき目玉焼きの食し方

美しき目玉焼きの食し方。


東京で最も好きなホテルはどこかと問われると、
躊躇なく銀座「ホテル西洋」と答えます。

部屋からのうらぶれた銀座のビル屋根の景色に目をつぶりさえすれば、
間違いなく東京で最もエレガントなホテルでございます。

ただ豪華なインテリアや、ハイプライスなホテルなら
他にもあるでしょうが、ここのホテルが、他と一線を画しているのは
そのサービスにあります。


まことに貴族的。


タクシーで到着するや「お帰りなさいませ」と笑顔でドアマンに迎えられ、
正面大階段を登り、コンシェルジェデスクへ。
(フロントデスクなんて下品なものはこのホテルにはございません。)

簡単にサインだけ済ますと、モーニングコート姿のバトラーの案内で
いつものお気に入りのお部屋へ。

そこは私くしのリクエスト通り、デスクランプのワット数も、
窓の開閉もすべていつも通り。

アメニティーも一日使いきりの簡素化された、しみったれたものは一切なく、
デカイ石鹸、デカイ歯ブラシ歯磨き、デカイバスタオル、デカイバスローブ。
アロマオイルもケチケチしてなく、ドカンとひと瓶。
まことにラグジュアリ−。(帰り荷物がナゼか増えます)
スタッフの笑顔や態度は快い慇懃さ。

ディズニーランドやリッツカールトンあたりで見られる、
アニマルが貼りついたような笑顔なんてなさいません。

信じ難いことに、10年程前までは、なんと朝刊にはアイロンがかけられ、
客の手を汚さないような配慮がされていたのです。
(残念ながらこのサービスは今はありません。)

現在も、宿泊客とレストラン利用者以外はあの正面大階段を登ることは許されません。
つまりは関係者以外は入館できないのです。


ああ!なんと古典的で懐古的で保守的で

排他的なホテルでございましょう…!


他では絶対見られない封建的香りがプンプンする正真正銘のエレガントなホテルでございます。

そんなホテルですから、勿論朝食もラグジュアリ−。
本物の蜂の巣付きのハニーに、小皿というには大きすぎる皿に
溢れんばかりに入れられた各種のジャム。

余ったらどうしはんねんやろ…とよけいな事を考えさせられる程の贅沢さでございます。

「卵料理はいかがいたしましょうか?」

こんなホテルでは料理人の腕を伺い知るためにも当然オムレツとするべきなんでしょう。
が、
「目玉焼き…いや、フライドエッグ。片面焼きで半熟でお願いします。」

と、気取って注文。
(アメリカで両面焼きのカリカリの目玉にされた苦い思い出があります。)

私くしは、その半熟片面目玉焼きが大好きなのでございます。
家でも時間がある時はジュージューしております。

でも、たかが目玉焼きといえど、ここの卵は別格。

黄身は限りなくオレンジ色に近く、
こんもりドーム球場のように盛り上がっております。
白身もプリプリと弾力性があり、
やっぱりいつも買うコンビニ卵とはあまりにも差があります。

ところが、そんな大好物の目玉焼きも、いざフォークとナイフを手にするや、
溜め息と共にピタリと手が止まってしまうのです。


どうやって食べたらいいの…


家の目玉焼きなら、適当にペロリとやっちゃいます。
でも、ここは超セレブの集まるホテルのメインダイニング。
メートルドテールの黒い服の目もありゃ、一見上品そうな紳士淑女の目もございます。

こういった重圧にいとも簡単に私くしは屈するのです。

貴族的なサービスをしてもらいたかったら客側も、
付け焼き刃にしろエセにしろ貴族的マナーを示す義務がございます。

白身はまだいいのです。フォークに何かと乗っかります。


問題は黄身。


間違って銀のナイフに触れようものなら、薄皮を破って黄身がドロリと溢れ、
収拾つかなくなってしまうのはご承知の通り。

黄身とナイフは犬猿の仲でございます。


ああ、私くしの大好きな黄身ちゃん…。


黄身で汚れた高級皿ほどきたならしい物はございません。

で、よくあるテは、パンでぬぐって食べるという方法。

おフランス料理などの皿に残ったソースもパンでぬぐって食べましょう。
−なんてよく言われますが、
私くしこのパンでぬぐうという行為がどうも好きになれません。

とっても卑しいと思いません?

汚れた床をモップで拭いて、
そのモップを食べているように思えて仕方がないのです。

パリのマダムもこうして食べるのよ、と言われるのですが、
パリの上級マダムがこんなモップソースを食している
現場を未だ見た事はございません。

アメリカのインスタントセレブあたりがフォーマルの場でわざと
カジュアルを気取って、それがカッコイイと見せつけたのが始まりかもしれません。
いいかげんな「自由、平等」の精神はお行儀まで悪くしちゃうのです。
アメリカってホントお粗末…。

なぁんて考えているうちに白身ばかりを食べてしまい、
黄身だけがポックリ残ってしまう事態となります。

で、その黄味をフォークですくって一口でポイとお口へ、といきたいとこですが、
そう甘くないのが黄味のシブトイところ。
よほど気をつけないと、口に入る直前でボタンと落ち、
そこいらじゅうが黄味の海となります。

黄味とフォーク、これまた相性が悪いのでございます。

そこで、ウェイターの方にお願いして大きめのスプーンを一つ。

フォークの背でいたわるように黄味をそっとスプーンに乗せ上げます。

そして、黄味をお口の中へゆっくり運び込み、
めでたく味わうことと相なります。


ああ、スプーンと黄味とのハーモニー!


これがエレ伝流、目玉焼きの美しき食し方でございます。

ただし、気をつけないといけない事が一つ。

黄味を乗せたスプーンを丸ごと口に入れる事。

それにはできるだけ大きな口を開ける事。
淑女にはお勧めできかねます。

たかが目玉焼き。されど目玉焼き。

エレ伝泣かせの目玉でございます。


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投稿者 tadashi : 09:08 | コメント (0) | トラックバック

2006年03月15日

粉飾ネイルの穢れ

粉飾ネイルの穢れ。


もう、お察しかとは存じますが、
私くしは人後に落ちぬ程の保守的、排他的指向の強い人間でございます。

自分のファッションにしても、行きつけのレストランにしても、
そして人間関係においても、一旦気に入るとトコトン。

トコトン気に入るとその枠から一歩たりとも出ることなく、浮気もせず、
より深く、より長く関係を続けるタイプの人間であります。

お気に入りのレストランも、私くしの愛用のバッグも、
当方スタッフ達も、みんな10年以上のお付き合いで、
ただ目新しいという情報だけでは受け入れることを絶対に拒む、
実にイヤーなタイプの人間でございます。

とは言え、これは自分の世界においてだけのことで、
他人の生き方、嗜好には口をはさまないことにしております。


特に、女性のメイクやファッションには
むしろ逆に寛容すぎるほど寛容なつもりでおります。


乾燥ひじきのマスカラも、スプレーとワックスでカラスの巣になったような
後頭部盛り上げヘアーも、ドロリと滴り落ちそうなリップグロスも、
そしてもうすっかり鳴りを潜めてしまったガングロも、

もし私くしがオンナなら一度はやってみた事でしょう。


オンナゴコロの琴線にふれるオシャレは大好きです。


木枯らし吹く寒空でも、ナマ肩、ナマ足を見せびらかしたい気持ちも解ります。

炎天下の夏空でも、
汗疹覚悟で首に毛皮をまとわりつけたい気持ちも解ります。

ケイタイをラインストーンでうめつくしたい気持ちも
解ります。

でもね、爪をラインストーンでうめた、あのネイルアートだけは、
どうにもこうにも理解できないのでございます!

あの粉飾化したネイルアートを見たとたんオンナの脆さ
私くしは感じてしまうのです。


本気で生きていない・・・と。


日常の行動の中で、自分の身体のどこの部分が最も多く目に入ってくるかと言えば、
それは顔でも足でもなく当然の筈です。

食事をしても、文字を書いても、何にも意識せずとも、

否応無しに視界に入ってくるのは自分の手です。

その手の先、つまり指先を非日常的に彩りたい、
そのオンナゴコロは大変よく理解できます。
洗濯物を干したり、アイロンがけをしたり、お茶碗を洗ったりして家事疲れした指先。
乾燥し、さかむけした指先を見るのは絶対に避けたい。
己の朽ち果てていく部分が絶えず視界に入るなんて許せない。イヤ。
できる事なら、非現実的にチャラチャラとおとぎの城のような手
ありたい。

こう願うオンナゴコロはとても正しいと私くしは思います。


しかし、です・・・


大金をかけた、満鑑飾に光り輝く粉飾ネイルを守るがために、
日常の仕事や行動を放棄したような指使いとなるのは
如何なものでございましょうか。
携帯を押す指も、ハンドルを握る指も、ペンを持つ指も、子供をあやす指も、
装着された粉飾ネイルをかばうため、
みんな第一関節がだらりと伸びてしまっているのです。


小娘ウエイトレスが粉飾ネイルをかばいながら
ヨタヨタとコーヒーカップを出したりしようものなら、

その伸ばした第一関節の指先を本気でハッタアしたろかあー、
と思うのでございます。


第一、指先のネイルが、どんなに美しく仕上がっていようが、
どんなに芸術的つけ爪であろうが、可愛いと思っているのは御当人だけ。
他人から見ればただ目障りだけのことでございます。
(これは指輪も同じです。)

そんな粉飾ネイルは、未だ嘗て美しいなんて思った事は一度たりともございません。

むしろ、汚い。見苦しい。迷惑。

汚いと感じるだけならまだしも、ジェルネイルや付け爪なんかは、
カビが生えていると言うではありませんか。
換気の悪いトイレの如くです。
ペディキュアにいたってはカビと白癬菌の宝庫となっているようで・・・。
おーコワッ!


もうこれは穢れ以外の何ものでもございません。


ささくれた指先、赤ぎれた指先の方がはるかに清廉で美しいと思っております。


ところで、最も洗練された女優、オードリー・ヘップバーン
指先を良くご覧になったことがあるでしょうか。

彼女はデビューから亡くなるまで、ただの一度もマニキュアを塗らなかったのです。
美しく手入れされた、何も塗られていないナチュラルな爪から、
彼女の知性と洗練を感じ取れます。

本気で生きているオンナは、身体の末端を粉飾で誤魔化し穢すなんて
浅はかなことはなさいません。

そんな余裕なんてないのです。

投稿者 tadashi : 11:45 | コメント (0) | トラックバック

2006年02月08日

ワルの艶男(あでお)達。

ワルの艶男(あでお)達。


最近、やたら男女の性がらみの事件が多いようでございます。
強姦、輪姦、拉致、誘拐、一夫多妻、そして殺人。

ニュースを見ると、ほぼ毎日捕まった犯人の連行シーンが映し出されます。

こんなシーン、昔から見飽きる程に見ているのに、
このテの犯罪を冒したオトコの顔は好奇心丸出し、
興味津々で食い入るように画面を覗き見てしまいます。

そこで気になる点が一つ。 

それまでの犯罪者の顔や、その他の犯罪を冒した顔と、
この数年の性がらみの犯人の顔とは、明らかに一線を画しているのでございます。

はっきり言ってイケメン系

ハンサム系、二枚目系

そして艶男(あでお)系

すべてに「系」がつくのですから、本物ではございません。
このあたり御注意でございます。あくまでエセ。


ひと昔前までは犯人達の顔はいかにも凶暴っぽく、
三白眼でこちらを睨むハイエナ系の顔が定番でした。
ところが、このところの犯人顔はヘンに色っぽい。

色がたっぷり豊かにある事を、艶やかと言います。

色っぽく、エロっぽい匂いを前面に打ち出し、

人生の最大の武器にしているようなオトコを

私くしは 艶男(あでお)と呼んでおります。

鍋強姦の学生達にしても、拉致のプリンスにしても、一夫多妻のオッサンにしても、
とても猥雑な艶男達でございます。

このような艶男達に自分の心の隙を弄んでいるようなオンナは、
コロっとはまってしまうのです。


まず、艶男達は目が違う。


一見誠実で正直そうな目で、受け手に媚びるような、あるいは何かを訴えかけるような、
腹を減らしたノラ犬のような眼差しを投げかけてきます。
勿論、その時はフェロモンも全開で挑んできます。

その一方で刃向かう敵に対しては突然凶暴になり、牙をむき出して狂犬病の目となります。

このあたりの見事な早変わりが隙のあるオンナはたまらないのかもしれません。

ノラ犬の目は、オンナの母性をくすぐり、
狂犬の目は自己を守ってくれるかと
過信してしまうのであります。

しかし、じっとその目を見つめていると瞳がいつも安定していないのをご存知でしょうか?
一見こちらを見据えているかのように見えるその瞳は、
ミリ単位で微妙に動き定まらないのです。
優しい眼差しの時も、凶暴な目線の時もいつもグラグラと不安定。

要するにワルの艶男達には自信が無いのです。

自信のなさが色っぽく見えてしまうのが、
他の誰にもできない得意技でございます。

それともう一つ。


歯並びがとても貧相で動物的。


ただ小さな歯ならいいのですが、その普請がとても偽造っぽく何とも貧乏くさいのです。
これは、そろいにそろって、ワルの艶男達に見事に共通しています。
それを知ってか、彼らは決っして、大きな口を開けて笑いません。
口角を横に吊り上げるようにして笑います。

これがニヒルな笑いに見えてしまうのです。


ニヒルなんてこんなモンです。


そして、態度がとっても怠惰。

あのダラっとして見える姿勢で会話をされると、心に焦りを持っているオンナは、
思わず本音をボロっと口走ってしまいます。
 
要は、優しさにしても、攻撃にしてもすべてにおいて中途半端。
そして情けなくって猥雑で自堕落で
すべてを許してしまいそうな滑稽さを兼ね備えております。


そして、そして、きっと床上手・・・と拝察いたします。

このあたり、すべてワルの艶嬢にもあてはまります。
世のオトコ共もお気をつけなさいますように!


あーコワイ、コワイ!

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投稿者 tadashi : 10:20 | コメント (0) | トラックバック

2006年01月19日

オヤジのデコルテ。

オヤジのデコルテ。


今回は、自分の事をしっかりと棚上げしてお話させていただきます。

今、オヤジが嫌われています。

歴史上、こんなに世間からオヤジが嫌われた事はなかったのじゃないでしょうか。

戦争を知らないオヤジ達。

昭和20年以降に生まれ、全く意味の無さなかった学生運動を無気力で傍観し、
高度成長時代を当然の如く受け入れ、バブルもホイホイ調子に乗り、バブル崩壊で、やっと生まれて初めての挫折感。

挫折感が遅すぎました。

大人の麻疹は治りが遅うございます。
ですから戦前生まれのオヤジ達とは気骨が違います。

とっても軟弱。

とってもノウテンキでご