| 今回はやっぱりこれです。
そう、前回の文面でちょこっと触れたので気にかかったという方もあるかも知れません。もうね、観終わってから、ほんとワンワン泣いてしまいました。
一緒にいた友人は、なんでそこまで泣けるかな〜?と訝っていたわけですが…
なんかこう私の心のおくーのほうのやわらかい場所をしめつけたのです。(ん!歌の文句みたい?)
先月の終わりにアカデミーの発表もあり、予想通りこの映画の主人公のひとりを演じたニコール・キッドマンが主演女優賞をみごとに射止めたわけですが、
いや〜やっぱ女優は凄いね!メイクもかなり凝っていたとはいうものの、全く別人でしたから。声までが違ってた。私なんか最後まであれは本当に彼女だったの?と信じられなかったくらいですから。はい。とにかくそれくらい凄いです。それを観るだけでも価値はあると言い切れます。

さて、物語りですが、
1923年ロンドンの郊外「ダロウェイ夫人」を執筆中の作家ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン)が姉とお茶を楽しむために準備を。
1949年ロサンジェルス、「ダロウェイ夫人」を読む主婦ローラ(ジュリアン・ムーア)が、夫のための誕生日パーティーの準備を。
2001年ニューヨーク、「ダロウェイ夫人」と同じあだ名を持つクラリッサ(メリル・ストリープ)は、エイズで死期も近い詩人である友人の受賞記念パーティの準備を。それぞれの時間に生きる女性達が「ダロウェイ夫人」をキーワードに、やがて一つの物語りとして紡がれて行く、そんなお話しなのです。
こう書くと、なんかかなり複雑で懐古シーンとかがふんだに入り乱れて…
なんて想像してしまうかもしれませんが、それが不思議とややこしくないんです。
3つの時代はそれぞれ、その頃の色あいと空気感で全体をおおい、それぞれが決して古くさくなく、自然に表現されているのですが、そのひとつひとつのシーンが見事にシンクロしているのです。
例えばそれは顔を洗うという一つの動作なのですが、ヴァージニアが洗面器の水に顔を浸す、そして顔を上げると鏡の中には、まさに水に浸された顔を覗き込むクラリッサの姿が…といったように。
それぞれの場面の印象がまるで違うから「あ、ここで話はクラリッサのことになったんだ…」ってすぐわかる。しかしその同時性があまりにも自然に起こるので、別の時代の別の人物の話しなのに、どこかで繋がってしまう。いや〜ほんと不思議です。
これまでにも、いろんな時代が交差する作品というのは沢山ありましたが、
今回のようなこんな観せかた、繋ぎ方を観たのは始めてかもしれません。
監督は、この作品が長篇2作目となる、スティーヴン・ダルドリー(『リトル・ダンサー』)、よくもこんなに難解な物語りをここまで丁寧に作り上げるものだと、前作でもすっかりファンになったのですが、今作でよけいにその才能の凄さを知った気分です。
役者はもともと凄い面々、しかもその撮影はひとりひとり別の映画を撮るように進行され、いよいよ最後にさしかかったときに、もう一度抜けているところがないか脚本のチェックをしたんだそうです。
いやとにかく凄い。
脚本も、音楽も、衣装だって美術だってすばらしい!
そのひとつひとつの表現が一つにからまったからこそ、こんなに心を打つ素晴らしい作品が出来上がったのだとただただ感心します。
生きるということは、いろんな心の動きを知る事。
人と繋がることで安堵し、しかし心みだれ、様々な選択がその都度待ち受ける。
それを決断するのは、ただ一人の自分。だからこそ生きて行くのか、生かされているのか…(なんか哲学的になってしまいました。)
この映画、果たしてあなたの心のどんなところに共鳴するのやら、是非じっくり体験して下さい。こんなに豪華な共演で、心打つ作品はめったとお目にかかれません。誰がなんと言おうと、★★★★★!です。
03.04.10 |