« ショップチャンネルのお知らせ | メイン | 幻の鍋 »
2010年11月29日
光と心

もう随分となります、15年くらい前でしょうか、
モロッコのカサブランカに
3日間ほど滞在したことがございました。
目的は観光です。
ウィーンで数週間のオペラ三昧の後、
そのまま帰国するのも何だかもったいない気もしたので、
ちょっと気分転換のつもりで、寄り道したのが、
運のツキ。
この3日間は、ワタクシにとっては前代未聞の衝撃的な日々で、
今から振り返っても、幻のような…
夢かうつつかの滞在でございました。
乾燥した大地の北アフリカ、
しかもイスラム文化…
もうカルチャーショックどころではなく、
人生ショック!
何もかもが違っていたのです。
やたら羊ばかりの食べ物、
街中に漂う獣の匂い、
ホテルの巨大なベッド、
部屋のど真ん中にあるバスタブ、
すれ違う人逹の鋭い目力、
夜明け前からこだまするコーランの響き、
ひと度迷えば二度と出てこれないようなスークの迷路路地…
挙げれば枚挙にいとまがありません。
が、
その中でも決定的にワタクシに衝動を与えたのは、
光!
光のショックは二度と忘れません。
空はどこまでも青く、というか濃紺。
まるで宇宙の暗闇を見ているようなダークブルーです。
太陽とカサブランカの間には
遮るものが塵一つない乾燥した大気です。
日本の秋晴れがいくら透明と言えど、
北アフリカの透明度に比べりゃまだまだ淀んでいます。
そんな光を通して見る世界は、
それまでのワタクシが見てきた
色と形の常識を
見事に覆してしまいました。
例えば、
スークのテントの木漏れ日から見える
香辛料の数々の美しさ!
同じ香辛料でも日本で見る色とは全く違い、
まるでキラキラと輝く宝石のようでした。
自分が日本から着てきたブラウンのジャケットも、
茶色の中に潜む黄色の部分が浮き出てきて、
原色のように見えていました。
ワタクシ自身の肌色も、
そんな空気の中では赤みが浮き立ち、
日本ではオークル系の肌も、
彼の地ではピンク系となっていました。
中間色の微妙なニュアンスをぶっ飛ばして、
すべてが原色のように輝くのです。
色だけではありません、
物の形も違って見えるのです。
猛烈な光量ですから、
降り注ぐ光にあたる物体の光と影のコントラストも強烈です。
光のあたるハイライト部分はどこまでも明るく、
影の部分はどこまでもダークです。
輪郭線がくっきりと鮮明で、
物の形が日本のそれよりも
はるか明確に見えるのです。
日本の湿度の高くどんよりした空気の下では、
輪郭線や影に柔らかいグラデーションがおこり、
曖昧な線となります。
モロッコでは色も形も、パキパキで、
中間というものがありません。
これらの世界は、自分のそれまでの見ていた色相や
輪郭の世界とはあまりに異なっていたのです。
さて、
これらの光の下の生活では、
当然ながら人間の思考もことなるのではないか…
ということも考えられます。
色や形と同様に、
心にもグラデーションの幅が
少ないのではないかと。
喜びから悲しみまでの、
微妙な感情の幅やニュアンスが乏しくなり、
強烈な喜び強烈な悲しみの
二分化してしまうのではないかと思われるのです。
つまり、
その風土に降り注ぐ光と心は
シンクロしているかもしれません。
芸術や文学にしてもそうで、
絵画や音楽は赤道に近づくほど、表現は明確です。
そして、
赤道に近づくほど、
優れた文学者の輩出は少なくなっています。
確かに、そういった南国の地や常夏の島に行くと、
心がアッケラカンとして楽になれます。
逆に北に行けば、長い斜光から生まれる柔らかな影により、
感情の影のニュアンスも長くなり、
音楽、絵画、文学にしても、より内省的になります。
ことわっておきますが、
芸術性の優劣を言っているのではありません。
光による思考性や芸術性の相違です。
カサブランカ滞在中に見た、
それまでに経験したことのない、
光と影、
そして色。
多くのことを発見した刺激的な3日間でした。
あまりの強烈なショックだったのか、
3日目に原因不明の高熱に
うなされてしまったほどです。
食あたりというのがありますが、
この時は
街にあたってしまったのです。
そうそう、
観光って光を観ると書きますよね。
なるほど、なるほど。
景色だけを見るだけではなく、
その土地の光を感じるのも観光です。
モロッコは是非とももう一度訪れてみたい街です。
その時はもっと冷静な気持ちでの「観光」でしょう。
投稿者 tadashi : 2010年11月29日 10:07
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://www.venus-beans.com/mt/mt-tb.cgi/761


