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2008年04月11日
欧米人に勝てるか

数年前、私クシが出演したの或メイクアップイベントでの事。
ひと通りのメイクショーが終わった後、最後はお決まりの質問コーナー。
いつもはお客様からの質問なのですが、
その日は500人規模のお客様だったので、
混乱を招かないように、まずは主催者側の女性司会者からの質問。
「あの〜海外に行って、フィフスアヴェニューやサントノーレとか歩いていると、
外国の方々がすごくカッコいいでしょ。
なのに日本人はとても地味で太刀打ちできないでしょ。
パーティーとかになると、もう惨め…これって何とかならないんでしょうか?」
んっ、どえらい質問です。
日本人にとって、触れてはならない問題。
特にこういった軽いノリのメイクイベントにはタブー。
なぜなら、あまりに大きな問題提議であって、
どちらかというとシンポジウム向き。
そのタブーに真っ正面から質問したこの司会者の女性、
本業は執筆家で、世界中を飛び回っているなかなかのキャリアウーマン。
頭脳明晰、容姿端麗、ファッションセンスも良く長い黒髪をたなびかせて闊歩する姿は、ミナミの繁華街においてはかなり目立つほう。
にもかかわらず、パリジェンヌやニューヨーカーに混じった時の
ウィンドウに映る己れの姿を見ると、あまりの地味さ、
影の薄さにがく然とするのだそうです。
そこで、先のような質問となったであります。
ハイ、とてもよく分かります。
私クシなんぞもヨーロッパでの音楽祭やオペラ、
特に初日やガラの日に当たると、それはえらい事です。
ご婦人方は豊かなデコルテをしっかり開け、
長い裾を引きずってもバランスのとれたボディ!
迫力あるイブニング姿です。
殿方のタキシード姿はみんな
T・クルーズやR・クロウのようで、
正真正銘の本物チョイワル。
まさに欧米列強!
そんな中にふやけた温泉卵みたいな顔で短足胴長、
かろうじて170センチの東洋人がロビーでウロウロしても、
摩天楼の下でチワワがよたついているようで情けない限りです。
太刀打ちできるわけがありません。
で、先ほどのイベントの質問、私クシが答えたのはこう、
「そもそも、比べようとするのがおかしいんです。
比べた時点で我々の負け。日本人は日本人らしくしてればいいです。」
なんと模範的な解答でございましょう。
分かったような分からないような、キツネにつままれたようなお答え。
イベントにおいて、こういった難題をぶつけられた時は
禅問答のような答えではぐらかすに限ります。
とっさの質問に我ながらも上出来じゃわいと悦に入っておりました。
しかし、ホントにそうなの?
それで答えになってるの?
何が勝って何が負けてるの?
日本人らしくて、
いったいどういう事?
と、悦に入った模範的解答に自問し、
その夜は深く考え込んでしまいました。
前述したように外国の地における日本人の冴えない姿は、触れてはならない問題。
こと我が民族の美醜にかかわる問題。
それは解決不能と誰しもが察しているからではないでしょうか。
しかし、あえてタブーに踏み込みます。
結論を言うなら
洋服は西洋人を美しく見せるための衣服であって
どんなにがんばっても…!
我々には似合わないのです。
もともと張った肩をより豊かに見せ、厚い胸板をよりセクシーに、
くびれたウェストをより絞りヒップを強調する。
長い手足をさらに優雅に見せる衣服であって、
平面的な身体に立体的な衣服を着せても辻褄があわず、
ますます地味に見えるだけ。
アチラは服も構築的なら身体も顔も構築的なのです。
つまり、洋服社会での見映えにおいて日本人はボロ負け。
そこで負けじと闘志まる出しの日本人は
外国のオペラハウスや高級レストランに行くと、
己の影の薄さを上っ面の華美さで勝負に及ぼうとし、
着なれない派手な一張羅で一世一代の晴れ姿を試みます。
しかし、もがけばもがくほど、あがけばあがくほど泥沼にはまり、
欧米人の嘲笑を買います。
こうなる事を恐れる日本人はいつもの奥の手を使うのです。
着物!
「やっぱり日本人は着物よねえ。
着物は外国では日本人が一番よく映えて綺麗に見えるわぁ。
外人にも評判いいもの」
ほんとにそう?
評判がいいって、外人から見れば単に物珍しいと思って見てるだけで、綺麗で似合ってるなんて思ってもいないじゃないの?と私クシは申し上げたい。
普段着なれない着物を付け焼き刃で急にはおっても薄汚いだけ。
芯地がほとんどない着物は、
ひとつ間違えるとダラッとなり
小汚ないく見えるのです。
着物は着付けにキャリアや人格、
センスが顕著に表れてしまう、世界でも類を見ない難しい衣類です。
それに、西洋人が紬や友禅の奥深い美しさを、
とうてい理解しているとは思えないのです。
(日本人でも理解できてません)
顔が大きく胴長短小、樽型日本人には着物が最も似合うと私クシも信じてました。
しかし、過去の日本人が理想とした体型は
必ずしもずんぐり樽型ではないのです。
浮世絵や大和絵の美人画を見ると頭が異常に小さい西洋型。
有名な上村松園に登場する気品ある少女達も手足が長い。
法隆寺の観音様も文楽人形、博多人形もデフォルメされているとはいえ、
そこにあるのは、我々日本人がひそかに理想としていたのは何を隠そう八頭身!
いやそれ以上の西洋人的体系!
最近では玉三郎や小雪の生身の人間が証明するように手足が長い方が、
袂模様も裾模様もバランスよく、はるかに美しく見えるのです。
着物であろうが、洋服であろうが、
衣類は頭が小さく、手足が長い方が
美しく見えるのです。
洋服もダメ、着物もダメ…
我々日本人は、いったいどうすればいいの…
西洋人には、どうしても太刀打ちできないのか…
ハイ、諦めてもらいましょう。
パリやニューヨークに行ってもウィンドウに映る己の姿に目をやらない事。
無い物ねだりはやめましょう。
救いようがないのです。
しかし、ちょっと視座を変えてみると心が安らぐかも知れません。
これまで述べたのは、あくまで背丈や手足、頭の大小の物理的サイズでの話。
タッパもあり足が長い方がかっこ良く見えるのは、洋の東西問わずあたり前の話。
しかし、はなやかで美しいかといえば、これは次元の違う話です。
人の持つはなやかさとは、
肉眼でとらえられる身体の大小、長短、
そして美醜とは全く異なる次元にあるのです。
身体の内から発する美しい生命のエネルギー。
つまり、オーラ。
オーラに勝るものは ありません。
たとえ背が高く、手足が長く、整った顔であってもオーラのない人は地味。
逆に小さな身体でのっぺり顔であってオーラのある人は目立ちます。
人種の違い、そして衣類の華美とは関係ないところでオーラは存在しているのです。
華より花!
では、花のあるオーラはどのようにして身につけるか…
これは今日や明日では身につけれる簡単なものではありません。
私クシなりの考えがあります。が、あまりに長くなるのでまたそのうちに…
とにもかくにも、チワワでもオーラを纏えば摩天楼より
花やかな存在となると信じております。
生命の持つ美しい力と智力…オーラを纏う民族でいましょう!
て、それができれば苦労はない。
やはりキツネにつままれたような解答でございます。
投稿者 tadashi : 2008年04月11日 15:06
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