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2008年01月31日
悩める食事の会話

忘年会に新年会、ディナー、披露宴、パーティー、宴会、お食事会…
なんと楽しそうな響きでございましょうか!と言いたいとこですが、
実は私クシこれらが大の苦手。
晴れがましい場所がイヤな訳ではありません。
むしろドンチャン宴会や業界パーティーはオスキで、
人と話したりするのも決してオキライなほうではございません。
時事評論から人の陰口、悪口、噂話に自虐ネタに至るまで話題は豊富なほう。
では、何が苦手なのかというと、
食べながら喋るという単純な行為が苦手なのでございます。
というか、口の中に物を入れた状態でお喋りができないのでございます。
これがお悩み。
幼い頃、親にうるさく言われたのが、
お箸の持ち方と静寂なる食事。
私クシに限らず、我が世代の人間は子供の頃からこの二つの事をうるさく言われたのです。
お箸の持ち方がわるいと祖母に手首をパシッと叩かれたもんです。
そして、ご飯を食べる時は、
お茶碗の底を見ながら静かに食べなさいっ、と。
つまり、テレビはおろか、よそ見厳禁、
食事中の私語も厳禁。
従って、幼い頃の我が家の夕食はテレビはつけず、音をたてず、
家族の会話もなく、ただひたすら食べ物を口に運んでいるだけの、
お通夜のよう食事風景でありました。
小学校の給食でも同じ。
規律うるさい私学に行ってたせいもあるでしょうが、
お昼ご飯の時のお喋りはご法度。
おまけに背中に定規を突っ込まれ姿勢正しく食べなさい、
と厳しくしつけられたもんでございます。
そんな昼ご飯なんて楽しくないじゃない、と思われるかもしれませんが、
これが決して窮屈とも思わず、
むしろ私クシにとっては快感でした。
昭和30年代の歴史に残る悪名高き学校給食…
雑巾臭い脱脂粉乳も発泡スチロールのようなコッペパンも、
静かに食べるとマズくは感じなかったから不思議なもんでございます。
要は楽しく会話しながらの食事なんて必要なし。
食べるという行為にひたすら集中し、
食物を与えてもらった神仏に感謝しがら食べましょう、
食事中の会話は不浄であり、お喋りは食事が終えてから思う存分どうぞ…
食べる時は食べ物に集中、喋る時は会話に集中、という訳です。
それが世の常識であり絶対的価値観であると
親からも学校からも、これでもかと叩き込まれたのであります。
ところが、どう…!
東京オリンピックあたりから事情が徐々にジワジワと変わりはじめました。
そして、西洋の文化や食事マナーが生活の中に浸透し出し、
70年代万博の頃になると、
『食事は会話を楽しみながらしましょー!』と、
なってしまったのです。
そりゃあ、ないでしょーよ!
そりゃあ、あんまりでしょーよ!
よそ見をしたら叱られ、ただひたすらお茶碗の底を見つめ、
親兄弟や友達と会話する事も許されず、
禅僧のような食し方をやっとのことで身につけた頃になって、
今までのはぜーんぶウソ、と言われるようなもんで、
これは文化大革命並みのショックさでございました。
雀百まで踊り忘れず、と申すがごとく幼い時に仕込まれた習慣は、
半世紀以上生き延びても、ちょっとやそっとで変更できるもんではございません。
食事中に喋れと言っても、何を喋ったらよいのやら。
食べる事に全神経を集中してたら他の事は考えられず、
会話なんてできようはずもございません。
だいいち、食べ物を口のどこの位置に定めて舌を動かし、
喋ればいいのでしょうか。
動物だって食べながら会話してるなんて見た事もございません。
当家の猫だって食べる時は必死。呼んでも振り向きも致しません。
食べる行為と喋る行為を同時にできる
世間の皆々様の器用な脳ミソと舌の構造を是非とも拝見しとうございます。
喋りながら食べる、食べながら喋る…そんな複雑な行為を、
エレガンスな食事マナーと呼べるのでしょうか?
私クシには理解の及ばぬところでございます。
然るに、複数の人との食事はいまだ苦手。
お食事会に誘われると、とても気分が憂鬱。
箸を手に持ったとたん、
急に黙りこくってもご機嫌ナナメでも疲れてるわけでもないので
ご心配には及びません。
食べ物に集中し、食べる幸福感を噛みしめているだけで、会話は上の空。
たとえ格好つけて喋っても、
トリュフやご飯ツブが口から飛び出すこと間違いナシ。
箸を置いたと瞬間に、急にチャラチャラと喋り出しますのでご安心くださいませ。
投稿者 tadashi : 2008年01月31日 11:06
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