
―――四季入団以前は、バトントワリングでご活躍されていたそうですね。
下村 そうなんです。小学校のとき、ブラスバンド、いわゆるマーチングバンドに入ってて、青森出身なんですけど、全国で1位をとるような有名な小学校でね。そこからデンマークの世界青少年音楽祭に行った。僕はそれまでずっとサックス吹いてたんですよ、サックスプレイヤーになりたいなと思ってて、でもその音楽祭で毛皮の帽子をかぶった指揮者にあこがれて、あーあれをやろうと思ってね。それにはやっぱり勉強しないといけないと思ってバトンをはじめたんです。東京のバトンの第一人者の女性で、日本で初めてバトンを広めた方に習いました。そして世界選手権で3位。全日本で2回グランドチャンピオン。そして全米で優勝したんです。
―――すごいですね。ブラスバンドにしてもバトンにしても小学生の頃から、これがやりたいという意志のある子供だったんですか?
下村 演技する喜びっていうのがずっとあったんですね。華やかな衣裳を着たいっていうのもちょっとあった。田舎だったから、もしバレエとか日本舞踊とかが周りにあったら、そういう世界に行ったかもしれない。たまたまマーチングバンドに入ったのが、いつのまにか俳優になっちゃって・・・。
―――バトントワリングからどうして劇団四季へ?
下村 バトンで19歳の時に全米で優勝したんですね。なんかやり尽くした感じがあって、次にやるものは何だろうと思っていた時に、たまたま日本で上演しているキャッツを観て、へーこういう世界もあるんだって。
それでその年の冬にコーラスラインのオーディションがあって、受けてみたら受かってしまったんです。(笑)
何もしたことがなかったんですよ、芝居とか歌とか。踊りだけはちょっとしたことがあったけど。
思うがままに選んできた。心が動くことに、すごく忠実に生きてきた。
一貫ってわけでもないんだけれど、ブラスバンドにしろ、バトンにしろ、芝居にしろ、人の前で演技するということがつながってますね。
―――同じ役を何度も演じていると、自分と役との境目がなくならないですか?
下村 ああ、それ全くないですね。終わればすぐ自分に戻るし、ぎりぎりまで自分だし。
逆に、たとえば舞台で優しい役をやってると楽屋で凶暴だったり。(笑)
反対の方が多くなってくる。バランス取ろうとしちゃう。
この前も『ユタと不思議な仲間たち』の公演で、日本の女形系の役をした時も、普段はより凶暴になってましたね。役を引きずる方もいらっしゃるんでしょうけれどもね、僕はちょっと反対タイプかな。
―――じゃあ、役者に向いてらっしゃるんですね。
下村 ははは、いやーわかんない。
―――舞台に立つと役にはまりきって変貌されるタイプなんでしょうか。
下村 うーん、やっぱり舞台の上で一生懸命熱演してても、どこかで素の部分とか、コントロールした客観的なところがないと、自己満足みたいなことに終わってしまう気がするので、どこかに冷めてる部分がある。
―――女形をされる時には、どんな役作りをされるんですか?
下村 それは、いま日本舞踊すごく頑張ってるところなんです。板東玉三郎さんのお母様の藤間勘紫恵先生に習ってます。
―――女性の普段の仕草を見て研究されたりはしないんですか。
下村 それはありますね。ただ、昔は女っぽくして女になろうなろうと思ってたけれども、最近思ってるのは、心が女になれば自然に動くかなって。女っぽくしようとすると、なんていうか色物っぽいっていうか、作ったっていうか、気持ち悪いじゃないですか。だから最近は、声が低くても、心が女になってれば女かなって思いますね。
―――男性役、女性役どちらがお好きですか?
下村 別に僕は女形がいっぱいあるわけではないですけど、女形っていうのはやっぱり演技上の最大のチャレンジじゃないですか、俳優にとって。
―――劇団四季随一の個性派俳優と言われるなかで、ハムレット役は逆に異色だと言われているようですが、下村さん自身はどうお考えですか?
下村 変わった役がすごく多かったんだけど、5年ぐらい前にエビータのペロン大統領って役をやったんですよ。初めてそういう大きい立ち役の男が来たんで、すごくそれも新鮮だと思った。ペロンもそうだし、ハムレットもそうだけど、ストレートな感じの役なんでね。役者はその王道があって、いろいろ枝葉があればいいんだけれど、僕は先に枝葉をやっちゃった感じがあるから、逆にいま、すごく新鮮だし、難しい。
今度も『アンドロマック』というギリシャ悲劇でアキレスの子供の役をやるんですね。以前、平幹二朗さんが演じた本当にもう骨太の男って役が来たんですけど、今度もまたそういうストレートもので・・・。最近、そういうの多くなっちゃって。(笑)
ストレートな役は、真っ向から行かなきゃいけないから小細工の効かないぶん難しい。
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